したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

紀氏さん専用スレッド

1管理人:1970/01/01(木) 00:00:00
紀氏さん専用スレッド
茨の紀氏さん専用スレッドです。

2管理人:2019/09/07(土) 23:46:01
テスト投稿です。
テスト投稿です。

3名無しさん:2022/08/30(火) 20:53:43
グスクとは、

グスクというと、「城」の字があてられることから、石積みの城塞をイメージする人が多い。しかし、実際にはさまざまな形態のグスクがあり、その本体をめぐっては論争もなされている。小高い丘にある拝所や森のしげみにある風葬地帯にもグスクとよばれるところがあり、必ずしも堅牢な城塞のみがグスクとはかぎらない。
… では、グスクとはなんなのか。
①聖域説 グスクの本質を聖域におき、そこを中心に一部のグスクが城塞として発展したとする考え。たとえば、勝連グスクは城塞があるからグスクとよばれるのでなく、そのなかに聖域をもっているからグスクと呼ばれるのであり、主体はあくまでも聖域の存在にある。
②集落説 グスクを三つのタイプに分類。A式が政治的権力者の居城・支所、B式が原始社会から古代社会へ移行する時期の防御された集落、C式が発生当初からの集落の拝所や墓地で、A式はB式から発展したとする考え。
③グスク展開説 グスクの共同体論に、歴史的な視点を加えると、聖域説も集落説もグスク展開の一面としてとらえることができ、矛盾しない。その意味で、城塞化したグスクのうち、最後にのこったのが首里グスクとする考え。

グスク語源に関して、たとえば、グスクは御宿や御塞の意味が転訛したものであるとか、グは石、スクは聖域をあらわしたことばだとする考えなどである。また、スクの語源を朝鮮語の村・集落に求め、それに敬語の御(グ)をつけたのがグスクであるとする説 … 
                  (「琉球・沖縄史」高校教科書)

… 
手元にある今帰仁グスクのパンフでは、
「いつだれによって築かれたかは不明なところが多くさだかではありません。発掘調査の成果から13世紀頃には城造りをはじめた事がわかっています。」

… 東京あきる野市の伊奈地区に、平安末期頃、信州の高遠石工が12人移住してきたという伝えがあります。今帰仁グスクの石積みはじめとちょうど同じ頃と思われますが、地域的にも余りにも離れており、それぞれ別個の理由の出来事でしょう。なんらかの関連性をみるのはファンタジーですね。
… 沖縄のことはよくわからない。地政のことのほかに歴史感覚がわれわれヤマトとは深い断絶があるようだ。

4名無しさん:2022/08/31(水) 13:00:22
一般的には、

沖縄諸島の考古学では<旧石器時代―貝塚時代―グスク時代>に時代区分し、宮古・八重山諸島では独自の考古編年が行われてきた。本土の時代区分と対比すると、貝塚時代は縄文時代〜平安時代前半、グスク時代は平安時代後半〜室町時代前半におおむね並行する。
文献研究による琉球の時代区分と対比すると、グスク時代古琉球(中世琉球)の前半期にあたる。古琉球はグスク文化の形成期から慶長十四(1609)年の島津氏の琉球征服までで、おおむね日本の中世に並行する。  「沖縄県の歴史」

グスクと神籠石では、石積の構造がやや異なるのではないか。
事件の時間軸もほとんど一致しない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板