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歴史掲示板

9508これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/10/17(木) 03:16:31
「北西モンゴルのフブスグル県で出たmt-G3aは、『ヒルギスール(クルグズ人の墓)』の古代クルグズ(キルギス)人(エニセイ・クルグズ人)!だということが分かりました!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010021M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010021_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010021_3M.png

相変わらず皆さん胡散臭いことをしていますね!笑

こちらは、「北西モンゴルのフブスグル県で出たmt-G3a(LBAK)は、『ヒルギスール(クルグズ人の墓)』の古代クルグズ(キルギス)人(エニセイ・クルグズ人)!だということが分かりました!

図2:ヒルギスール
図3:オーシギーン・ウブル Uushgiin Ovor 遺跡(フブスグル県)の鹿石

【図1の地図の見方】
(1) モンゴル北西部フブスグル県の「丸」と「四角」
? 丸:鹿石キリグスール複合(Deer Stone-Khirigsuur Complex)文化の埋葬地(紀元前1380年〜紀元前975年)および同地域の匈奴墳墓(紀元前350年〜紀元前150年頃)=mt-G3a。
? 四角:エギーン・ゴルの匈奴墳墓=O-M117。

(2) 甘粛南東部の「四角」=斉家文化・磨溝遺跡(〜紀元前2500年)、O-M117。

で、(1)にキリグスール(Khirigsuur)とあるんだが、Хиргис??р(Khirgisüür)のこと?ならば、クルグズ(キルギス)人と関係ありそうだが?

と思ってウィキ先生で調べると、アタリですね!!!
ヒルギスール(Хиргис??р〔Khirgisüür〕)が正しいのであって、「クルグズ人の墓」という意味だそうです。

ロシア人がKhirigsuurと聞き間違えて、それが定着してしまったらしい。アホですなァw
日本では「ヘレクスル」で通っている模様。

モンゴル北西部にはヒャルガス湖って湖もあって、古代クルグズ人の本拠があった所だとされる。
古代クルグズ人はトゥヴァ人の形成に関与したと言われる。

となると、このフブスグルで出た前匈奴G3aは、古代クルグズ人だということになります。

そっかー。女系で私は古代クルグズ人かー!
クルグズ人と日本人が元は同じで、魚が好きな連中は日本に行ったというアカエフ初代大統領が作ったアネクドートがあるけど、少なくともG3aについては言えてるかもね!

いずれにしても、これで、古代クルグズ人(あるいは「前クルグズ人」)の姿が分かって来ました。後代、中国文献で、古代クルグズ人は緑眼で高い鼻を持った人たちだと伝えられますが、元来モンゴロイド的な匈奴の中で、西部において西ユーラシア人と混血してコーカソイド化したのが、後の古代クルグズ人の姿ということでしょう。

なお、私の母方の故郷は佐渡である。G3aは私の祖母に由来する。佐渡の外灘の寒村に「韃靼塚」というのがある。佐渡に漂流して水にあたって死んだという異民族は、粛慎人でもアイヌ人でもなく、また韃靼人でもなく、「前匈奴=古代クルグズ人」か匈奴だったっちゃ!
全滅したとされる漂流民は、辛うじて生き残っていたっちゃ!


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参考資料
Bronze Age population dynamics and the rise of dairy pastoralism on the eastern Eurasian steppe, 2018
:To understand the population history and context of dairy pastoralism in the eastern Eurasian steppe, we applied genomic and proteomic analyses to individuals buried in Late Bronze Age (LBA) burial mounds associated with the Deer Stone-Khirigsuur Complex (DSKC) in northern Mongolia (SI Appendix, Figs. S1?S3 and Table S1).

LBAK(後期青銅器時代フブスグル人)
・yDNAは12体中10体が北匈奴のQ1a2。R1a1-Z2123とN1c1a-M178が1体ずつ。
・mtDNAの内訳は、 C(7/20)(C,C4a), D(5/20)(D4,D4j5,D4e1,D5a2a), A(2/20), G(2/20)(G3a,G2a), B5b1(1/20), F2a(1/20), U5(1/20), データなし(1/20)。

もっぱらmt-C4aです。C4aは北アジア・中央アジア・華北中心に欧州にまで見られ、現代クルグズにもCは1割ほどいます。日本のCは0.5%。

Dも5体いますが、D4e1は東欧・中欧、D4j5は東欧・中欧、北アジア、クルグズ、ウイグル等に分布する型で日本には皆無か僅少。Aはサブグループ不明。他は、分布が広くて良く分かりません。

C4aが最重要であることは当然ですが、G3aは現代人の比率が小さいところ、LBAKや匈奴では見られるという点で重要です。C4aやD4j5, D4e1同様にG3aも日本には僅少。

ウィキ
ヘレクスル(ロシア語: Керексуры, Херексуры ; モンゴル語: хэрэгс??р ; ラテン文字転記: khereksur, hereksur)とは、モンゴルの遺跡におけるモニュメント。エジプト文明におけるピラミッド、日本における古墳のような、古代のモンゴルの王権の象徴とされる建造物である[1]。

概要
モンゴル、アルタイ、トゥバ、天山に散見される積石塚。多くの石を積み上げた周りに、さらに石を方形、円形にして囲んだ形状を取っている。積石の高さは最大50mのものがあり、石囲いは広いものだと一辺200m以上になる[2]。その石囲いの外側には、さらに数基〜十数基の石堆が存在する。石囲いの外側にある石堆の数は最多のものでは、1700基にも上る[3]。これらの石堆からは馬の頭蓋骨、頚椎、蹄などが発掘されており、ヘレクスルに埋葬された人間への供物として捧げられたと考えられている[4]。ヘレクスルという言葉は「キルギス人の墓」を意味するヒルギス・フールという言葉に由来し、これを19世紀のロシア人研究者が聞き間違えたことによりヘレクスルという名称が生まれた[5]。鹿の絵が掘り込まれた鹿石と共に発掘されることが多く、鹿石に刻まれている模様が初期スキタイ文化特有のものであることから、ヘレクスルも鹿石同様初期スキタイ時代の紀元前10世紀 - 紀元前6世紀に作られたと考えられている[6]。






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