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歴史掲示板

9592これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/10/27(日) 23:22:16
これぞ!研究!〜もうひとつのシルクロード「ヤク・ロード」〜
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〜もうひとつのシルクロード「ヤク・ロード」〜

諸君、こういうのが研究、学問というものだよ?

O-M133はクルグズ東部にも5%以下いることにはいます。
今回は「クルグズのO-M133がどのような移動ルートを辿ってクルグズにまで来たのか?」を探りたいと思います。キーワードはヤクの家畜化とその伝播です。

可能性としてイチオシなのは、1)「羌族がヤク放牧しながら移動して行った」って説です(自説ではないw)。

ヤクはヤクDNAから、チベット高原東部(羌族の地)で生まれ、中央アジア山岳地帯経由かモゴル高原経由で南シベリア・サヤン山脈のトゥヴァ人に齎されたと言います(図1: Istoričeskaja Ėtnografija Tuvincev, p.78)。トゥヴァ人にもクルグズ人同様に羌族系O-M133 が5%います。

ヤク放牧を生み出した羌族が今はほとんど無人のチベット北部・羌塘高原からパミール・天山に入り、北上してサヤン山脈のトゥヴァに至るという説です。春秋時代には既に羌族のヤク放牧が知られます。

チベット人(発羌)のチベット高原への進入がかなり新しい時代だとすると、クルグズのサブグループは「チベット人以外のチベット・ビルマ型」かと思います。

ヤクも「古羌と古匈奴の南北交流」のひとつであると言えます。
mtDNA(女系)では古羌から古匈奴へ南方系mt-F(ショル人で4割、ハカス人で2割)やM8(C)が、古匈奴からは古羌へは北方系G(羌族で2割)やA(同)が齎されました。

言語では、例えば「byargot(鷹:bya=鳥+rgot=巨大な・怖ろしい)」という語がチベット・ビルマ系からテュルク・モンゴルに入っています。

他に、2)「チベット型」のサブグループであれば吐蕃時代の進入、3)「漢族型」であれば例のクルグズ人の「李陵の子孫伝説」、4)「日本・北京型」であれば、オーソドックスに甘粛・青海から内モンゴル遼河地域に東進してそこでテュルク化して他のグループに紛れて西遷を想像できます。鮮卑か鉄勒、カラ・キタイ(遼・西遼)の線かなとは思っています。

羌族ハプロO-M117とヤクの道を総合すると、図2のようになります。二重赤丸がO-M117の起源集団である羌族居住地域、赤丸が拡散起点。白抜き赤丸はO-M117の古人骨所在地、甘粛・磨溝遺跡、遼河文明、エギーン・ゴルの匈奴墳墓です。

でも、問題は、羌族でO-M133の多様性が最も高いので、この集団がO-M133またはその親のO-M117の起源集団とされている点です。

多様性を抱えたまま羌族がクルグズや南シベリアへ移動していったとなると、クルグズやトゥヴァのサブグループは何でも良くなってしまいます。どうしよ?w

まあ、それでも、だいたい現代のどの集団と近いかくらいは分かるでしょう。
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ピラミッドw 一生懸命無駄な線引きするのが研究じゃないよね。
しかも旧石器時代ってw そもそもテーマのキーワード逸脱。
空気読めない人?w







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