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Re: 「北西モンゴルのフブスグル県で出たmt-G3aは、『ヒルギスール(クルグズ人の墓)』の古代クルグズ(キルギス)人(エニセイ・クルグズ人)!だということが分かりました!
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
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> こちらは、「北西モンゴルのフブスグル県で出たmt-G3a(LBAK)は、『ヒルギスール(クルグズ人の墓)』の古代クルグズ(キルギス)人(エニセイ・クルグズ人)!だということが分かりました!
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> 図2:ヒルギスール
> 図3:オーシギーン・ウブル Uushgiin Ovor 遺跡(フブスグル県)の鹿石
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> 【図1の地図の見方】
> (1) モンゴル北西部フブスグル県の「丸」と「四角」
> ? 丸:鹿石キリグスール複合(Deer Stone-Khirigsuur Complex)文化の埋葬地(紀元前1380年〜紀元前975年)および同地域の匈奴墳墓(紀元前350年〜紀元前150年頃)=mt-G3a。
> ? 四角:エギーン・ゴルの匈奴墳墓=O-M117。
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> (2) 甘粛南東部の「四角」=斉家文化・磨溝遺跡(〜紀元前2500年)、O-M117。
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> で、(1)にキリグスール(Khirigsuur)とあるんだが、Хиргис??р(Khirgisüür)のこと?ならば、クルグズ(キルギス)人と関係ありそうだが?
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お、縄文後期前半の環状列石と石柱によく似てますね!
> 概要
> モンゴル、アルタイ、トゥバ、天山に散見される積石塚。多くの石を積み上げた周りに、さらに石を方形、円形にして囲んだ形状を取っている。積石の高さは最大50mのものがあり、石囲いは広いものだと一辺200m以上になる[2]。その石囲いの外側には、さらに数基〜十数基の石堆が存在する。石囲いの外側にある石堆の数は最多のものでは、1700基にも上る[3]。これらの石堆からは馬の頭蓋骨、頚椎、蹄などが発掘されており、ヘレクスルに埋葬された人間への供物として捧げられたと考えられている[4]。ヘレクスルという言葉は「キルギス人の墓」を意味するヒルギス・フールという言葉に由来し、これを19世紀のロシア人研究者が聞き間違えたことによりヘレクスルという名称が生まれた[5]。鹿の絵が掘り込まれた鹿石と共に発掘されることが多く、鹿石に刻まれている模様が初期スキタイ文化特有のものであることから、ヘレクスルも鹿石同様初期スキタイ時代の紀元前10世紀 - 紀元前6世紀に作られたと考えられている[6]。
この辺も重要だね!
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