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紀氏さん専用スレッド

3名無しさん:2022/08/30(火) 20:53:43
グスクとは、

グスクというと、「城」の字があてられることから、石積みの城塞をイメージする人が多い。しかし、実際にはさまざまな形態のグスクがあり、その本体をめぐっては論争もなされている。小高い丘にある拝所や森のしげみにある風葬地帯にもグスクとよばれるところがあり、必ずしも堅牢な城塞のみがグスクとはかぎらない。
… では、グスクとはなんなのか。
①聖域説 グスクの本質を聖域におき、そこを中心に一部のグスクが城塞として発展したとする考え。たとえば、勝連グスクは城塞があるからグスクとよばれるのでなく、そのなかに聖域をもっているからグスクと呼ばれるのであり、主体はあくまでも聖域の存在にある。
②集落説 グスクを三つのタイプに分類。A式が政治的権力者の居城・支所、B式が原始社会から古代社会へ移行する時期の防御された集落、C式が発生当初からの集落の拝所や墓地で、A式はB式から発展したとする考え。
③グスク展開説 グスクの共同体論に、歴史的な視点を加えると、聖域説も集落説もグスク展開の一面としてとらえることができ、矛盾しない。その意味で、城塞化したグスクのうち、最後にのこったのが首里グスクとする考え。

グスク語源に関して、たとえば、グスクは御宿や御塞の意味が転訛したものであるとか、グは石、スクは聖域をあらわしたことばだとする考えなどである。また、スクの語源を朝鮮語の村・集落に求め、それに敬語の御(グ)をつけたのがグスクであるとする説 … 
                  (「琉球・沖縄史」高校教科書)

… 
手元にある今帰仁グスクのパンフでは、
「いつだれによって築かれたかは不明なところが多くさだかではありません。発掘調査の成果から13世紀頃には城造りをはじめた事がわかっています。」

… 東京あきる野市の伊奈地区に、平安末期頃、信州の高遠石工が12人移住してきたという伝えがあります。今帰仁グスクの石積みはじめとちょうど同じ頃と思われますが、地域的にも余りにも離れており、それぞれ別個の理由の出来事でしょう。なんらかの関連性をみるのはファンタジーですね。
… 沖縄のことはよくわからない。地政のことのほかに歴史感覚がわれわれヤマトとは深い断絶があるようだ。


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