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歴史掲示板

9509荊の紀氏:2019/10/17(木) 08:13:40
環状ブロック群における示準的 石器組成…
特定の移動経路において組織的に実行された黒曜石の獲得と消費を司る管理体制が登場するのは, 環状ブロック群の成立を待って少し後のことになる。
後期旧石器時代前半期における 環状ブロック群の多様性と現代人の拡散 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.meiji.ac.jp%2Fcols%2Fenglish%2Fresearch%2F6t5h7p00000de6rx-att%2Fshimada.pdf
島田和高

環状ブロック群とは
旧石器時代の初頭(約3万8千年前〜3万年前)、下総台地を中心に石器ブロックがドーナツ状にめぐる「環状ブロック群」が多く見られています。
これら石器ブロック同士は石器の接合関係や石材の共有が見られることから、同時にまたお互いに関係を持って存在していたことがわかっており、このことから環状ブロック群は大型獣の狩猟・解体を協力して行うため、石器・石材の交換や獲物に関する情報交換などを行うため、一時的に各集団が集まり集団間のつながりを確認したりするために環状集落を形成したものと考えられます。その中で中央の空間は獲物の解体や調理などの日常作業を行う「共有広場」として機能していたものと考えられます。
そして墨古沢遺跡などのような大型の環状ブロック群には100〜150人が暮らしていたと推定されます。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.town.shisui.chiba.jp%2Fdocs%2F2018032900036%2F
環状ブロック群の分布
このように環状ブロック群は日本の旧石器時代の人々の行動やムラの様子を表す資料として非常に重要です。
また千葉県では全国で見つかっている118遺跡146基のうち約半数近くである53遺跡71基が確認されていて(平成31年3月末現在)、千葉県を代表する遺跡ともいうことができます。しかもその多くが印旛沼周辺に展開しています。この下総台地の中心部が、旧石器時代人が行き交う移動経路・情報交換網の交差点だったのでしょうか?

環状ブロック群からは、必ず「局部磨製石斧(ませいせきふ)」という刃先の一部を磨いた特異な石おのが出てくる。世界の考古学の通説では、磨製石器は新石器時代の指標である /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fweb.joumon.jp.net%2Fblog%2F2007%2F02%2F128.html
小菅さんは「集落で男性の世帯主だけが持てるシンボル的なものではないか。だから大型獣が減って大集団の狩りがなくなり、環状ブロックをつくらなくなると、シンボルとして持つ意味もなくなるから、石斧も一緒に消えてしまう」と推測する。確かに約2万8000年前、環状ブロック群と一緒に石斧も出土しなくなる。
土器の前に長い石器時代があったことが伺えます。大型動物を獲得する為に社会組織を作ったという見識はいかにも現代人の生産ありきの発想で閉口??しそうですが、それはそれとして環状に石を配置した2、3万年前の遺跡は何を物語っているのか興味が湧きます。石器時代は日本列島が一番先進地帯と言うのも全く否定はできないかもしれません。新人の流れがアフリカから出て東へ東へ行き着いた果てが日本列島だったとしたら、最もさまざまな環境に適応して生き延びてきた勝ち組???が到着したという発想もなりたつのかもしれません。

山田さんからのお便りです。
投稿者:山田??投稿日:2019年10月16日(水)18時45分2秒
> 下触牛伏遺跡 N36度22分00 E139度11分29.5秒
>        群馬県佐波郡赤堀町大字下触字牛伏
>
> *後期旧石器前半期
> 赤城山の広大な裾野の末端に位置する下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡で、三万年前の石器群が直径五〇メートルのドーナツ状に連なって発見された。
>
> 旧石器で環状ブロック群をなす遺跡が関東平野の広域で多数発掘されている。
>
> 「最近10 年間の議論では, 突発的な遺跡数の増加を背景とし, 後期旧石器時代初頭の段階を
> 代表する実体としての立川ローム層X 層(TcX 層) 石器群に注意が向けられている(伊藤2006, 島立2006,諏訪間2006, 中村2006)。こうした現状は, 「中期/後期旧石器時代移行説」と「TcX 層段階最古説」が併存している状況, と表現することができる」
>
> 「1986 年, 群馬県下触牛伏遺跡第?文化層において環状ブロック群に対する注意が最初に喚起された(岩崎・小島編1986, 中島・軽部1993)。径数メートルの複数ブロックから構成される点では, 通常の旧石器時代遺跡と共通しているが, 下触牛伏遺跡では, 約40 m の環状にブロックが配置されていたことに他と異なる特徴があった。これ以降, 関東平野を中心に下触牛伏と同様の特徴を示す遺物分布が順次集成されていく(橋本1989・1993・2004・2006)。」





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