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鷹目遊里史板

142嶋原G:2007/01/09(火) 17:19:13
あぁ淀川温泉
「橋本鉱泉」

○環境及び沿革
 淀川左岸の府境に接して、男山と淀川堤防に狭まれた狭長な平地に橋本の集落があり、人家が密集櫛庇している。この地は往時より交通の要衝で、最近まで遊廓地として知られ繁栄してきたが、昭和32(1957)年売春防止法が公布されて以来、同地区の三業組合員が早急に転業の必要を迫られ、政府及び京都府当局の指導の許に対策委員会を組織して協議の結果、全国観光連盟理事、O氏の勧告に基づき在来の招客施設をその儘活用して温泉地として更生する方針をとり、昭和33(1958)年12月より同地区50余ヶ所の井水を採取して京都府衛生研究所に分析を依頼した結果、料理業T氏宅の堀泉が最も有望であると判明した。昭和34(1959)年2月正式に同泉を現地採水して鉱泉分析を行い、炭酸鉄泉として療養泉規格に適合するとの判定を得たので、3月には温泉開発協議会(会長、Y氏)を結成し同年7月利用許可を得るに至った。

○利用状況
 本泉は昭和35(1960)年2月、源泉地より同区内の各所に配管工事を完了し、現在4軒の旅館で内湯として利用されているが、給湯量の許す限り、将来も利用施設を増加させて、土地の繁栄に寄与するものと思われる。本泉の運営は全て温泉開発協議会により統制的に行われている。名称も開発当初は「橋本温泉」と称していたが、その後「淀川温泉」と改称された。

1964年発行『京都府鑛泉誌』より抜粋


『廃滅諸鉱泉・橋本鉱泉』

○所在地:八幡市橋本某町
○概 説:橋本は淀川左岸の交通の要衝で、宿駅として賑わい、遊廓も設けられていたが、昭和32(1957)年、売春防止法公布と共に転業を迫られ、温泉地として更生する方針をとり、京都府の援助もあって泉源調査の結果、昭和33(1958)年、府衛生研の分析により、同地区内一民家の井戸が多量の鉄分を含み、単純炭酸鉄泉として療養泉規格に達することが判明した。地元三業組合では昭和34(1959)年6月利用申請を提出し、組合加入各戸に配管工事を行い『淀川温泉』の名で新温泉境の実現をはかったが、期待したほどの浴客招致に成功せず、昭和52(1977)年、源泉所在家屋の改築を機に廃止のやむなきに至った。

1984年発行『京都府温泉誌』より抜粋


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