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歴史掲示板

9531これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/10/19(土) 22:59:03
Re: ミトコンドリアDNAハプログループG3ガールズ(古人骨復元図は匈奴): 日韓のG3aの直近の祖先は、チンギス・ハーンの祖先の母系バルガ・モンゴル人に決定。
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>??・G3a=13%:内蒙古アロン旗の朝鮮族(女系はオロチョン族由来だろうからオロチョン族で代用)
>??(日本 G3=コンマ以下)
>


日韓のmt-G3aの直近の祖先は、チンギス・ハーンの祖先の母系バルガ人にします!笑
【訂正】内蒙古北東アロン旗辺りにはオロチョン人が住むので、アロン旗のG3aをオロチョン由来としましたが、訂正。

日韓にG3aはコンマ以下で見られますが、アロン旗の朝鮮族のmt-G3a(Gのうち13%)はオロチョン由来ではなく、「バルガ・モンゴル人」(バルグート。以下、バルガ人)由来の可能性が高いです。前投稿の写真The G3a Girlsの最後のオロチョン人をバルガ人に替えることにします(図)。

オロチョン人のGは全てG(xG1a, G2, G3)なので、極北東型のG1bでまず間違いないでしょう。

アロン旗のG3は、オロチョン由来ではなくバルガ人由来でしょう。オロチョン族にG3aはいませんが、バルガ人にはG3aがGのうち7%を占めています。故地はバイカル湖北東部であり、
紆余曲折がありアロン旗があるフルンボイル市に移動して来ました。

地図1=フブスグル人G3a(紀元前1200年前後)、匈奴G3a
2=バルガ・モンゴル人の故地
3=バルガ人のテリトリー
4=バルガ人の移住先、アルン旗G3a
5=Shirenzigou遺跡G3b(紀元前200年頃)
6=参考:黒龍江省富裕県(クルグズ人の居住地)



以下、バルガ人について。
集団名は7世紀に遡る。 "拔野古", "拔野固", "拔曳固"(『旧唐書』)。
バルガとは「最果て」の意味。
モンゴル人がバイカル地域をそう指した。バイカル地域にG3aが多いから、バイカルとバルガと日韓が繋がる。言語はブリャート語の方言らしい。遡れば、匈奴の遺民で、モンゴル語集団ではないだろう。「微妙なモンゴル」であるウリヤンカイと関係する。

チンギス・ハーンの祖先の母系(アラン・ゴア)もバルガ人。
ウィキ
Genghis Khan's ancestor Alan Gua was of Barga ancestry. In the Mongol Empire, they served the Great Khans' armies. One of them named Ambaghai commanded the artillery. Manlaibaatar Damdinsüren was the famous military commander from Barga in the early 20th century.

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アラン・ゴアは北西モンゴル・フブスグルの出身とされ、これにより、フブスグル古人骨で見つかる前匈奴G3aを介して、フブスグル人、モンゴル・バルガ人、日韓のG3aが繋がる。
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The Secret History states that Alan Gua's clan is from a place called Arig usun (= pure water), and some Mongolian authors believe that this refers to the Arig gol in Mongolian Khövsgöl aimag. A statue of her, three metres high, has been erected at the river in 1992, at the confluence with the Khökhöö gol and twelve kilometres from the center of Chandmani-Öndör sum.[2][3]

ウィキ:ボルジギン氏の始祖説話
ボルテ・チノからボドンチャルまでの初期モンゴル部族の系図。
''ボルジギン氏の始祖説話は、チンギス・カンの一代記である『元朝秘史』の冒頭に掲げられたチンギスの系譜伝承に詳しい。
これによれば、その根源は天の命令を受けて生まれ、大湖(バイカル湖)を渡ってオノン川上流のブルカン岳にやってきた「ボルテ・チノ」(「蒼き狼の意)とその妻なる「コアイ・マラル」(「青白き鹿」の意)であった。そしてボルテ・チノの11代後の子孫ドブン・メルゲンは早くに亡くなるが、その未亡人アラン・ゴアは天から届いた光に感じて、夫を持たないまま3人の息子を儲けた。チンギス・カンの所属するボルジギン氏の祖となるボドンチャルはその末子である、という。

この説話は、ボルジギン氏は天の子孫であって、ボルテ・チノを始祖とする他のモンゴル部とはやや出自が異なり、高貴な家柄であることを語ろうとするものと解される。

そして『元史』や『集史』によれば、ボドンチャルの4代目の子孫カイドゥが幼かったとき、一族は契丹(遼)の征伐を受けてボルジギン氏の牧地にやってきたジャライル部族と紛争を起こして、カイドゥを除く家族のほとんどが殺害された。バイカル湖東岸に逃れたカイドゥは、バルグト(現在のブリヤート)の助けを得てこの地に勢力を築いた、という。''

「モンゴル部族の初期系図」を見ると、アラン・ゴアが「日月の精」と交わって系図が続く。これをウィキ先生がいうように「権威化」と見ることもできるが、「男系の断絶・変更」と捉えることも可能だ。そうであれば、「日月の精」なるものはモンゴル語集団なのだろう。

ということで、
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日韓のG3aの直近の祖先はバルガ人に決定。
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G3aはバイカル湖以西・南シベリアでGの100%から40%を占めるがザバイカリエ(バイカル以東)より東では比率を大きく落とす。今回、ザバイカリエ以東のG3aの足取りがトレイスできたことが成果である。

しかし、彼の地に残ったバルガ人G3aは、後にモンゴル諸部族を出すも、歴史に翻弄されることになる。アルグン河東岸にいたがコサックに追われが満洲に移住。17世紀からホルンバイルに居を構えた。これがアロン旗のG3aである。






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