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歴史掲示板

9540荊の紀氏:2019/10/20(日) 08:50:50
イスラエル人とソロモンと日本人…
北海道の縄文人
ミトコンドリアDNAハプログループG系統
北海道から出土した縄文時代の古人骨(約1万2千〜約2300年前)のミトコンドリアDNAを解析したところ、約10%がハプログループG1bであることが明らかとなった(注1)。これは、 山梨大学・安達登教授や国立科学博物館人類史研究グループ長・篠田謙一らが、縄文早期から続縄文期にかけての道内54体、東北地方20体の人骨からミトコンドリアDNAを取り出し、ハプログループと出現頻度を関東縄文人のデータと比較した結果に基づく。また、この調査で関東の縄文人骨からは殆ど検出されていない、ハプログループN9bが北海道・東北集団では6割を超える高頻度で検出された(注2)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffamousdna.wiki.fc2.com%2Fwiki%2FmtDNA%2520G
ハプログループN9b

アイヌの起源
GのサブグループG1bはカムチャツカ半島先住民に高頻度でみられるが、現代日本人での報告例はない[7]。これはアイヌとオホーツク人との関連を示唆しているかもしれない。
ハプログループG (mtDNA)(ハプログループG (ミトコンドリアDNA)、英: Haplogroup G (mtDNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のミトコンドリアDNAハプログループ(型集団)の分類のうち、「M」を祖先に持ち、709, 4833, 5108の変異により定義されるものである[1]。下位系統はG1,G2,G3,G4にわかれる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
祖先「M」…
ハプログループMは西ユーラシアにはほとんど存在しないが、東アジア及び南アジアでは優勢であり、それに対し欧米ではハプログループRが主流グループになっている。 主な子系統 M1 最初に分岐したため、出アフリカをしなかった系統。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
主な子系統
M1 最初に分岐したため、出アフリカをしなかった系統。アフロ・アジア語族と関連
M7
M7a:日本人に多い
M7b
M7c
M8
CZ
C
Z:一部はウラル語族と関連
M9
E
M12'G
G:一部はアイヌやオホーツク海沿岸の先住民族に多い
M29'Q:オーストラロイドの系統
Q
D:モンゴロイドに広くみられる

ミトコンドリアDNAハプログループN9b系統 【日本固有種】
北方系縄文人に見られる系統で日本固有種。特に男性において、心筋梗塞のリスクが低いと言われている系統(注1)。北方系だが、日本列島に入ってきた時期が古いため奄美大島や沖縄でもみられる。
北海道出土縄文人骨
北海道から出土した121体の縄文人骨のミトコンドリアDNAを解析した結果、北方系で日本固有種のハプログループN9bが多数(64.8%)を占めることが明らかとなった(注1)(注2)。これは、札幌医科大学が所蔵している縄文時代・続縄文時代の古代人骨を、安達登・篠田謙一らが調査した結果による。この縄文人骨121体の中からは他に、M7a(南方系日本固有種)やG1b(北方系)、D10などが検出された。
富山・小竹貝塚縄文人骨
富山県富山市呉羽町北の小竹貝塚から出土した縄文時代前期人骨(約5,750年-6,530年前)(注1)のミトコンドリアDNAは、ハプログループN9bが多数(38.5%)を占めることが明らかとなった(注2)(注3)。これは、小竹貝塚から出土した縄文人骨91体のうち、ハプログループが判定できた13体から得られた結果に基づくもので、内訳はN9b(5体, 38.5%)、N9a(3体, 23.1%)、M7(2体, 15.4%)、A(2体, 15.4%)、G2(1体, 7.7%)である(注4)(注5)。この貝塚では身長170cmを越える長身の縄文人骨も出土している(注6)。

ミトコンドリアDNAハプログループF系統 【南方系・アスリート型】
ミトコンドリアDNAのハプログループFは、中央アジアで、約5万年前にハプログループRから分岐したと考えられている。それ以来、その分布は拡散して、東アジア、東南アジア、南マレー諸島、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ニューギニア沿岸に広がった種類。特に東南アジアで顕著に見られる(注1)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffamousdna.wiki.fc2.com%2Fwiki%2FmtDNA%2520F
青谷上寺地遺跡・弥生人骨
青谷上寺地遺跡(鳥取県鳥取市青谷町青谷)から出土した弥生人(BC200〜AD200)の古人骨をDNA解析したところ、ミトコンドリアDNAを抽出できたものが10体あり、ハプログループD4が2体、D4*が4体で、ハプログループD4系統が計6体(60%)、ハプログループF*が1体、FまたはF2とみられるものが1体で、ハプログループF系統が計2体(20%)、ハプログループNが2体(20%)ということが明らかとなった(注1)。
琉球・尚寧王陵4号石棺人骨
琉球・尚寧王陵4号石棺の人骨のミトコンドリアDNAは、ハプログループFである(注1)。
琉球・第二尚氏王統の第7代・尚寧王(1564-1620)は、第二尚氏王統の中で唯一の浦添尚家出身。慶長14年(1609)3月、薩摩藩・島津家久(1576-1638)は徳川家康の許可を得て琉球征伐の命を下し、総大将・樺山久高の率いる薩摩兵3,000は、薩摩の山川港を出港した。対する琉球国は兵4,000で迎え撃ち、大砲でも応戦したが、鉄砲隊を主軸とした歴戦の島津兵に首里城を包囲され降伏。 その後、尚寧王は、島津家久に伴われて江戸へ赴き、徳川家康に謁見。当時、江戸幕府は日明貿易の仲介を琉球に期待し、尚寧王を琉球の国王として盛大にもてなし、琉球王国の存続を約束した。また同時に薩摩の琉球支配を認め、以後270年に亘り琉球王国は日中両国の中間点として強い絆で結ばれた中で、華々しい琉球独自の文化が育まれた。 尚寧王の治世は琉球の一大転換期にあたる。
慶光天皇(閑院宮典仁親王)
明治天皇の高祖父で古今伝授伝承者、能書家・閑院宮典仁親王(諡号:慶光天皇, 1733-1794)のミトコンドリアDNAは、ハプログループF1bである。これは、同母妹にあたる倫子女王の遺体をDNA型鑑定した結果に基づくものである。慶光天皇の実母は、家女房の左衛門佐讃岐(伊藤一中娘)である(注1)(注2)。

ミトコンドリアDNAハプログループR9系統
台湾・亮島人2号人骨
2012年台湾本島の北西、馬祖列島の亮島で発見された、約8,200年前の亮島人2号古代人骨のミトコンドリアDNAは、ハプログループR9である(注1)。これは、ドイツ ライプチヒのマックス・プランク進化人類学研究所の解析による。2011年に出土した1号人骨は屈葬、翌2012年年に出土した2号人骨は伸展葬の状態で発見されているため、1号人骨と2号人骨は異なる部族に属していたと考えられる。しかし、いずれにせよどちらの「亮島人」も台湾原住民や東南アジアのオーストロネシア語族の始祖にあたる人々であろうと考えられている(注2)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffamousdna.wiki.fc2.com%2Fwiki%2FmtDNA%2520R9
「亮島人」も台湾原住民や東南アジアのオーストロネシア語族の始祖にあたる人々であろうと考えられている(注2)。
オーストロネシア語族の始祖…
オーストロネシア祖族は東アジアのモンゴロイドで、約6000年前に中国南部、現在の福建省付近から台湾へ渡ったとされる。この時に一部のグループは黒潮や対馬海流に乗って日本列島にも渡っており、特に沖縄県、鹿児島県、宮崎県や和歌山県南部、三重県、愛知県、静岡県南西部などに彼らの末裔が多いと言われている(隼人や南島系海人族)。HLAハプロタイプはB54-DR4がこの流れを示している。
オーストロネシア系諸族の祖先は元々モンゴロイドであったが、移住先の東南アジアにおいて先住民のオーストラロイドを多分に混血している[6]。特にメラネシアにおいては、オーストラロイド系メラネシア先住民が、後からやってきたオーストロネシア語族に言語交替を引き起こしたというほうが正確である。またマダガスカル人はアフリカ人(ネグロイド)と混血している。
ポリネシア人は、例外的なまでに大型の体格と、彫りの深い顔立ちが特徴である。体脂肪率が高く、世界保健機関の調査で住民の肥満率において、世界上位10カ国のうちの4カ国をポリネシア系諸国が占めるほどである。このことは長い航海における厳しい環境下で、大型の体格、高い体脂肪率という形質特徴が選択されていった結果と考えられる。
オーストロネシア系諸族に高頻度に見られる遺伝子として、Y染色体ハプログループO1aがあげられる。O1a系統は台湾先住民に66.3%[7]-89.6%[8]、ニアス島で100%[9]など、東南アジアの半島、島嶼部、オセアニアにも高頻度であり、オーストロネシア語族との関連が想定される[10]。またO2a2*系統(xO2a2b-M7, O2a2c1-M134) もオーストロネシア語族と関連しており、スマトラ島のトバ人に55.3%, トンガに41.7%, フィリピンに25.0%観察される[11]。ポリネシア人などにはパプア・メラネシア先住民由来のC1b3、MS、K*なども観察される。
mtDNAハプログループはハプログループB4a1aが関連している。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwpedia.goo.ne.jp%2Fwiki%2F
オーストロネシア系諸族は概ね農耕生活を営んでおり、太平洋諸島ではタロイモ、ヤムイモなどの焼畑農業が行われる。漁労も行い、家畜はブタが中心でありニワトリも飼う。東南アジアのオーストロネシア系諸族は稲作もおこなうが、これは基層住民として分布していたオーストロアジア系諸族の生活体系を引き継いだものである。
ミクロネシア人は母系制社会、ポリネシア人は父系性社会である。メラネシアは比較的平等な社会である。
mtDNAハプログループはハプログループB4a1a…
この型の祖系の「R11'B」は、ヨーロッパの白人の母系などと祖を同じくする「N」型から分岐した系統にあたる[2]。ハプログループBは、約4〜5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアなどといった南方に広まった代表的なグループである[3]。
起源
この型の祖系の「R11'B」は、ヨーロッパの白人の母系などと祖を同じくする「N」型から分岐した系統にあたる[2]。ハプログループBは、約4〜5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアなどといった南方に広まった代表的なグループである[3]。
分布
ハプログループBの分布は、イラン[4]、イラク[5]、華南、チベット、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイ、日本、台湾、フィリピン、ポリネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイなどであり、アメリカ大陸の先住民からも検出される[6][7]。
日本での分布
縄文時代には既にこのB系統が日本列島にいたことが縄文人骨の解析などから明らかとなっており、現在では、特に東京と宮崎で多く検出される[8]。日本人に占める割合はB4(9.1%)、B5(4.3%)である[9]。
B系統の移動と拡散
B5系統は華南を中心に分布している。B4系統は台湾、フィリピン、太平洋島嶼を中心に分布している。ハワイの先住民の9割以上はこの系統であり、アメリカ大陸の先住民族から検出されたB2系統は、このB4系統から分岐した系統であることが明らかとなっている。このB2系統は南アメリカの先住民族からも見つかっている[9]。
B4a1a系統は、オーストロネシア語族の拡散と関連している。…
>M29'Q:オーストラロイドの系統 …
…アジアに見つかりM174という 突然変異マーカー…

ユダヤ人の男性のY染色体の比率  /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffamousdna.wiki.fc2.com%2Fwiki%2FY
J1, J2
J-M267, J-M172 30% 純ユダヤ系

E1b1b1, E1b1b1b2a1a
E-M35.1, E-M34/PF2022, 25%地 中海系

R1b1a1a2
R-M269 15% 欧州系

R1a1a1
R-M417 10% アーリア系

G系統
G-M201 10%

Q1b1a1a
Q-M3 4%

T1a1a
T-L208/Page2 3%

I1, I2a2a
I-M253, I-M223 3% 北欧系

日本人とユダヤ人は、男性だけに伝わる同じYAP遺伝子を持っている!!! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkuhuu.info%2F2017%2F10%2F30%2Fyap%2F
YAPのDは中国人や韓国人にはほとんど見られません。シルクロード添いにチラホラYAP遺伝子が見られ、メソポタミアから東へ東へと、最果ての日本にたどり着き、日本人として生きてきたYAP系の先祖に驚嘆します。YAP遺伝子がない半分の日本人も、そもそも日本人は多様な民族の混血ですし、文化を吸収して日本人として生きてきたわけですから、日本人らしさが、実はYAP遺伝子の形質や文化だとしたら、不思議さと親しみをメソポタミアに感じることでしょう。
YAPはアフリカ北東部辺りで発生した集団に確認され、サハラ以南の アフリカに見られる古代三系統の中では最も一般的です。
やがてYAP系統は、二つの異なるグループに枝分かれします。
一つはハプログループのDで、アジアに見つかりM174という 突然変異マーカーに定義つけられています。もう一つはハプログループEで
主にアフリカや地中海地域に存在し、遺伝子マーカーM96を特徴としています。
YAP経由のDとの違いに注意!
およそ五万年前、中央アジアのステップ地帯で独立したもう一つのM集団は、 東アジアへと向かっていきました。ハプログループDの最初のメンバーになった人々は 東方へ移動し、子孫たちは最終的に両アメリカ大陸へ到着しました。
ハプログループC同様、Dもカスピ海とバイカル湖に挟まれた中央アジアの高原地帯に 住んでいました。
Dは典型的な東ユーラシア系統と見なされ、現在では東アジアの主要ハプログループとして mtDNA遺伝子プールの全体の約20パーセントを構成しています。
中央アジアの故郷から散開したDは北アジア人口の20パーセント以上に存在し、 東南アジアでは約17パーセントの頻度で見られます。
東ユーラシア全域における年代の古さと高い頻度から、この地域に初めて住みついた 人間が運んできた系統という見方が一般的です。
ハプログループDは、ユーラシア大陸を西に進むにつれて徐々に頻度を落としていきます。 中央アジア人の10〜20%はこのハプログループに属していますが 配列のまったく同じいくつかの系統を東アジア人と共有していることから、ごく最近の交流が示されます。
これらの系統は過去5000年以内、おそらくユーラシア大陸全域を結んだ 古代交易路シルクロードの時代に持ち込まれたのだろうと考えられます。
Dもまた北米大陸に渡り、南北アメリカ先住民に見られるmtDNA五系統のうちの一つとなりました。

アイヌと琉球民族は、YAPのプラスと言われています。いわゆる大和民族にはYAPマイナスの人が多い。チベットもYAPマイナスです。あと中国の客家(ハッカ)もYAPマイナスです。それからエチオピアもYAPマイナスです。日本人とチベット人とエチオピア人はほとんど同じってことになります。
つまりイスラエル人とソロモンと日本人もほとんど同じってことになります(笑)





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