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Y染色体ハプログループC1b3、MS、K*、H
ロヒンギャ問題 深刻化するアジアのユダヤ人!! ロヒンギャの悲劇とは!?
深刻化するアジアのユダヤ人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fasianwaker.com%2F2017%2F09%2F01%2Frohingya-people%2F%23i
ロヒンギャとは、ビルマ、ミャンマー連邦共和国の西部ヤカイン州とバングラデイッシュとの国境地帯に住んでいるイスラム教徒(ムスリム)のことを指します。
約100万人以上いると言われていますが、実際にはもっといるというのが定説です。ちなみに、ミャンマー人に占めるムスリムの割合は、全体の4%程度です。
ミャンマー政府の見解は、そもそも、ロヒンギャなど存在していないとしています。ロヒンギャは、もとよりミャンマー人ではないと考えているのです。
ロヒンギャは、ベンガル人であり、バングラディシュからの不法移民であるという認識を示しています。
ベンガル人 (バングラデシュの主要民族/ドラヴィダ人とインド・アーリア人 などの混血民族) ロヒンギャ族(ミャンマーのベンガル系少数民族 )
オーストラロイド(英: Australoid)は、人種概念の一つで、コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドと並び四大人種と呼ばれる。オーストラリア大陸、ニューギニア、メラネシアを中心としたオセアニア州及びスンダ列島、フィリピン、タイ、スリランカ、ムンバイを中心としたインド西南部から南部などの東南アジアから南アジアにかけての地域に分布する。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ユーラシア大陸に進出した人類のうち、7 - 5万年前[1]にインド南部の海岸地帯からスリランカ・スンダ列島を経由しサフール大陸(ニューギニア・オーストラリア大陸を中心とした現在のオセアニア地域。サフル大陸とも)に進出した人類の子孫と考えられている[要出典]。
オーストラロイドは一見、地域ごとに人種が枝分かれする以前の、初期ホモ・サピエンスの特徴を残しているようにも見え、しばしば「原始人種」などと呼ばれることがあった[2]。しかし遺伝的には初期人類との隔たりが大きく、かつミトコンドリアDNAや核DNA解析に基づいた分子系統樹では、西ユーラシア人(コーカソイド)から[1]あるいは東ユーラシア人(モンゴロイド)から[3]分岐したことが示されており、過酷な環境への適応によって形成された特殊な文化的なイメージと形質からそのような誤解を持たれているに過ぎない。
オーストラロイドは、ネグロイドと同等程度に皮膚の色が極めて濃い。肌の色とは対照的であるが、髪の色が明色で金髪という個体がアボリジニやメラネシア人の女性や子どもによく見受けられる。なお髪の色は成長するにしたがってしだいに黒くなっていく。
かつては肌色などの外見的特徴からネグロイドに含まれていたことがあり、特にメラネシア人などは「大洋州ニグロ」とも呼ばれていたが、本来のネグロイド(サハラ砂漠以南のアフリカ先住民)とは頭髪の性質(ネグロイドは誕生時から巻きが強いが、メラネシア人は2〜5歳頃からまき始める)・血液型分布などが異なり、少なくとも1960年代後半には別系統という説が強くなり、現在はアボリジニなどとともに独自のグループに入れられている[4]。
なお、最近の解析では、オーストラリア先住民とインド南部のベッドイドとの間には、頭蓋骨の形態に大きな差異があることがわかった[5]。
オーストラロイドは出アフリカ後にイラン付近からインドを通ってオーストラリアに至る「南ルート」をとった集団である。人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてC1b3、MS、K*、Hなどが挙げられる[6]。
オーストラロイドに属す主な民族は以下の通り[7]。
アボリジニ
パプア人
ネグリト
ヴェッドイド(ヴェッダ人、ドラヴィダ人、ムンダ族等)
東南アジアの島々やインドシナ半島内の各地に散在する諸集団には、オーストラロイド的な痕跡があるとされる。
インドの先住民はドラヴィダ族だと言われていますが、この民族の多くはタミル・ナドゥ州、ケーララ州などのインド南部に多く住み、肌の色が黒いことが特徴的です。
インドのY遺伝子分布(基礎情報) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.rui.jp%2Fruinet.html%3Fi%3D200%26c%3D400%26m%3D244441
「現代インド人・パキスタン人のY染色体分布」(意訳)リンクから、インド人のY染色体は主に”H, H1, J2b2, L1,O2a, R1a1, R2”で構成されていることが分かります(他サイトの情報も一致)。なので、以下に各ハプロタイプごとの特徴を記述します。
※記述の少ないH1,J2は割愛。
H1,J2…ドラヴィダ人(カースト)19%
ハプログループ J-M304 ハプログループJの分布 推定発生時期 48,000年前 [1] 推定発生地 西アジア 親系統 IJ 子系統 J1,J2 定義づけられる変異 M304/Page16/PF4609, 12f2.1
大きくJ1とJ2にわかれる。J1はアラブ人に多くみられ、アラビア半島や北アフリカで多い。J2は肥沃な三日月地帯からトルコ、ヨーロッパの地中海沿岸、中央アジア、南アジアなどに多い。J1は南東人種、J2はアルメノイドの分布と概ね相関している。コーカサスでは民族や地域間の差が大きいが、全体的に見ればJ1もJ2も多い地方の一つとして挙げられる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
J*[編集]
ソコトラ島71.4%[2]
J1系統[編集]
イエメン76%[3][4]、サウジアラビア64%、クウェート58%[5]、ダゲスタン56%[6]、アルジェリア35%[7]、イラク33%[8]、チュニジア31%[9]、リビア30.5%[10]、シリア30%、エジプト20%[11]、アシュケナジーユダヤ人20%[12]など。
J2系統[編集]
イングーシ人88.8%[13]、グルジア北東部72%[14]、チェチェン人56.7%[15]、イタリアCentral Marche 35.6%[16]、ウイグル人34%[17]、ウズベク人30.4%、キプロス30-37%[18]、レバノン30%[19]、イラク(アッシリア人、マンデ人、アラブ人)29.7%[20]、シチリア島22.6%[21]、アゼルバイジャン人24%-48%、シリア22.5%、クルド人24-28%、イラン人23%[22]、トルコ24.6%[23]、ギリシャ・クレタ島35%[24]、アシュケナジーユダヤ人24%、セファルディーユダヤ人29%、ドラヴィダ人(カースト)19%[25] など。
H1はベルベル人とバスク人に高頻度であり、おそらくハプログループR1b (Y染色体)の流れと関連している
ハプログループH (mtDNA)は分子人類学におけるミトコンドリアDNAハプログループの一タイプであり、ハプログループHVの子型のうち「G2706A, T7028C[1]」で定義されるもの。西南アジアにおいて[2]、25000-20000年前に誕生したと考えられている。ヒトミトコンドリアDNAの参照配列として用いられているケンブリッジ参照配列は、このハプログループ(詳細にはH2a2a1)に属している。
ハプログループHはヨーロッパ人に最もよくみられるタイプであり、中東からヨーロッパ、北アフリカにかけて広範囲かつ高頻度に分布する。ヨーロッパ人の41%がハプログループHに属す[3][4]。下位系統のH1はベルベル人とバスク人に高頻度であり、おそらくハプログループR1b (Y染色体)の流れと関連している[5]。
H
H1:ベルベル人14~61%、バスク人最大27.8%[6]などヨーロッパに広く見られる。
H3:バスク人に13.9%など[7]。
H5:西アジア、コーカサス
^ ベルベル人はハプログループE1b1b (Y染色体)が高頻度であるが、ハプログループH1 (mtDNA)を高頻度で持ち、遺伝的にはネグロイド(E1b1b(Y-DNA))とコーカソイド(H1(mtDNA))の混血と言える。H1(mtDNA)の対のタイプであるR1b(Y-DNA)はレバントからエジプト、スーダンを通ってカメルーン付近にいたり、現在はチャド語派の民族に高頻度に見られるが、R1b(Y-DNA)-H1(mt-DNA)集団がエジプト・スーダン付近に到達した際に、南方からやってきたアフロ・アジア系E1b1b(Y-DNA)(ネグロイド)と、元来R1b(Y-DNA)の対であったH1(mtDNA)(コーカソイド)が混合し、E1b1b(Y-DNA)とH1(mtDNA)をもつ現在のベルベル人が形成されたと考えられる。またベルベル人はコーカソイド系U6(mtDNA)もある程度の頻度で持ち、H1(mtDNA)と同じ挙動が想定できる。
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Y染色体ハプログループC1b3、MS、K*、H
インドの民族〜ドラヴィダ人はシュメール人とどの民族の混血か? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.rui.jp%2Fruinet.html%3Fi%3D200%26c%3D400%26m%3D241403
ロヒンギャ問題 深刻化するアジアのユダヤ人!! ロヒンギャの悲劇とは!?
深刻化するアジアのユダヤ人 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fasianwaker.com%2F2017%2F09%2F01%2Frohingya-people%2F%23i
ロヒンギャとは、ビルマ、ミャンマー連邦共和国の西部ヤカイン州とバングラデイッシュとの国境地帯に住んでいるイスラム教徒(ムスリム)のことを指します。
約100万人以上いると言われていますが、実際にはもっといるというのが定説です。ちなみに、ミャンマー人に占めるムスリムの割合は、全体の4%程度です。
ミャンマー政府の見解は、そもそも、ロヒンギャなど存在していないとしています。ロヒンギャは、もとよりミャンマー人ではないと考えているのです。
ロヒンギャは、ベンガル人であり、バングラディシュからの不法移民であるという認識を示しています。
ベンガル人 (バングラデシュの主要民族/ドラヴィダ人とインド・アーリア人 などの混血民族) ロヒンギャ族(ミャンマーのベンガル系少数民族 )
オーストラロイド(英: Australoid)は、人種概念の一つで、コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドと並び四大人種と呼ばれる。オーストラリア大陸、ニューギニア、メラネシアを中心としたオセアニア州及びスンダ列島、フィリピン、タイ、スリランカ、ムンバイを中心としたインド西南部から南部などの東南アジアから南アジアにかけての地域に分布する。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ユーラシア大陸に進出した人類のうち、7 - 5万年前[1]にインド南部の海岸地帯からスリランカ・スンダ列島を経由しサフール大陸(ニューギニア・オーストラリア大陸を中心とした現在のオセアニア地域。サフル大陸とも)に進出した人類の子孫と考えられている[要出典]。
オーストラロイドは一見、地域ごとに人種が枝分かれする以前の、初期ホモ・サピエンスの特徴を残しているようにも見え、しばしば「原始人種」などと呼ばれることがあった[2]。しかし遺伝的には初期人類との隔たりが大きく、かつミトコンドリアDNAや核DNA解析に基づいた分子系統樹では、西ユーラシア人(コーカソイド)から[1]あるいは東ユーラシア人(モンゴロイド)から[3]分岐したことが示されており、過酷な環境への適応によって形成された特殊な文化的なイメージと形質からそのような誤解を持たれているに過ぎない。
オーストラロイドは、ネグロイドと同等程度に皮膚の色が極めて濃い。肌の色とは対照的であるが、髪の色が明色で金髪という個体がアボリジニやメラネシア人の女性や子どもによく見受けられる。なお髪の色は成長するにしたがってしだいに黒くなっていく。
かつては肌色などの外見的特徴からネグロイドに含まれていたことがあり、特にメラネシア人などは「大洋州ニグロ」とも呼ばれていたが、本来のネグロイド(サハラ砂漠以南のアフリカ先住民)とは頭髪の性質(ネグロイドは誕生時から巻きが強いが、メラネシア人は2〜5歳頃からまき始める)・血液型分布などが異なり、少なくとも1960年代後半には別系統という説が強くなり、現在はアボリジニなどとともに独自のグループに入れられている[4]。
なお、最近の解析では、オーストラリア先住民とインド南部のベッドイドとの間には、頭蓋骨の形態に大きな差異があることがわかった[5]。
オーストラロイドは出アフリカ後にイラン付近からインドを通ってオーストラリアに至る「南ルート」をとった集団である。人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてC1b3、MS、K*、Hなどが挙げられる[6]。
オーストラロイドに属す主な民族は以下の通り[7]。
アボリジニ
パプア人
ネグリト
ヴェッドイド(ヴェッダ人、ドラヴィダ人、ムンダ族等)
東南アジアの島々やインドシナ半島内の各地に散在する諸集団には、オーストラロイド的な痕跡があるとされる。
インドの先住民はドラヴィダ族だと言われていますが、この民族の多くはタミル・ナドゥ州、ケーララ州などのインド南部に多く住み、肌の色が黒いことが特徴的です。
インドのY遺伝子分布(基礎情報) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.rui.jp%2Fruinet.html%3Fi%3D200%26c%3D400%26m%3D244441
「現代インド人・パキスタン人のY染色体分布」(意訳)リンクから、インド人のY染色体は主に”H, H1, J2b2, L1,O2a, R1a1, R2”で構成されていることが分かります(他サイトの情報も一致)。なので、以下に各ハプロタイプごとの特徴を記述します。
※記述の少ないH1,J2は割愛。
H1,J2…ドラヴィダ人(カースト)19%
ハプログループ J-M304 ハプログループJの分布 推定発生時期 48,000年前 [1] 推定発生地 西アジア 親系統 IJ 子系統 J1,J2 定義づけられる変異 M304/Page16/PF4609, 12f2.1
大きくJ1とJ2にわかれる。J1はアラブ人に多くみられ、アラビア半島や北アフリカで多い。J2は肥沃な三日月地帯からトルコ、ヨーロッパの地中海沿岸、中央アジア、南アジアなどに多い。J1は南東人種、J2はアルメノイドの分布と概ね相関している。コーカサスでは民族や地域間の差が大きいが、全体的に見ればJ1もJ2も多い地方の一つとして挙げられる。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
J*[編集]
ソコトラ島71.4%[2]
J1系統[編集]
イエメン76%[3][4]、サウジアラビア64%、クウェート58%[5]、ダゲスタン56%[6]、アルジェリア35%[7]、イラク33%[8]、チュニジア31%[9]、リビア30.5%[10]、シリア30%、エジプト20%[11]、アシュケナジーユダヤ人20%[12]など。
J2系統[編集]
イングーシ人88.8%[13]、グルジア北東部72%[14]、チェチェン人56.7%[15]、イタリアCentral Marche 35.6%[16]、ウイグル人34%[17]、ウズベク人30.4%、キプロス30-37%[18]、レバノン30%[19]、イラク(アッシリア人、マンデ人、アラブ人)29.7%[20]、シチリア島22.6%[21]、アゼルバイジャン人24%-48%、シリア22.5%、クルド人24-28%、イラン人23%[22]、トルコ24.6%[23]、ギリシャ・クレタ島35%[24]、アシュケナジーユダヤ人24%、セファルディーユダヤ人29%、ドラヴィダ人(カースト)19%[25] など。
H1はベルベル人とバスク人に高頻度であり、おそらくハプログループR1b (Y染色体)の流れと関連している
ハプログループH (mtDNA)は分子人類学におけるミトコンドリアDNAハプログループの一タイプであり、ハプログループHVの子型のうち「G2706A, T7028C[1]」で定義されるもの。西南アジアにおいて[2]、25000-20000年前に誕生したと考えられている。ヒトミトコンドリアDNAの参照配列として用いられているケンブリッジ参照配列は、このハプログループ(詳細にはH2a2a1)に属している。
ハプログループHはヨーロッパ人に最もよくみられるタイプであり、中東からヨーロッパ、北アフリカにかけて広範囲かつ高頻度に分布する。ヨーロッパ人の41%がハプログループHに属す[3][4]。下位系統のH1はベルベル人とバスク人に高頻度であり、おそらくハプログループR1b (Y染色体)の流れと関連している[5]。
H
H1:ベルベル人14~61%、バスク人最大27.8%[6]などヨーロッパに広く見られる。
H3:バスク人に13.9%など[7]。
H5:西アジア、コーカサス
^ ベルベル人はハプログループE1b1b (Y染色体)が高頻度であるが、ハプログループH1 (mtDNA)を高頻度で持ち、遺伝的にはネグロイド(E1b1b(Y-DNA))とコーカソイド(H1(mtDNA))の混血と言える。H1(mtDNA)の対のタイプであるR1b(Y-DNA)はレバントからエジプト、スーダンを通ってカメルーン付近にいたり、現在はチャド語派の民族に高頻度に見られるが、R1b(Y-DNA)-H1(mt-DNA)集団がエジプト・スーダン付近に到達した際に、南方からやってきたアフロ・アジア系E1b1b(Y-DNA)(ネグロイド)と、元来R1b(Y-DNA)の対であったH1(mtDNA)(コーカソイド)が混合し、E1b1b(Y-DNA)とH1(mtDNA)をもつ現在のベルベル人が形成されたと考えられる。またベルベル人はコーカソイド系U6(mtDNA)もある程度の頻度で持ち、H1(mtDNA)と同じ挙動が想定できる。
ハプログループRの子型のうち「11467, 12308, 12372」で定義
定義づけられる変異 11467, 12308, 12372 [3] ハプログループU (mtDNA) は分子人類学におけるミトコンドリアDNAハプログループの一タイプであり、ハプログループRの子型のうち「11467, 12308, 12372」で定義づけられるものである ...
アンダマン ドラヴィダ族
アンダマン諸語(Andamanese languages)は、今日インド領であるアンダマン諸島で話されている言語の総称である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
大アンダマン語族は音韻的な特徴や人類学的な見地から、パプア諸語、オーストラリア諸語、タスマニア語と合わせてインド・太平洋大語族を形成するという説がある。オンガン語族はオーストロネシア語族と関係があるとする説があるが、証明されていない。また、大アンダマン語族とオンガン語族の関係性は知られていない。センチネル語についてはオンガン語族に近縁とも推測されるが、研究が全くなされておらず、不明である。
なお、南に隣接するニコバル諸島の言語(ニコバル諸語)は、オーストロアジア語族である。
オンガン語族(Ongan)
ジャラワ語(Jarawa) 300人(ジャラワ族) アンダマン島、ルトランド島、南アンダマン島、中アンダマン島
オンゲ語(Onge) 96人(オンゲ族) 南アンダマン島Dugong Creek及びサウス・ベイ島
ジャンギル語(Jangil)†死語
センティネル語(Sentinel) センチネル族101人 北センティネル島
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アンダマン ドラヴィダ族
アンダマン諸語(Andamanese languages)は、今日インド領であるアンダマン諸島で話されている言語の総称である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
大アンダマン語族は音韻的な特徴や人類学的な見地から、パプア諸語、オーストラリア諸語、タスマニア語と合わせてインド・太平洋大語族を形成するという説がある。オンガン語族はオーストロネシア語族と関係があるとする説があるが、証明されていない。また、大アンダマン語族とオンガン語族の関係性は知られていない。センチネル語についてはオンガン語族に近縁とも推測されるが、研究が全くなされておらず、不明である。
なお、南に隣接するニコバル諸島の言語(ニコバル諸語)は、オーストロアジア語族である。
オンガン語族(Ongan)
ジャラワ語(Jarawa) 300人(ジャラワ族) アンダマン島、ルトランド島、南アンダマン島、中アンダマン島
オンゲ語(Onge) 96人(オンゲ族) 南アンダマン島Dugong Creek及びサウス・ベイ島
ジャンギル語(Jangil)†死語
センティネル語(Sentinel) センチネル族101人 北センティネル島
ジャラワ ジャンギル
ジャンギル族(Jangil) は(ラトランドジャラワ族)は、ベンガル湾にあるアンダマン諸島の先住民族の一つで、既に消滅した民族である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
彼らはルトランド島(英語版)の内部に分布しており、近隣のジャラワ族と関係があると考えられていたため、ルトランドジャラワという名前が付けられた。19世紀半ばに最初に外の人々と出会い記録されたため、彼らとの直接の接触はほとんどなく、彼らは一般にそのような出会いを避けようとした。部外者(イギリス人とインド人の入植者)がジャンギル族に遭遇した報告例は少数しかない。最後の接触は1907年であり、1920年代には、島の内部に送られた遠征隊はジャンギル族の存在を確認することができなくなっていた。彼らの絶滅は、自然免疫を持たない病気が導入された結果である可能性が高い[1]。
ジャンギル語は判読されていないが、ジャラワ語との顕著なつながりがあったと報告されている。
ジャラワ族(Jarawa、またはジャルワJarwa)とは、インド領アンダマン諸島に住む先住部族の一つである。ジャラワ語を話す。現在の人口は250から400人と推定されている。ジャラワ族は、部外者に対して極度の警戒心と敵意を持っているので、彼らの文化・言語・生活様式などは、ほとんど知られていない。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhowlingpixel.com%2Fi-ja%2F
ジャラワ族の体格は小柄で、非常に黒い肌、二重瞼の目、黒い縮れた髪をしている。現在、アンダマン諸島はインドに属しており、インド政府は、部外者の出入りを統制している。アンダマンの他の種族であるオンゲ族と異なり、インド政府からの管理者さえも激しい抵抗のために彼らと接触できないこともある。
ジャラワ族は、アンダマン諸島の他の先住部族たちと同じく、地球上で最も孤立した種族の一つで、外部との接触をほとんどせずに生活してきた。
ジャラワ族のY染色体ハプログループは出アフリカ後に北ルート[1]をとったハプログループD1a3のみで占められる(4/4)[2][3]。
センチネル族
センチネル族(Sentinelese people)は、インド洋東部のアンダマン諸島に浮かぶ北センチネル島に住む先住民族。人口は250人ほどとされる。今もなお石器時代の生活を維持する世界で唯一の民族と言われ、外部との接触を拒否する生活を続けており、インド政府も干渉をしない意向を示している。
センチネル語を話すが、島の外部でセンチネル語を解する者はおらず、インド政府ですらセンチネル族と会話でコミュニケーションを取ることは不可能である [1] [2]。 地理的にはジャラワ族やオンゲ族と同系統とも推定されているが、データが存在しないので何も言えない状態である。
関連する民族
ジャラワ族、オンゲ族、大アンダマン人
一般的に言うアジアの範囲は広大であり、トルコ人・アラブ人・ペルシア人・インド・アーリア人のようなコーカソイド(広義の白人)、スリランカ・スンダ列島のオーストラロイド(タミル人等)、東アジアを中心としたモンゴロイド(黄色人種、東洋人)等、多種の人種が住むだけでなく、民族的・文化的にも多種多様である。それゆえ、本来は同じアジア系民族として、一纏めに分類できるものではない。
大スンダ列島
南緯7度29分30秒 東経110度00分16秒
スンダランド文明の末裔と思われる民族は、縄文人に似たモンゴロイドで、日本人、ブリヤート人、チベット人、エスキモー、ペルー先住民などでしょう。
隠岐、出雲の重要さ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pipi.jp%2F%7Eexa%2Fkodai%2Froots.html
スンダランドの水没によって住む土地を奪われた民族が、すぐ北の日本に移住したのではないか、という可能性です。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pipi.jp%2F%7Eexa%2Fkodai%2Froots.html
遺跡から発見された丸石。ヘブライ語が記されている。
淡路島のユダヤ遺跡 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fgakkenmu.jp%2Fcolumn%2F12385%2F
「驚きました。ヘブライ語の文字が記された古代日本の遺物を目にしたのは初めてです」
謎の女陰石
四洲園にある謎の遺物こそ、捜し求めるユダヤの遺跡に違いない。そう確信した白山は調査を重ね、終戦の前年、すなわち1944年8月、日本政府情報局を通じて欧米のユダヤ教徒らに「聖書に啓示されている合図の旗」と題するメッセージを送った。
折しもシオニズム運動が高まり、1948年にはイスラエルを建国するユダヤ人たちのなかには日本に注目する者も現れる。GHQ総司令部のユダヤ教ラビ、ミルトン・J・ローゼンも、そのひとり。彼は白山のメッセージを受け取り、ついには淡路島へとやってくる。
1952年10月14日、ローゼンが見守る中、白山は伊勢古事記研究会の武智時三郎らとともにユダヤ遺跡の発掘調査を開始する。出てきたのは、岩の割れ目を利用した女陰石だった。
かつて中に入ったことのある女性の話では、青い玉石が埋められており、ほかに小石が8個ほどあったといい、全体を覆っていた岩蓋にはユダヤの象徴にして、イスラエルの国旗にも描かれるダビデの星に似た図形が刻まれていたという。
女陰石は豊穣のシンボルであり、小石を子種とすれば、まさしく『旧約聖書』の「創世記」にある「産めよ増えよ」という絶対神ヤハウェの神託を意味していると考えられている。
ダビデの星の指輪
淡路島は「阿波への道の島」である。四国には同じくユダヤ伝説があることで知られる剣山がある。かつて聖書研究家の高根正教は剣山にソロモンの秘宝、すなわち契約の聖櫃アークが眠っているとし、本格的な発掘調査をした結果、人工的な地下洞窟とミイラ及び遺物を発見したという。
高根は四国剣山顕彰学会を立ち上げ、その遺志は息子の高根三教に受け継がれるのだが、その一環で淡路島のユダヤ遺跡も訪れ、1996年に再発掘調査を行っている。残念ながら、めぼしい成果もなく、後日、埋め戻されることになるのだが、その際、実は驚くべき発見があった。
作業に当たっていた井上正氏(現・四国剣山顕造学会)が熊手を持ち帰って洗ったところ、爪の先に挟まっていた土塊から指輪が2個出てきたのだ。しつらえた玉石には、それぞれダビデの星と鹿らしき動物が彫刻されている。ダビデの星はいうまでもないが、鹿はイスラエル12支族のひとつ、ナフタリ族の紋章である。
・・・・
ヘブライ文字が書かれた石
井上氏が発見したのは指輪だけではない。作業が終わると、ちょうど漬物石によさそうな石があったので、洗って乾かしたところ、表面に文字が浮かび上がってきた。見慣れない文字で、どうもヘブライ文字らしい。その下には、女陰と思われる絵も描かれている。
元駐日大使エリ・コーヘン氏によると、文字はヘブライ語で「ガル・コディッシュ」と発音し、「聖なる石山(立石)」もしくは「聖なる波」を意味するという。波打ち際に近く、石によって構成されているユダヤ遺跡を表現したのだろうか。
女陰の絵も、やはりユダヤ遺跡の女陰石を想起させる。思えば、淡路島は日本神話におけるオノコロ島でもある。イザナギ命が天沼矛を海に刺した際、こぼれた滴が固まってできたという説話は、ある意味、男女のまぐわいを象徴してるのかもしれない。その意味で、淡路島に女陰を象った遺跡があるのも、古代海人族=イスラエル人らの思想が反映しているのかもしれない。
預言者ダニエルはメシアが現れるのは、再建の詔が発せられて69週目であると語る。1週を1年と解釈すれば、イスラエルが再建された1948年から69年目の2017年、いよいよ預言が成就するのか。
イスラエルの建国記念日である5月14日に日本と深い絆の象徴である淡路島のユダヤ遺跡の祭典が行われ、貴重な遺物が一般公開された今、時代の歯車が大きく動きだし、新たな国生みが始まろうとしているのではないだろうか。
(ムー2017年8月号より抜粋)
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「速読」全体像を記憶するためのもっとも簡単な方法の1つ
「速読」は科学的に不可能だと証明される。最も有効なのは「飛ばし読み」スキルを上げること 関連するオススメ
速読は「本を読むスピードは上がるが、理解度は低下する」
科学的に効率よく本を読む方法や、本の内容を頭の中に残すための方法はありますので、何度も読み返すことなく早く本を読むことができるという意味では速読とも言えます。そういう意味ではなく、一冊を1分で読めるようになるというような速読は全て嘘です。研究により、そのようなトレーニングは全て意味がないということが分かっています。速読として有名なテクニックは、満足度を上げるけれど理解度を下げてしまいます。つまり、読んだ気分になってしまうだけということです。
近年、脳の活性化や学力のアップのために速読することが推奨されています。速読とは文字通り本を読むスピードを上げる訓練のことで、速読をすることでより速く文章を読むことができるようになります。
弱点1)勉強している実感が薄い
弱点2)記憶した実感が薄い
速読は文章の文字を1文字ずつ追いかけるのではなく、全体的な印象をイメージで覚えて読み進める方法がほとんどです。そのため、速読をしている人達は理論的な考えをする際に使う左脳よりも、創造的な考えをする際に使う右脳で覚えているのです。
ただし、右脳で記憶する場合、左脳と違って細かい部分まで記憶している実感が薄い印象を持ってしまいます。一字一句逃さず覚える左脳とは違い、右脳はあくまでも感覚や感情によって記憶するため、非常に記憶が曖昧な感じがするのです。
そのため、速読を始めた当初は「本当にこんなんで大丈夫なの?」という不安を感じる人もいます。特にガチガチの理論派や理系タイプの人にはこうした記憶の仕方が性格的に合わないかもしれません。
しかし、実際は左脳を使うよりも右脳を使って覚えたほうが忘れにくくすぐに思い出しやすい傾向があります。「努力ゼロでも忘れることなく記憶できる究極の暗記方法」で紹介している方法も主に右脳を使って記憶する方法を応用したものです。
最初から細かい部分まで記憶するよりも、まずは全体を掴んでから徐々に焦点を絞って覚えていった方がとても効率的です。速読は、全体像を記憶するためのもっとも簡単な方法の1つともいえるでしょう。
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Re: ? ジ(姒 )…
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009570M.jpg
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/gimonfolda/gimonn08.htm
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Re: 「速読」全体像を記憶するためのもっとも簡単な方法の1つ
荊の紀氏さんへのお返事です。
> 「速読」は科学的に不可能だと証明される。最も有効なのは「飛ばし読み」スキルを上げること 関連するオススメ
>
何度も言いますが、他の人に長文や速読を強要しないようにお願いします・・。
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Re: (無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009572M.jpg
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
キシ氏は、AI君を餌にコピペを増幅させてるの、あんたは餌・・・
餌に毒でもいれたれ、ハプログループAなら、コピペできないぞ、ハプログループQはお手上げでしたな、
> 管理人さん、キシ氏のビョーキ再発です!www
>
> 秦野みたいに何の論拠もなしに自分の奇説をポンと出しっぱなしというのも問題だが、
> 君のコピペ三昧スタイルも大いに問題がある。何を主張したいのかコチラには全く伝わらない。
> 最後に所見でも書けないかな?
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ユーラシアン・アダム 「A」と「B」はCTの子孫ではない。
ユーラシアン(Eurasian)またはユーラシア人、欧亜混血(おうあこんけつ)は、ヨーロッパ人とアジア人との混血の人々。人種的にはコーカソイドとモンゴロイドの混血の人々を指す。元来ユーラシアンと呼ばれる人々は中央アジア(トルキスタン)のテュルク系民族や西シベリアのウラル系民族(ウゴル語族など)である。近年は国際結婚などでユーラシアンは増加している。シンガポールなどの海峡植民地にはポルトガル系、オランダ系のユーラシア人が多い[1]。
ハプログループは「A」と「B」はCTの子孫ではない。CTの子孫のうち、「E」以外の系統は出アフリカを果たし、「E」はアフリカにとどまった。すなわち「A」、「B」、「E」が非出アフリカ組、「D」、「CF」が出アフリカ組である。。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ユーラシア大陸のみならず、南北アメリカ大陸や、オーストラリア大陸、アフリカ大陸に住む、ネグロイド(E系統)、コーカソイド、オーストラロイド、モンゴロイドの総ての共通祖先となる男性
ハプログループCT (Y染色体)とは、父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「M168」のSNPを持つ集団のことである。一部のアフリカ人以外の総ての人類共通祖先の男性のY染色体の型である。ユーラシアン・アダムとも呼ばれる。
ハプログループCTは、初期に分岐したアフリカ人の系統[1]以外の総ての人類の父系の共通祖先の男性のY染色体のDNA塩基配列のSNP(一塩基多型)であり、このSNPを有する人々(ハプログループ)の名称である。
旧約聖書に出てくる人類共通祖の「アダム」という男性になぞらえて、通称「ユーラシアン・アダム(ユーラシア大陸に於けるY染色体アダム)」と呼ばれているが、ユーラシア大陸のみならず、南北アメリカ大陸や、オーストラリア大陸、アフリカ大陸に住む、ネグロイド(E系統)、コーカソイド、オーストラロイド、モンゴロイドの総ての共通祖先となる男性である。
ハプログループCTを定義づける変異「M168」は、今より6万年から7万9000年前頃にエチオピアからスーダンの辺りにいた一人の男性に生じた。Y染色体上のDNA塩基配列の変異「M168」を、一部のアフリカ人以外の全人類の男性は受け継いでいる。これは、アフリカ人の一部のハプログループ「A系統」と「B系統」はそれ以前に、分岐した種族であることを示している。
その後、ハプログループCTの子孫のうちDE系統の一部(アフリカ東部に留まった残りの一部はE系統となった)およびCF(C系統やI系統、J系統、N系統、O系統、R系統、Q系統の祖形)は気候の変動に従い、アフリカ大陸の東部、現在のジブチからエリトリアの辺りから紅海(バブ・エル・マンデブ海峡)を渡って、現在のイエメン南部に到達し、出アフリカを果たした。この子孫たちはサハラ砂漠以南以外の全世界に伝播し繁殖していったと思われる。
アフリカ東部に留まった残りの一部はE系統となった…
ハプログループE (Y染色体)
アフロ・アジア語族に関連するタイプであり、特にベルベル人に80-93% [7] と高頻度である。下位系統E1b1b1a1b1-V13がアルバニアで高頻度であり [8] 、有史以前のある時期にエジプト付近からの直接渡来が存在したようである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fwkpja%2Fcontent%2F
アフロアジア語族の伝播
アフロ・アジア語族に関連するタイプであり、特にベルベル人に80-93%[7]と高頻度である。下位系統E1b1b1a1b1-V13がアルバニアで高頻度であり[8]、有史以前のある時期にエジプト付近からの直接渡来が存在したようである。ヨーロッパで見られるタイプはほとんどがこのE-V13系統またはE-M123系統である。また話者の多くがR1bとなっているチャド語派の元来の担い手はカメルーン北部にのみ低頻度に見られるE-V259と考えられる。
ベルベル人
ベルベル人は遺伝的にヨーロッパ系でありアフリカ系(及び若干の西アジア系)…
「Y染色体のハプログループEはベルベル人でもっとも一般的で、いくつかのベルベル人集団の87%以上を占める。Eグループは下サハラ系アフリカ人に由来し、のちに北アフリカに広がったと考えられている。……JグループやR1グループのようなユーラシア系ハプログループは低いか中程度に観察される。」
「Mozabite(地域名だと思われるが訳語不明)ベルベル人のミトコンドリアDNAの三分の一は近東の祖先に由来する。おそらく5万年前までに北アフリカに到達した。そして八分の一が下サハラ系である。残りの多くがヨーロッパ系のようで、ヨーロッパか近東に由来するようである。」
結論から言えば、形質的にはコーカソイドと説明するのは現代的ではないですね。見た目は判断基準にならないのですから。そして分類上ネグロイドというのは単純化しすぎであることがわかります。たとえば日本人とフランス人の間の子供が遺伝的には日本人でありフランス人である(どちらか一方ではあり得ない)のと同様に、ベルベル人は遺伝的にヨーロッパ系でありアフリカ系(及び若干の西アジア系)であると考えるのが正しい答えになりそうです。
E1b1b1a3
フェニキア人のY染色体DNAハプログループはE1b1b1a3、一般のユダヤ人はJ2aが多いがフェニキア人との交配でE系統も多い。日本にはJ系統もE系統も見当たらないが、日本に多いD系統(縄文人)はE系統と同系で、分派してDとEに分かれた。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fenkieden.exblog.jp%2F23742661%2F
日本人のmtDNA(ミトコンドリアDNA)の約67%はアジア系と言われる「M」系列、約33%は西欧系と言われるmtDNA「N」系列です。ミトコンドリアDNAは母親から引き継ぎます。
人類の出アフリカにより、アジア系と言われるmtDNA「M」(母親由来)は、縄文系のY-DNA(父親由来)の「D」と「C」と共に、紅海、アラビア海からインド洋沿岸部を航海して日本列島にやってきた。
mtDNA「M」系列の中で最も古い「M」が日本列島で見つかっているので、出アフリカ後のmtDNA「L3」が中東でネアンデルタール人と交配して分化した「M」と「N」の最も古い亜型がそのまま日本列島に移動してきたことになる。
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ハプログループQ…三輪山を通る太陽の道
ハプログループQ (Y染色体)(ハプログループQ (Yせんしょくたい)、英: Haplogroup Q (Y-DNA))とは分子人類学において人類の父系を示すY染色体ハプログループ(型集団)の分類で、「M242, P36.2, MEH2」のSNPの変異によって定義されるグループである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
アメリカ先住民の Y 染色体ハプログループのほとんどはQ系統が占める。Q はイラン付近で17000-22000年前[1][2]または31,400年前[3]に発生したと考えられ、その後中央アジア、アルタイ山脈北辺を通り、北シベリアのステップでマンモスなど大型哺乳類を狩りながら移動し、アメリカ大陸に移住していったと思われる。Q のホームランドに近いアフガニスタンのパシュトゥーン人では Q*が16%観察され[4]、中央シベリアのケット人でQ系統が90%以上を占める[5]など、道中に足跡を残してはいるが、ユーラシア大陸では総じて低頻度である。しかしアメリカ大陸(先住民)において大いに繁栄している。アメリカ先住民にはその他 C2,R1 なども見られるが、Q系統が圧倒的である。
日本人には1%以下のごく低頻度で観察されている[6]。
ケット人・ケート族(Ket)は、シベリア中央部のエニセイ川やケット川(オビ川水系)などの流域に住む少数民族。かつてはオスチャーク(Ostyak)と呼ばれたが、これはウラル諸族のハンティ人(ウゴル系)やセリクプ人(サモエード系)など他の民族も含めた名で正確ではないので、区別するためにエニセイ・オスチャークとも呼ばれ、さらに自称からケットと呼ばれるようになった。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
mtDNAは周辺諸族と異なりハプログループF (mtDNA)が23.7%の頻度で観察される[2]。このタイプは東南アジアに多い型で、シベリアには珍しい。
古代シベリア南部に栄えたタシュティク文化やテュルク系の丁零との文化的関連を考える説もあるが、地理的に重なる以外に積極的な証拠はない。
テュルク系の丁零
丁零(ていれい、拼音:Dīnglíng)は、紀元前3世紀から紀元5世紀にかけて、バイカル湖南方からセレンゲ川流域にかけてのモンゴル高原北部や、南シベリアに住んでいたテュルク系遊牧民族。丁令[1],丁霊[2],勅勒(ちょくろく)とも表記される。4世紀では勅勒[3]、5世紀〜6世紀では高車[4]、6世紀〜8世紀では鉄勒[5](てつろく)とも呼ばれた。
原名は“車”を指すモンゴル語telegem(テレゲン),terege(テレゲ)に由来すると考えられ、丁零,鉄勒はその音訳で、高車はその意訳であると考えられる。あるいは、突厥碑文に見えるTölös(テレス)に比定する説、あるいは突厥と同名でTürk(テュルク)またはその複数形Türklär(テュルクレル)に比定する説、あるいは突厥の手足にされたことからTiräk(ティレク:扶助者)に比定する説があったが、P.A.Boodbergは『Three Notes on the T'u-chüeh Turks』[6](1951年)において、古アルタイ語で“車”を指すTerege,telegenと関連するTerek,Telekに比定し、後に“高車”と呼ばれることに信憑性を持たせた。[7]
鉄勒(てつろく)[編集]
突厥と同時代に突厥以外のテュルク系民族は鉄勒と記され、中央ユーラシア各地に分布しており、中国史書からは「最多の民族」と記された。鉄勒は突厥可汗国の重要な構成民族であったが、突厥が衰退すれば独立し、突厥が盛り返せば服属するということを繰り返していた。やがて鉄勒は九姓(トクズ・オグズ)と呼ばれ、その中から回紇(ウイグル)が台頭し、葛邏禄(カルルク),拔悉蜜(バシュミル(英語版))といったテュルク系民族とともに東突厥第二可汗国を滅ぼした。
漢代北匈奴 の夏の王庭から出土した複数の 男性古人骨 を解析した結果、それぞれ ハプログループQ* (Q-M242*)、 ハプログループQ1a* (Q-MEH2)、 ハプログループQ1b1 (Q-M378)であることが明らかとなった(注1)。
漢代・北匈奴の王庭附近墓地出土・古人骨
漢代北匈奴の夏の王庭から出土した複数の男性古人骨を解析した結果、それぞれハプログループQ*(Q-M242*)、ハプログループQ1a*(Q-MEH2)、ハプログループQ1b1(Q-M378)であることが明らかとなった(注1)。これらは、2007年9月に中国・新疆ウイグル自治区バルコル県の東黒溝遺跡から発掘された古人骨に基づく解析結果である(注2)(注3)(注4)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ffamousdna.wiki.fc2.com%2Fwiki%2FY
中国通信社『新疆東黒溝遺跡は北匈奴の夏の王庭、専門家が初歩的認定』(2007.9.16)によれば「(中国通信=東京)ウルムチ2007年9月16日発新華社電によると、新疆ウイグル自治区文物局と考古研究所は先ごろ、現在発掘、整理中のバルコル県東黒溝遺跡は中国最大の古代遊牧民族の集落跡であるだけでなく、漢代北匈奴の王庭と初歩的に認定されたと発表した。西北大学文化遺産・考古研究センター、新疆ウイグル自治区考古研究所、ハミ地区文物局は昨年から、バルコル県東黒溝遺跡について2年連続の考古学発掘を進めている。これまでに石で築いた高台1基、石で囲んだ住居の土台4基、墓12基が発掘され、大量の岩画が発見され、少なからぬ土器と銅器が出土した。発掘作業の推進者の一人、西北大学考古学科主任の王建新教授は出土文物の真剣な考証を行うとともに、詳細な歴史資料を参照した後、遺跡の年代が最も古くて、戦国晩期から西漢初期に遡ることを確認した。遺跡は同時に、当時強大な匈奴が月氏を打ち破り、この地域を占拠したという史実を証明している。東黒溝遺跡の規模を基に、王教授はこれが北匈奴の夏季の王庭であることを確認した。また、早くもシルクロード開通以前に、東・西洋の各民族間の交流、融合がすでに始まっていたとみている。小河墓地考古学研究の発起人、新疆ウイグル自治区考古研究所所長の伊弟利斯教授は次のように話している。中国で古代遊牧文化の大型集落跡の総合的考古学研究が行われるのは初めてであり、東黒溝遺跡の発見と研究は、古代遊牧文化の社会・経済形態の探求、特に漢代の匈奴と月氏両民族の文化の研究に、非常に重要な最新資料を提供している」とある。
趙王・闊里吉思
元代・オングート(白韃靼)の王で、趙王・闊里吉思( -1298)のY染色体は、ハプログループQ(Q-M242)である(注1)(注2)。これは、梳?楼墓地にあるオングート高唐王・闊里吉思の遺骨を鑑定した結果による。
闊里吉思は、クビライ(忽必烈)の皇太子・チンキム(真金)の娘、忽答的迷失を娶リ、後にはテムル(成宗)の娘、愛牙失里を娶った。1292年、元の成宗は、闊里吉思を高唐王に封じた。1305年、「趙王」の号を追封され「駙馬高唐忠献王碑」が建てられた。この結果により闊里吉思と同祖で、テュルク系民族の突厥沙陀族出身である後唐の始祖・李克用もまたハプログループQ(Q-M242)であったと推定されている(注3)。
趙王…
趙
開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。現代の中国ではユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 ???????? の音訳)と呼ぶが、 周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという[2]。面白いことに、これらの姓の内の2つ石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している[3][4]。
趙 チョウ 走部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Ff0779c55eb5ae89ab408568394bdad0d
解字 「走(足の動作)+肖の旧字(チョウ)」の形声。チョウは超チョウ(こえる)に通じ、こえる意。しかし、この意で実際に使われることなく、中国の国名や人名に用いられる。
意味 (1)こえる。超える。 (2)中国の戦国時代の国の名。戦国七雄のひとつ。「趙女チョウジョ」(趙の国の女) (3)姓。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Ff0779c55eb5ae89ab408568394bdad0d
小 ショウ・ちいさい・こ・お 小部
解字 甲骨文・金文は、ちいさい物を表す点を三つ並べて、ちいさい意をあらわす。篆文から点が線になって現代字に至っている。小は部首になる。
意味 (1)ちいさい(小さい)。「小型こがた」「弱小ジャクショウ」「小川おがわ」 (2)すくない。すこし。「小量ショウリョウ」 (3)とるに足りない。「小事ショウジ」 (4)わかい。おさない。「小児ショウニ」 (5)自分を謙遜していう。「小生ショウセイ」
イメージ 「ちいさい」(小・雀・尖)
音の変化 ショウ:小 ジャク:雀 セン:尖
ちいさこべのスガル…「蜾蠃」
少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)は『日本書紀』、『日本霊異記』に見える雄略天皇時代の豪族。「少子部栖軽」もしくは「小子部栖軽」と書かれることもある。
「蜾蠃」とは、『万葉集』巻第九1738の長歌に「腰細のすがる娘子」とあり[1]、腰の細い似我蜂を指す。「少子部」は「子部(児部)」と同様に、天皇(大王)の側近に仕える童子・女孺らの養育費を担当する品部であろうと思われ、『釈日本紀』も同様の説をとっている。小子部連氏は、『古事記』の神武天皇の項目や『新撰姓氏録』では、神八井耳命の子孫となっており、天武天皇13年(西暦685年)に「宿禰」の姓を賜っている[2]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
蜾
臝ラ(はだか)の同音代替字
果 カ・はたす・はてる・はて 木部
解字 甲骨文字は木の上にまるい果実がなったさま、金文はまるい果実をひとつにし、篆文は果実が田の字になった。果物の意味を表わす。また、花が咲き終わって実が成長し、その結果として果実が収穫されるので、はたす・なしとげる意になる。
意味 (1)くだもの(果物)。木の実。「果実カジツ」 (2)できばえ。しあがり。「成果セイカ」「効果コウカ」 (3)はたす(果たす)。とげる。「結果ケッカ」 (4)思い切りがよい。「果断カダン」「果敢カカン」(思い切りよく大胆に行う) (5)はたして。 (6)[国]はてる(果てる)。終わる。
イメージ
「くだもの」(果・菓・倮・裸)
「まるい実」(踝・夥・顆・裹)
「同音代替」(課)
音の変化 カ:果・菓・踝・夥・顆・裹・課 ラ:倮・裸
踝
果(果たす。果たした結果)…蠃
蠃
?[?] ラ・(エイ) 月部にく /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fff8cc656446867edfad684bc243ba8f1
解字 動物の象形。[説文解字]は獣の名とし、その他にも蠃ラ(螺ラ・にし)の初文で巻貝とする説もあるが、甲骨文では細長い胴体が表現されており、また頭部に虍(トラ)のような形を用いたものや多足の象形などがあり、字源はムカデのような「噛みつく節足動物」と思われる[甲骨文字辞典]。金文は中央の頭の下方に月(にく)が付加された形をへて、篆文で上部が亡+口、下が月+丮となり、現代字(楷書)の?になっているが、卂の部分が丮や凡になっている字も同字である。
[甲骨文字辞典]は、意味が災厄であることから「噛みつく節足動物」としているが、私は中国ネットに出ていた「神獣」説を取りたい。理由は、この字と女を組み合わせた嬴エイが姓となっており、神獣を後ろ盾にした姓と考えられるからである。
意味 (1)(甲骨文字で)災厄。主に神や祖先の祟りとして用いられる。また、地名。祭祀名。 (2)(説文解字で)浅毛の獣。虎・豹・象の類。 (3)(騾ラに通じ)らば。うさぎうま。
イメージ
「神獣」(?・嬴・瀛・贏)
「同音代替」(蠃・臝・羸)
音の変化 ラ:?・蠃・臝 ルイ:羸 エイ:嬴・瀛・贏
神獣
嬴 エイ 女部
解字 「女(おんな)+?ラ(神獣)」の会意。?ラは神獣と考えられ、これに女をつけた嬴エイは神獣を後ろ盾とした女の意。母系制社会の時代に作られた姓のひとつ。姓セイは、「女+生(うまれる)」で、女から生まれる子へとつながる血筋を表す。古代の母系制の名残を残す字。中国古代の母系制社会の姓は、女偏がつく姜キョウ、?(姫)キ、姚チョウ、などがあり、嬴エイはそのひとつ。秦の王室の姓でもある。また、盈エイ(みちる)に通じて、みちる意がある。
意味 (1)姓のひとつ。秦の王室は嬴エイ姓を名乗った。「嬴政エイセイ」(秦の始皇帝の本名。姓が嬴で実名(諱いみな)が政。 (2)[盈エイ(みちる)に通じて]みちる。のびる。「嬴縮エイシュク」(のびちぢみ)「嬴土エイド」(肥沃の地)
瀛 エイ・うみ 氵部
解字 「氵(みず)+嬴エイ(意味?の、みちる)」の会意形声。嬴エイは盈エイ(みちる)に通じ、水が満ちる意で海をいう。
意味 うみ(瀛)。大海。「瀛海エイカイ」(大海)「瀛洲エイシュウ」(中国の東海にあるという神山)
贏 エイ・あまる・あまり・かつ 貝部
解字 「貝(財貨)+?エイ(=嬴エイの略体(意味?の、みちる)」の会意形声。エイは嬴エイの意味?、みちるに通じ、財貨がみちること。財貨がみちて、あまる。また、財貨がみちることから転じて勝つ意となる。
意味 (1)あまる(贏る)。「贏利エイリ」(ありあまるもうけ。=利益)「贏得エイトク」(利益を得る) (2)かつ(贏つ)。「贏輸エイシュ」(勝ちと負け。贏は勝つ、輸は負け)
同音代替
蠃 ラ 虫部
解字 「虫(むし)+?(ラ)」の形声。ラは螺ラ(にな・にし)に通じ、巻貝の仲間を言う。
意味 (1)にな(蠃)。にし。たにし。=螺ラ。 (2)「蜾蠃カラ」はジガバチのこと。
臝 ラ・はだか 月部にく
解字 「果(果たす。果たした結果)+?ラ(=蠃ラの略体。にな・にし)」の会意形声。蠃ラは、ここで巻貝の貝殻に体を入れ、貝殻を背負って生活する甲殻類のやどかりをいう。やどかりの身体が大きくなり(果たす)、果たした結果、今までの貝を捨て(脱いで)他の貝に移ること。人に例えて、はだ脱ぐ・はだかの意となる。
意味 (1)はだか(臝)。はだぬぐ。はだかになる。=裸ラ。
羸 ルイ・つかれる 羊部
解字 「羊(ひつじ)+?(ラ⇒ルイ)」の形声。ルイは累ルイ(しばる。つなぐ。=縲ルイ。)に通じ、しばられた羊の意。しばられた羊は、やせる・つかれる・よわる。転じて、よわい意。人に移して用いる。
意味 (1)つかれる(羸れる)。よわる。よわい。「羸弱ルイジャク」(つかれ弱る。弱い)「羸師ルイシ」(つかれ弱った軍隊) (2)やせる。「羸痩ルイソウ」(つかれやせおとろえる)「羸瘠ルイセキ」(やせおとろえる)
少子部連 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
ちいさこべのすがる【少子部蜾蠃】
雄略天皇に近侍したと伝えられる人物。小子部栖軽とも記す。少子部連むらじの祖先。雄略天皇が養蚕振興のため、蚕こを集めるよう命じたところ、意味を取り違えて嬰児を集めてしまい、その養育を命ぜられ、少子部連の姓を賜ったという説話(「日本書紀」「新撰姓氏録」)や、雷を捕らえたという説話(「日本書紀」「日本霊異記」)で知られる。
雄略天皇は、勇猛さで知られる少子部連栖軽に、三輪山の大白蛇を見たいから 捕まえて来いと命じました。秦氏の社家の一つ 多氏の分家の人です。
MAP【?】姓 息長氏の足跡≒アイアンロード /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnote.mu%2F1903mml%2Fn%2Fn0f519a8ab11f
▼三輪山を通る太陽の道
説明:奈良を中心とした太陽の道の確認用です。近畿の大五芒星が描かれる以前は、この太陽の道が基本となっていました。
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Re: 「速読」全体像を記憶するためのもっとも簡単な方法の1つ: 警告効果は半日も持たなかった...w
管理人さんへのお返事です。
> 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> > 「速読」は科学的に不可能だと証明される。最も有効なのは「飛ばし読み」スキルを上げること 関連するオススメ
> >
>
> 何度も言いますが、他の人に長文や速読を強要しないようにお願いします・・。
キシさん、管理人さんのこと舐めてますよ、どうせ消去しないだろって。
警告効果は半日も持たなかった...w
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Re: 「速読」全体像を記憶するためのもっとも簡単な方法の1つ: 警告効果は半日も持たなかった...w
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
まー、キシが秦野の投稿と違う点は、
論拠なしの自分の奇説ではなく「膨大なコピペの山」なので、
たまーに、いや100投稿に1投稿の1箇所くらいの割合で
真実が埋もれてるかも?ってことだねw
残りは他人の嘘の拡散でしかないが。
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Re: 太公望に代表される姜姓羌人はO-M117のいずれのサブグループか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009577M.jpg
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
AI君のハプロ、どうなったですか、広い中国で道に迷ったな。
> 図:土家族のガッキーこと龍夢柔さん
>
> O-M117
> O-M133
> O-F438(Oα1) ~5,215
> この起源時期を採れば、O-F438は紀元前3000年頃の起源で、夏王朝の時には出現している。
>
> 夏王朝の遺跡の古人骨が解析されるようなことがあれば、
> この夏王朝の遺伝子にO-F438も含まれる可能性もある。
>
> O-F438は東遷した古西戎人の先駆けに属する。
> その場合、夏王朝崩壊に際して半島方面に流入したということもあり得るのである。
> 実際、王克林など夏王朝崩壊を中国最初の民族移動期と見る学者もいる。
>
> 嬴姓や姜姓とともに、?姓もO-F438の可能性がある。もとより、夏の創始者・禹の姓である。
> 例えば、盧という国。牧誓八国の1つとしても有名だ。
> ?姓あるいは姜姓だと言う。湖北省北部とも山東省済南付近にあったとも伝わる。
>
> 湖北・湖南は、古風なチベット・ビルマ語のヅォルガイ語を行う土家族の分布地域であり、
> 土家族と言えばO-F438が多い民族。のみならず、日本人のO-M188の型も土家族のものと一致するとも言う(ウィキO2項)。
>
> 盧国、斯盧国、末盧国、土家族、龍夢柔さん、龍、劉、辰国、龍夢柔さん…
> 何か関係アリ気だと感じるのは私だけではなかろう。
>
-
東海の「古西戎人5姓」のハプログループ推測&O-P201系統樹(兄弟ハプロ同士の関係が分かるように図示)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009578M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009578_2M.jpg
1. 東海の「古西戎人5姓」のハプログループ推測
(1) 姒姓:O-F438か(5)除く其の他
(2) 姜姓:O-F444(韓国の姜姓?)か(5)除く其の他
(3) 嬴姓:O-O-CTS4658
(4) 姫姓:O-CTS9678(これは確定)
(5) 劉姓:O-F438>>O-F155(確定)
2. O-P201系統樹(O2以下, 兄弟ハプロ同士の関係が分かるように図示)
O2(O-M122)
・O-L127.1
・・・O-JST002611←シナ語族、大汶口文化、陶寺遺跡
・O-P201←高句麗王族(?城高氏, サブグループ不明)
・・O-P164←南匈奴人2体(モンゴル、ウムヌゴビ県)
・・・O-M134
・・・・O-M117←甘粛羌族磨溝遺跡人(斉家文化)・夏家店上層文化遺跡人(遼河文明)、北匈奴人(エギーン・ゴル)
・・・・・O-M133←日本=チベット・ビルマ語族
・・・・・・O-F438←日本(村上源氏)・北京
・・・・・・・・O-Y17758←日本・中国(山西中部平原人)
・・・・・・・・・・O-F155←劉邦のとっつぁん(劉端)
・・・・・・O-CTS4658←周文王、王氏
・・・・・・O-CTS9678←現代チベット・ビルマ語族
・・・・O-F444←韓国の姜姓?、ナイマン・キタイ・オイラト
・・O-M188←夏家店上層文化遺跡人(遼河文明)、項羽、高麗王王権、土家族、トンガ人
ポンヨウ!あざーっす!笑
※高句麗王族と高麗王王建はソースが「有名人のハプロ」なので各自判断のこと。
あれ〜y-Dのポンヨウはいないね〜www
この漫画、3巻まで読んだけど、なんか「蒼天の拳」みたいになってきた。「ポ、ポンヨウ(朋友)ッ!」みたいなw
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mtDNAのG3aの方いませんか?w
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009579M.jpg
mtDNAのG3aの方
気付いたんが、ウチの母方って10人兄弟姉妹(すごいでしょw)のところ女2人で、そのまた子供は男だらけなのよね。
だから、母方の祖母由来の希少種mt-G3は絶えちゃうんだよね・・・
ま、私の奥さんはG1a2’3でGつながりだけどさ。
G繋がりは2万年前でしょ。ま、y-D同士の5万年前よかマシだけどンw
で、G3って日本に少ないんだよ。コンマ以下より少ないレベル。それ思うとG3の方に愛着を覚えますねぇ〜。
それこそ希少種G3を保護しよう!って感じ。
・古匈奴の後期青銅器フブスグル人(〜BC1300, 西北モンゴル):G3a(南シベリア・バイカル地域・中央アジア山岳地帯型)
・匈奴人(350-150 BCE):G3a
・シレンヅゴウ遺跡(Shirenzigou, 新疆北東端)人:G3b(チベット人の型)
秦野はいいな〜、どうせくだらない遺伝子なんだからw
ハプロなんて考える必要ないから食っちゃ寝してなさい!
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Re: mtDNAのG3aの方いませんか?w
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009580M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループG_(mtDNA)
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Re: mtDNAのG3aの方いませんか?w
秦野北斗さんへのお返事です。
あ、お前はハプロなんて心配しなくていいからw
どうせ傍層の旧表記D2か漁民O1b2だ。どちらも中国大陸にいない。
遠い故地スンダランドかシナ海ランドでも拝んでるがいいw
mtはGやAじゃないだろうね。mt-Dかそこらだろう。
あ、mt-Dは人類の拡散において重要だからかなり深く研究されてる。
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Re: mtDNAのG3aの方いませんか?w
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009582M.jpg
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
スンダランド、僻地もいいな、ドリアンでも食うか、
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> あ、お前はハプロなんて心配しなくていいからw
> どうせ傍層の旧表記D2か漁民O1b2だ。どちらも中国大陸にいない。
> 遠い故地スンダランドかシナ海ランドでも拝んでるがいいw
>
> mtはGやAじゃないだろうね。mt-Dかそこらだろう。
> あ、mt-Dは人類の拡散において重要だからかなり深く研究されてる。
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スレッド
スレッドというのをテストで作成してみました。
右上の新着スレッド一覧を押すと出てきます。
ここにハプロタイプとか、紀氏情報とか長文投稿をしてもらって、こちらには下記のようにスレッドへ飛ぶリンクだけ記載するようにできないですかな??うまくいけば、だいぶこちらの掲示板は整理できるかもしれません・・・・。
ハプロについて語るスレ
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/t2/l50
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紀氏さん専用スレッド
紀氏さん専用スレッドも作成しました。今後はこちらに紀氏さんは書き込みいただき、その書き込んだスレッドのリンクと紹介文5行以内だけこちらに張り付けてください。
紀氏さん専用スレッドはこちら。
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/t3/l50
紀氏さんのスレッドへテスト投稿しました。そのテスト投稿のアドレスはこちら。投稿したスレッドの水色の題名を右クリックすると、その投稿したスレッドのアドレスをコピーできます。
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/t3/1
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(無題)
管理人さんの努力と忍耐には頭が下がるな、な秦野よ?爪のアカでも煎じて飲みなさい。
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Re: スンダランドかインド南部の沿岸地域
秦野北斗さんへのお返事です。
> これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
>
> スンダランド、僻地もいいな、ドリアンでも食うか、
>
そうそう。
そのスンダランドかインド南部の沿岸地域で旧表記で言えばy-D1, D2, D3は起源した。
そのどちらであるか、コラガ人という南インドの指定部族のD*かDE*を再検査すれば分かってくるだろう。
以前はy-Dもスンダランド辺りで起源したと思っていたが、今ではy-Dはアフリカで起源したことが分かっている。なので、y-Dが東アジアで起源して、y-Dのまま日本近くでD1、D2になったなんて妄想はもう言えない。
スンダランドの西にD1、東にD2,D3という配置。
D1はサルウィン河を北上して四川西部に溜まる。
D2とD3はそのまま北上してフィリピン、沖縄へ。
スンダランドの延長上にナンハイ・ランドとトンハイ・ランドも出現していた。
D2は内陸には拡がることができなかった。幻の陸地は今は海の底、ゆえに中国以北の大陸には皆無、と。
mt-M7aの分布域とも整合性がある。
ナンハイ・ランドとかトンハイ・ランドとか使う学者がいるが、普通に「シナ海ランド」で良いと思うね。
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(無題)
そう言えば、毛玉さん、戻って来ないねw
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東アジア(AD101)。日本に国がッ!ありません!w
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009590M.jpg
秦野北斗さんへのお返事です。
図:東アジア(AD101)。日本に国がッ!ありません!w
西戎と周・秦だけで十分だったのだが、真の意味で世界帝国たる漢帝国をもO-M117が取ってしまった…それもO-F438ファミリーが!
はて、これからどうするかの〜笑
周は姫姓の有力氏族王氏、秦は嬴姓徐氏のハプログループからの類推であるのに対し、
漢は、「劉氏に直接基づく」という点で格が異なる。
しかも、時代が新しく2千数百年前の共通祖先が存在する。
(あ、y-D同士は5万年前だっけかw)
正確に言えば、劉邦ハプロを含むO-F316と日本人のO-F1754の父がO-Y17728である。
このハプログループにおいて「日本人と劉邦は従兄弟」となる。
「劉邦の祖先ハプロ」はO-F316、さらにO-O-Y17728であり、
山西中部平原から移って来た。ここまで追跡することが出来たハプログループはO-F438の他はない!
O-F316の割合は中国で2%(劉姓で8%, O-F155は劉姓の23%)、O-F438の割合は日本で2%。
これで我が国の天皇にもキチンとした姓氏があったらなァ、と思い残念である。
O2a2b1a1 (M117/Page23)
・O2a2b1a1a (M133)
・・O2a2b1a1a1 (F438)←日本(村上源氏)・北京、日本人の2%
・・・O2a2b1a1a1a (Y17728)←日本・中国
・・・・※O-F316←中国人の2%(サブグループで中国最大)、劉姓では全国平均の4倍の8%。
・・・・・・O2a2b1a1a1a1 (F155)←劉邦ハプロ(約2300年前起源)、国別割合で中国人=100%。劉姓の23%。
・・・・・・・O2a2b1a1a1a1a (F813/M6539)←漢景帝(前188年ー前141年)の子孫。湘南・江西劉氏の95%。
・・・・・・・・O2a2b1a1a1a1a1 (Y20928)←光武帝劉秀(前5ー57年)の支脈。
・・・・※O-F1754(O-F313の兄弟ハプロ)←国別割合で日本=80%
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Re: 紀氏さん専用スレッド
管理人さんへのお返事です。
いかん、いかんぞ!管理人さん、キシさんは、ああいう人は自分の言葉で意志表示できない分、
掲示板でコピペを異常にすることで自分の存在を確かめていたかもしれない!彼には掲示板というパブリックな場が必要だったんだ。
私は最近彼が精神の病?に冒されていることを管理人さんから聞き知ったが、十数年の彼の営みを急に強制的に取り去ってしまっては、いかん!
5行は厳しすぎる。10行くらいのスペースを与えた方がいい。彼にチャンスを与えて下さい。
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Re: 紀氏さん専用スレッド
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009592M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009592_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009592_3M.jpg
見ろ、この劉邦の男気!任侠心。
それに引き換え、キシさんの十数年の必死の生への営みを取り上げられるに際して、
静観を決め込むたぁ、秦野・山田の老人コンビ、あなたたちは人間ですか?
私は病気の人には優しい。彼らに責任はないからです。
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Re: 紀氏さん専用スレッド
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> いかん、いかんぞ!管理人さん、キシさんは、ああいう人は自分の言葉で意志表示できない分、
> 掲示板でコピペを異常にすることで自分の存在を確かめていたかもしれない!彼には掲示板というパブリックな場が必要だったんだ。
> 私は最近彼が精神の病?に冒されていることを管理人さんから聞き知ったが、十数年の彼の営みを急に強制的に取り去ってしまっては、いかん!
> 5行は厳しすぎる。10行くらいのスペースを与えた方がいい。彼にチャンスを与えて下さい。
了解しました。10行までとしましょう!それ以上は削除させていただきます。
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きしさんへ
知恵の書
9・13「神の計画を知りうる者がいるでしょうか。
主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか。
14死すべき人間の考えは浅はかで、
わたしたちの思いは不確かです。
15朽ちるべき体は魂の重荷となり、
地上の幕屋が、悩む心を圧迫します。
16地上のことでさえかろうじて推し量り、
手中にあることさえ見いだすのに苦労するなら、
まして天上のことをだれが探り出せましょう。
17あなたが知恵をお与えにならなかったなら、
天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、
だれが御旨を知ることができたでしょうか。
18こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、
人はあなたの望まれることを学ぶようになり、
知恵によって救われたのです。」
答唱詩編詩編90・3+5ab、4+5c+6、11+12
神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる。
詩編90
90・3あなたは人に、「もとにもどれ」とおおせになり、
人はちりにもどされる。
5abあなたがいのちを断たれると、
人は眠りにおちいる。
4あなたの目には、千年も過ぎ去ったいち日のよう、
5c夜回りのひと時に過ぎない。
6人のいのちはくさのよう、
あしたには花を開くが、夕べにはしおれて枯れる。
11だれがあなたの怒りの力をさとり、
憤りの恐ろしさを知っているのか。
12残された日々を数えることをおしえ、
知恵に向かう心をあたえてください。
-
Re: きしさんへ
管理人さんへのお返事です。
「知恵は人間を慈しむ霊である」(1章6節)
知恵には、理知に富む聖なる霊がある。
この霊は単一で、多様で、軽妙な霊、活発で、明白で、汚れなく、明確で、害を与えず、善を好む、鋭敏な霊、堅固で、安全で、憂いがなく、すべてを成し遂げ、すべてを見通す霊である。
(7章22〜23節)
使徒言行録 2章 38節
『すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』
> 知恵の書
>
> 9・13「神の計画を知りうる者がいるでしょうか。
> 主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか。
> 14死すべき人間の考えは浅はかで、
> わたしたちの思いは不確かです。
> 15朽ちるべき体は魂の重荷となり、
> 地上の幕屋が、悩む心を圧迫します。
> 16地上のことでさえかろうじて推し量り、
> 手中にあることさえ見いだすのに苦労するなら、
> まして天上のことをだれが探り出せましょう。
> 17あなたが知恵をお与えにならなかったなら、
> 天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、
> だれが御旨を知ることができたでしょうか。
> 18こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、
> 人はあなたの望まれることを学ぶようになり、
> 知恵によって救われたのです。」
>
> 答唱詩編詩編90・3+5ab、4+5c+6、11+12
> 神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる。
>
> 詩編90
>
> 90・3あなたは人に、「もとにもどれ」とおおせになり、
> 人はちりにもどされる。
> 5abあなたがいのちを断たれると、
> 人は眠りにおちいる。
>
> 4あなたの目には、千年も過ぎ去ったいち日のよう、
> 5c夜回りのひと時に過ぎない。
> 6人のいのちはくさのよう、
> あしたには花を開くが、夕べにはしおれて枯れる。
>
> 11だれがあなたの怒りの力をさとり、
> 憤りの恐ろしさを知っているのか。
> 12残された日々を数えることをおしえ、
> 知恵に向かう心をあたえてください。
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Re: 紀氏さん専用スレッド
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009596M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の漫画の歴史#中世から江戸時代まで
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(無題)
キシ氏と管理人さん、共通の言葉で分かり合えたようですね!
謝謝鉄子!
Googleで英語に翻訳させるとThanks Tetsuko!
鉄子、、、徹子。笑
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沛県という土地柄, 「山西コネクション」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009598M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009598_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009598_3M.jpg
> 亭長という一介の小役人がいかにして大衆を動員できたかですね。自然発生だけでは片付けられない問題です。
>
> 類推ですが、伝統社会の市場経済化に際しても見られるように、従来の部族・氏族制が崩壊して新しい利益のネットワークみたいなものがあったのではないかと予想します。
>
というより、逆で、沛県という土地柄は非常に伝統的で、堅固ないわゆる閥を形成していたようです。
「沛 県 は、 水路 と 陸路 の 要衝 と なる いま の 江蘇省 ?徐州 市 の 北 に ある。 この 地 は ?旧 楚 国 の 領域 に ふくま れる が、 ? 斉 の 地方 とも 接し て おり、 ? 魏 の 人びと も 移民 し た という、 やや 複雑 な 土地柄 で ある」。
藤田勝久『項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史』 (Kindle の位置No.747-749). . Kindle 版.
? 嬴姓徐氏O-M117
? 楚系O-M7(O-M7が少ないことから大規模な移民はない)
? 姜姓羌人O-M117
? 魏=山西南半分O-Y17728>>劉邦ハプロO-F155
+O-JST002611=陳州(殷州)
おそらく、陳州劉氏は、伐殷後に羌族諸侯に分配された殷の遺民の末裔が、改姓して劉姓を称するに至ったもの。
なので、江蘇の西北端に位置する沛県は基本的にO-M117東海5姓(姒・姜・嬴・姫・劉)の地と解して良いだろう。
・魏=山西省中南部(O-Y17728の故地)
・沛県→徐州市は江蘇省の西北端。沛県はさらに徐州市の最西北端。
徐州は古くは彭城と称し、2600年に及ぶ悠久の歴史を有する。『尚書』(書経)の『禹貢』の篇に列記された「九州」の一つにもこの地方一帯を指す「徐州」の名がある。
彭
另一?法,伏羲死后共工作乱,黄帝派祝融平叛,?然打?了共工,但没有?死所有共工氏成?,黄帝?了祝融。后由他的弟弟吴回担任火正官,依旧称祝融氏。??後來?回的後代分成八姓,分別是曹姓、彭姓、禿姓、董姓、?姓、斟姓、己姓及羋姓,為祝融八姓。
ーーーこの羋姓だが、羊の鳴き声が由来で、羌族との関連も見えて来る。彭=牧誓八国のひとつ。
そして、この辺りの下りが重要だ。今後、注目したい。
すなわち、劉には「山西コネクション」があった。
「旧 楚 の 地域 に あっ た が、 劉邦 の 行動 を みる と、 "もと の 魏 国" との 往来 が あり、 北方 との 関連 も みえ て いる」。藤田勝久. 項羽と劉邦の時代 (Kindle の位置No.838)
ーーーーーーーーーー
参考
・陳州=河南省東部(O-JST002611が多いらしい)
南北朝時代、東魏により設置された揚州を前身とする。梁がこの地を支配すると殷州と改称された。揚州は江蘇省中南部。
・殷墟(いんきょ)は河南省安陽市の市街地西北郊、殷都区に位置する。河南省東北部。
なるほど殷の遺民ということで結構です。
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」
これぞ!ファイアー大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
> > 亭長という一介の小役人がいかにして大衆を動員できたかですね。自然発生だけでは片付けられない問題です。
> >
> > 類推ですが、伝統社会の市場経済化に際しても見られるように、従来の部族・氏族制が崩壊して新しい利益のネットワークみたいなものがあったのではないかと予想します。
> >
>
>
> というより、逆で、沛県という土地柄は非常に伝統的で、堅固ないわゆる閥を形成していたようです。
>
> 「沛 県 は、 水路 と 陸路 の 要衝 と なる いま の 江蘇省 ?徐州 市 の 北 に ある。 この 地 は ?旧 楚 国 の 領域 に ふくま れる が、 ? 斉 の 地方 とも 接し て おり、 ? 魏 の 人びと も 移民 し た という、 やや 複雑 な 土地柄 で ある」。
> 藤田勝久『項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史』 (Kindle の位置No.747-749). . Kindle 版.
>
やはり、戦争に勝つにはネットワークありきですね。史書には記されてない無数のネットワークを彼らは使いこなしていたのでしょう。そういう点でずる賢いほうが勝ったんでしょうね!
> なので、江蘇の西北端に位置する沛県は基本的にO-M117東海5姓(姒・姜・嬴・姫・劉)の地と解して良いだろう。
> ・魏=山西省中南部(O-Y17728の故地)
> ・沛県→徐州市は江蘇省の西北端。沛県はさらに徐州市の最西北端。
>
> 徐州は古くは彭城と称し、2600年に及ぶ悠久の歴史を有する。『尚書』(書経)の『禹貢』の篇に列記された「九州」の一つにもこの地方一帯を指す「徐州」の名がある。
>
邪馬台国時代の三角縁神獣鏡は、徐州から銅を仕入れているんですが、鉱山関連でのネットワークもあったのではないかと感じます。その金属類を水運で都まで運んでくるわけですね。
> 彭
> 另一?法,伏羲死后共工作乱,黄帝派祝融平叛,?然打?了共工,但没有?死所有共工氏成?,黄帝?了祝融。后由他的弟弟吴回担任火正官,依旧称祝融氏。??後來?回的後代分成八姓,分別是曹姓、彭姓、禿姓、董姓、?姓、斟姓、己姓及羋姓,為祝融八姓。
> ーーーこの羋姓だが、羊の鳴き声が由来で、羌族との関連も見えて来る。牧誓八国のひとつ。
>
> そして、この辺りの下りが重要だ。今後、注目したい。
> すなわち、劉には「山西コネクション」があった。
> 「旧 楚 の 地域 に あっ た が、 劉邦 の 行動 を みる と、 "もと の 魏 国" との 往来 が あり、 北方 との 関連 も みえ て いる」。藤田勝久. 項羽と劉邦の時代 (Kindle の位置No.838)
>
後代の三国志の劉備と、劉邦の共通点として、蜀に向かっていることがありますね。諸葛亮の助言と言われてますが、彼らは何かネットワークがあったのでしょう。西域から山東にかけてのネットがあったのかな?
-
Re: きしさんへ
荊の紀氏さんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> 「知恵は人間を慈しむ霊である」(1章6節)
> 知恵には、理知に富む聖なる霊がある。
> この霊は単一で、多様で、軽妙な霊、活発で、明白で、汚れなく、明確で、害を与えず、善を好む、鋭敏な霊、堅固で、安全で、憂いがなく、すべてを成し遂げ、すべてを見通す霊である。
> (7章22〜23節)
> 使徒言行録 2章 38節
> 『すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』
>
>
このくらいの文量に抑えてくれれば、誰も文句も言わないし、読むんですけどね。これ以上になると、誰も読まなくなる・・、理解できるかな?
とりあえず、紀氏さんへの文量制限は取りやめますが、知恵をもって明確に投稿するように努めてくださいね。他の方に害を与えないように・・・(笑)
-
Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」: ドラゴン・ロード
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009601M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009601_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009601_3M.jpg
管理人さんへのお返事です。
図:『ここまで分かった古代「謎の4世紀」』(新人物文庫)より
> やはり、戦争に勝つにはネットワークありきですね。史書には記されてない無数のネットワークを彼らは使いこなしていたのでしょう。そういう点でずる賢いほうが勝ったんでしょうね!
>
はい。劉邦に山西と山東の両方に繋がりがあるということが重要です。沛県は国境で賑わい、情報も豊富に流れたのでしょう。山西省はO-Y17728にも関係するので劉一族において重要だと思います。文字どおり、ドラゴン・ロードと呼んで良いでしょう!
> 邪馬台国時代の三角縁神獣鏡は、徐州から銅を仕入れているんですが、鉱山関連でのネットワークもあったのではないかと感じます。その金属類を水運で都まで運んでくるわけですね。
>
これですね。徐州との関係では、そうですね、やはり水銀ですね。
崇神がこの方面とのパイプを持っていて強大化したってやつですね。
この辺のことに触れた文章があるので貼っときます。
崇神は北九州が拠点なので、長崎と福岡でO-M117とO-F444が高頻度であるのと関係があると見て良いでしょう。
>後代の三国志の劉備と、劉邦の共通点として、蜀に向かってい
>ることがありますね。諸葛亮の助言と言われてますが、彼らは
>何かネットワークがあったのでしょう。西域から山東にかけて
>のネットがあったのかな?
劉邦と湖北・湖南のO-F155(O-F813)は長沙王由来なので、この時から強い地盤があって、劉備も外来でありながら受け入れられたんでしょうか。
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」: ドラゴン・ロード
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009602M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009602_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009602_3M.jpg
『ここまで分かった古代「謎の4世紀」』(新人物文庫)より.
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神の誕生「竜は(巨大)隕石、竜は神!」
管理人さまへ、
超古代史掲示板へのコメントありがとう御座いました。
掲示板の維持管理の労にいつも感謝しています。
ところで、ずいぶん前のご記事で恐縮なのですが、関東にもストンサークルがあったのですね。竜神関係の地名があるものの関係する遺跡があるとはしりませんでした。一概にストンサークルといっても色々とあるのですね。その〇〇の環状列石の7m×9mの意が解りません。「何故楕円なのか?」 その一部は ”大湯”のものと酷似しているのですね^^!。わたしは環状列石を ”環状配石”と呼んだほうがいいのではないかと思っています。石にはそれぞれの表情があって設置者はその思いをもって設置しているからです。それが推めればその歴史がみえてくるような気がします。列島の構石関係では縄文人の初期構石と、徐福たちが「神仙探索」で列島にレイラインを引きながら、現地信仰と習合しそこを△点とさだめ、その影響のある高度な遺跡等(例えば、黒又山(クロマンタ)整段ピラミッドや、信州?の岩屋岩陰遺跡、地名では大塔町)の二とおりがあるのではと考えるようになりました。
キシ先生の情報から:山内丸山遺跡の ”栗の巨柱6本”の意がまったく分かりません・・思案六方^^! 私論「釜石巨大隕石」に加えて、東北・北海道がジオパークになればいいですね^^。
大きく長く栄えた「山内丸山遺跡が突然、なぜに滅びたのか」の謎? わかるといいですね。岩淵先生とは連絡とっておきました。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html
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「沛県では毎年4月になると全中国から劉邦の子孫が集まり、先人の功績を讃えます」、だって。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009604M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009604_2M.jpg
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https://www.youtube.com/watch?v=GV2haJQPekA
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東京のストーンサークル
田端遺跡の環状列石は東京の町田市ですね。数年前、多摩埋蔵文化センターを訪ねて東京にもストーンサークルがあるの知りました。その時私が見た展示は、環状列石でなく敷石遺構のレプリカで石柱があり、柱の頂と背後にある丹沢山地に沈む冬至の太陽とのレイライン展示だったようです。丹沢山地の山並は写真で、これを青梅市から借りたと伺いましたが、青梅の郷土館に尋ねたら列石遺構は青梅に存在しないとのこと。隣の羽村市にあるそうです。今度訪ねてみます。
田端遺跡は境川沿いでしょうか?こちらから行くと八王子にでて環状16号で行けます。自転車ですが。16号は都心からの大環状線で以前横浜から町田まで走ったことありますが、恐怖でした。(夜間でしたので)
近場の羽村郷土館に訪ねてみます。
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009606M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮民主主義人民共和国の鉱業
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Re: きしさんへ
秦野北斗さんへのお返事です。
私は、皆さんに参考になる情報を取集し提示することに喜びを感じています。
情報の紹介としてのコピペは、引用元・参照元を明確に示し(つまり、引証した箇所がどの本の何ページからなのかや、ホームページのアドレスなどを明確に示し)てくれれば、別に構いと思っています。
ネットの情報には所謂「ガセ」も紛れ込みますが、皆さんが丁寧に解説されれば徐々に消えるとの考えです。
渡来人研究会の掲示板から とんでも系古代史やレイライン ユダヤなどに関心を持つ方々が増殖している事も喜びです。
ネットで情報取集しよう! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkitsune-programming.com%2Fstudy-book
> 管理人さんへのお返事です。
>
> > 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> > > 『すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』
>
> 賜物、これコピペですか?・・・ コピペなら要らんぞ、
>
>
>
> >
> > > 管理人さんへのお返事です。
> > >
> > > 「知恵は人間を慈しむ霊である」(1章6節)
> > > 知恵には、理知に富む聖なる霊がある。
> > > この霊は単一で、多様で、軽妙な霊、活発で、明白で、汚れなく、明確で、害を与えず、善を好む、鋭敏な霊、堅固で、安全で、憂いがなく、すべてを成し遂げ、すべてを見通す霊である。
> > > (7章22〜23節)
> > > 使徒言行録 2章 38節
> > > 『すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』
> > >
> > >
> >
> > このくらいの文量に抑えてくれれば、誰も文句も言わないし、読むんですけどね。これ以上になると、誰も読まなくなる・・、理解できるかな?
> >
> > とりあえず、紀氏さんへの文量制限は取りやめますが、知恵をもって明確に投稿するように努めてくださいね。他の方に害を与えないように・・・(笑)
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日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009613M.jpg
祝【日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明】
図:士氏家系図
それは士会!
劉邦ハプロO-F155を含むO-F316と日本のO-F1754の親O-Y17728は紀元前600年頃の起源。
そうであれば、ちょうど士会に重なる。劉邦の劉氏の本家筋。
彼がO-Y17728かもしれない。
劉邦と私たちの共通祖先は、なんとあの!士会だったのだ!
士会は普の武将だが、秦に大きく関わる。
康公(在位期間 前621年 - 前609年)つまり西戎覇者・穆公の子の代に秦に亡命して穆公後に傾きかけた秦を救い活躍している。
そこで、康公を調べると新情報が!
へぇ〜!士会以降の劉邦の劉氏のルーツは秦人。秦に残留した士一族が劉に改姓した。
ウィキ:康公 (秦)
このとき、士会の一族の一部が秦に留まり劉氏を名乗るようになった。漢の高祖劉邦はこの一族の末裔であると名乗ったという。
士会が主人公の小説・宮城谷昌光『沙中の回廊』でも読もうかなぁ〜。
yDNA系統樹での士会の位置
O2a2b1a1 (M117/Page23)
・O2a2b1a1a (M133)
・・O2a2b1a1a1 (F438)←日本・北京、今の所の私
・・・O2a2b1a1a1a (Y17728)←日本・中国、【士会】
・・・・※O-F316←中国人の2%(サブグループで中国最大)、劉姓では全国平均の4倍の8%。
・・・・・・O2a2b1a1a1a1 (F155)←劉邦ハプロ(約2300年前起源)、国別割合で中国人=100%。劉姓の23%。
・・・・・・・O2a2b1a1a1a1a (F813/M6539)←漢景帝(前188年ー前141年)の子孫。湘南・江西劉氏の95%。
・・・・・・・・O2a2b1a1a1a1a1 (Y20928)←光武帝劉秀(前5ー57年)の支脈。
・・・・※O-F1754(O-F313の兄弟ハプロ)←国別割合で日本=80%
ここまで大陸での日本人のルーツを辿れたのは他にはないだろうと思う。あと、姫姓の王氏は辿れそうだが。
2017年から2018年にかけての中国DNA会社による劉邦ハプロ解明プロジェクトのお蔭です!
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参考
ウィキ
士 会(し かい、生没年不詳)は、中国春秋時代の晋の武将、政治家。姓は祁、氏は士、もしくは封地名から随、范、諱は会、字は季、謚は武。随会、范武子とも呼ばれる。士蔿の孫。士缺(中国語版)(士成伯)の末子[1]。士燮(范文子)、士魴(中国語版)(彘共子)の父。
秦への亡命
士会は末子と言う立場上(字の季は末子を指す。)、家を継げる立場に無かったが、紀元前632年の城濮の戦いに従軍し、その後に晋軍が帰還する時、文公に車右に指名される。
それから11年後の紀元前621年の襄公の死後に、正卿趙盾の命によって秦にいた公子雍(中国語版)を新たな晋君として迎える為に、卿の先蔑(中国語版)とともに秦に向かったが、士会達が秦にいる間に晋では襄公の子の夷皋を立てる動きが強くなり、士会達は急遽晋へと呼び戻され、趙盾も心変わりして夷皋を立てて霊公とした。
何も知らずに晋へとやってきた公子雍を趙盾は令狐にて攻撃し、士会はこれに怒って秦へと亡命した。そして秦康公に仕えたが、同じく晋から亡命してきた先蔑には一度も会わなかった。その後、士会は康公の軍事顧問となり、紀元前615年の河曲の戦役では晋の軍隊を次々と撃破する等の軍才を示した....
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Re: 東京のストーンサークル
山田さんへのお返事です。
> 田端遺跡は境川沿いでしょうか?こちらから行くと八王子にでて環状16号で行けます。自転車ですが。16号は都心からの大環状線で以前横浜から町田まで走ったことありますが、恐怖でした。(夜間でしたので)
>
> 近場の羽村郷土館に訪ねてみます。
田端遺跡は、ええと、野猿街道を通って、南大沢から多摩ニュータウンを超えて、町田街道にぶつかる手前あたりにあります。橋本から京王線で多摩境で降りるとすぐなので電車ほうがよいかもしれません。
16号は危ないので無理なさらないでくださいね(汗)
また報告お待ちしてます!
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Re: 神の誕生「竜は(巨大)隕石、竜は神!」
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
> 管理人さまへ、
> 超古代史掲示板へのコメントありがとう御座いました。
> 掲示板の維持管理の労にいつも感謝しています。
>
。一概にストンサークルといっても色々とあるのですね。その〇〇の環状列石の7m×9mの意が解りません。「何故楕円なのか?」 その一部は ”大湯”のものと酷似しているのですね^^!。
楕円のもありますね。いろいろ形状が異なるのも、そういわれてみると不思議です。ある程度、整形しした節もみえますから、それぞれの石の形に何の意図があったのか??
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」
秦野北斗さんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> >邪馬台国時代の三角縁神獣鏡は、徐州から銅を仕入れているんですが
>
> 三角縁神獣鏡(239年)は楽浪郡でしょう、銅山区は清朝(1644年〜1912年)により銅山県が設置されるがた。14世紀の開き
楽浪説もありますね。その鉛の成分も楽浪だとか。。北朝鮮の件は、高句麗時代の史料もあたるべきかもしれません。
鉄は伽耶で取れたとあります。銅は徐州だとして、最終的にどこで精錬したかですね。
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」: ドラゴン・ロード
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009617M.jpg
http://o-mino.la.coocan.jp/page445.html
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Re: 日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!: 杜氏分布
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009618M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009618_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009618_3M.jpg
図1:杜氏分布
図2:杜氏分布2
図3:日本の杜氏分布
例の龍使いの子孫に、御龍氏、唐氏、杜氏が出、杜氏から士氏、士氏から范氏が出るわけです。
杜氏は中国の甘粛中部・青海省北東方面に多いですね。
杜氏は長安付近が起源地とされているので、甘青に移住する集団も多かったのでしょう。
秦に残留して劉氏を出す集団のルーツというのはこれかな。
いちおう、日本にもいるようです。
出雲あたりに集中してるので、天神スサノオノミコト集団の一員として渡来したのでしょう。
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杜の上古音
杜の上古音はラーのようです。ラサのラーかしらん?チベット語でラー(現代ラサ口語:レー)は神の意。
Old Chinese▼
(Zhengzhang): /*l'a??/
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Re: 日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!: 杜氏分布
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009620M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/鎮守の森
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北羌族群っていうのを中国では朝鮮人の祖と見る向きもある.
北羌族群っていうのを中国では朝鮮人の祖と見る向きもあるようね。さもありなん。
でも、言語的にはどうかな。日本語=チベット・ビルマ語説の韓国語版とか唱える人はいないようだが。
韓国語とニヴフ語との関連を言う人はいる。
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Re: 日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!: 杜氏分布
秦野北斗さんへのお返事です。
> 鎮守の杜は、日本中にあるで、キシの餌食だな・・・
>
>
普通名詞と固有名詞は違うのだよ。こんな用語もわからない?w中学校やり直しだな。
キシがやっと更生しようとしてるのに、なぜ足を引っ張ろうとする?下賤なやつめ!
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O-F438は姫姓の祭祀集団:祁 ・上古音:/*[g]rij/, /*[g]r?[j]/(グリー、グル[イ]) ・字義:greatまたは地名
祁
・上古音:/*[g]rij/, /*[g]r?[j]/(グリー、グル[イ])
・字義:greatまたは地名
上古姓には女偏が付き物だが、この祁という姓については付かない。女偏の付く姓から派生したのだろうが、五帝の系譜上は姫姓となる。O-M133の姫姓を継承したのが周O-CTS9678で、その兄弟ハプロが堯・祁姓O-F438であったと解することができる。
さらに、示偏は、彼らが神事に携わっていたことを意味する。
似てるのは申をルーツとする贏姓。彼らはおそらく顓頊の系統の舜において同じく祭祀に関わった集団だったのかもしれない。ただ、「申足」と言うように、人離れした俊足の持ち主と言う意味合いかもしれない。
翻って我が国の大中臣氏。彼らも祭祀集団だった。大中臣氏の本拠地は北九州で、北九州のO-M117とO-F444の高頻度にも重なる。
ーーーーーーーーー
参考
ウィキ中国版:祁
故地は山西。
祁地一?是黄帝分封得姓的14个儿子之一的封地,今山西境内。
殷代の羌族の分布は陝西北部、山西南部、河南北部の斜めの地域。
三国時代、魏晋南北朝、五胡十六国時代に、山西から分散し始め、隋唐代には中国北方地域に分布。その後、北方民族の圧力により南方に拡散始める。山西の祖地、山東、甘粛に残留したものもあり。
三国、魏晋及五胡乱??由于?乱?始??从山西迁出,隋唐之前多分布在北方。两宋?期及后,由于中原地区被?、西夏、金、蒙古等少数民族政?逐?占据,由山西、山??始向江浙一?迁徙。但山西祖地、山?、甘?等地仍有保留氏族。明清?期,江浙祁氏?始??向南部迁移,今?南地区祁姓多是那?迁至。另清中及?清,山?烟台、威海等?部半?祁姓一部?生??始???。今?三省除祖上是?族、蒙古族,其他?族祁氏均祖籍山?亦是印?。
从以上迁徙的??和分布来看,祁氏迁徙是随着?史上几次大的移民潮同?出?的。一次是随魏晋南北朝?始迁移,一次是南宋后期的移民潮,一次是明末清初的?期,一次是清末?始的???和下南洋。??来看,祁姓氏族和中?民族其他姓氏一?,面??乱、?荒,多??劫,而又繁衍不息。
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Re: 沛県という土地柄, 「山西コネクション」: ドラゴン・ロード
管理人さんへのお返事です。
> 長沙の有力者は重要ですね!その辺から南にかけての軍事地図を出土した前漢の馬王堆墓があり、東西交易であちこちコネクションをもっていたようです。あれだけの精度の九州ほどの大きさもある測量地図を造れる集団を配下に置いていたわけですから、相当な有力者であったことは間違いないでしょう。
>
なるほど劉発以前の長沙王ですか。
呉氏長沙国。5代46年にわたって存在した。
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Re: 日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!: 杜氏分布
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009625M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/三角縁神獣鏡
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Re: 日本人の2%を占めるO-F438のルーツが判明, それは士会!: 杜氏分布
秦野北斗さんへのお返事です。
> > キシがやっと更生しようとしてるのに、なぜ足を引っ張ろうとする?下賤なやつめ!
>
> キシには神が付く、恐いものなしだな。歴史は発掘なので、穴を掘るだけ、足を引っ張るんじゃない、
>
>
五月蝿い。静かにしておれ。
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古事記 徐福
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009627M.jpg
https://ctext.org/shiji/huai-nan-heng-shan-lie-zhuan/zh
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Re: 古事記 徐福
秦野北斗さんへのお返事です。
実在しない人物のことやっとる老人がひとりw
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「他人の空似」と「本物」とを見極める力
-ドゥックはチベット語で「ある、です」の意味なんだが、書くとadukまたは’dukなんだよね。まさに日本語の「ある」に通じ、西田龍雄も日本語rとチベット語dの対応も指摘されていたように思う。
ただ、マレー語でもadaで似てるんだよね。最後の母音は弱化するので「ある」に聴こえる。
テュルクはbar、varでしょ。
以上、「他人の空似」と「本物」とを見極める力が必要だねという投稿でしたw
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武蔵野ローム層
ウルム氷期早期、5〜7万年前、8mほどの厚さのローム層を武蔵野ローム層と呼びます。上の3mほどが立川ローム層で2〜3万年前の堆積。東京・武蔵野での旧石器文化はほぼこの立川ローム層で見られます。
北海道白滝遺跡群の旧石器は1〜2万7千年前のものでほぼ武蔵野旧石器と重なるようですが、多摩丘陵にみられる武蔵野ロ−ム層下部の東京軽石層はおよそ5万年前、箱根火山の噴火灰です。この東京軽石層の上下から旧石器が発掘されています。つまり、東京の多摩丘陵におよそ5万年前にヒトが来ていたことがわかる。
この最初に武蔵野にあらわれたヒトが謎です。
白滝遺跡群 ↓
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DTMte_oDM-iY
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Re: 武蔵野ローム層
山田さんへのお返事です。
> ウルム氷期早期、5〜7万年前、8mほどの厚さのローム層を武蔵野ローム層と呼びます。
>
縄文・超古代史掲示板の方へどうぞ。
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Re: 古事記 徐福
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009632M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
AI君は、漫画だったな、字が読めたらいいのにな。
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> 実在しない人物のことやっとる老人がひとりw
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Re: 武蔵野ローム層
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009633M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
武蔵野の古代史が専門です。
旧石器は縄文でも超古代でもありません。
> 山田さんへのお返事です。
>
> > ウルム氷期早期、5〜7万年前、8mほどの厚さのローム層を武蔵野ローム層と呼びます。
> >
>
> 縄文・超古代史掲示板の方へどうぞ。
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Re: 武蔵野ローム層
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009634M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=TMte_oDM-iY
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Re: 古事記 徐福
秦野北斗さんへのお返事です。
アマテラス・・・
そんな妄想ほんとに信じてるのか・・・
もっと意義のあることがあろうに。これもまあ不運なんだな。
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(無題)
しかし、思った以上に掲示板がスッキリしたね!w
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【嬴姓】【少昊】
【嬴姓】
「秦氏、?氏、梁氏外,其他嬴姓?氏大多居于?方。所以嬴姓十四氏皆是少昊之后」(ウィキ)。
徐姓であればO-M117が出ている。江蘇の徐氏。
なので、ファンタジーには与したくはないが、仮に徐福が存在すれば、O-M117になるんだろう。
徐には子姓もあるが、五帝の系譜的には同じ事。姫姓から、姫姓周、子姓殷、祁姓堯・劉氏が出る。
【少昊】
蟜極の父・帝嚳の祖父となると時代が古すぎてO-M133としか言えない。
姫姓周族O-CTS9678と同じかも知れないし、姒と同じなのかもしれない。
杜康が夏王朝の少康だとすれば、杜姓O-F438か周族O-CTS9678か。
もっとも少昊は前漢時代に追加されたものという話しもある。
?????的少昊氏加入古史系?自刘歆始[4]。
少昊
黄帝の子(『路史』では孫とされる[註釈 1] )母は皇娥あるいは?祖。西海のほとりにあったと伝わる窮桑(きゅうそう。現在の山東省曲阜市)で生まれる[3]。『史記』五帝本紀には、蟜極の父・帝嚳の祖父にあたると記されている。五行の上では金徳・西方・白色を示すとされ、金天氏・白帝という称はそれに由来する。
『三国史記』によれば、新羅の武将金庾信は金官加羅国の王家の子孫であり、その始祖・首露王は少昊の子孫にあたるという[註釈 2]。
東海の青陽に国をたて、のちに都を曲阜に置いたとされる。『春秋左氏伝』昭公十七年の項には、暦を作成し、官名を玄鳥氏、伯趙氏、青鳥氏、丹鳥氏など、鳥類の名で呼んだことが記載されている。
藤田勝久『項羽と劉邦』には、「伝説 に よる と、 秦 の 先祖 は 顓頊 という 帝王 の 末裔 で、 大 費 の とき 夏 王朝 を 開い た 禹 の 治水 を 助け、 舜 から 嬴氏 を 賜っ た 」と言う。
藤田勝久. 項羽と劉邦の時代 秦漢帝国興亡史 (講談社選書メチエ) (Kindle の位置No.139-142). . Kindle 版.
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【整理】五帝の系譜
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009638M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009638_2M.jpg
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五帝の系譜
いずれの姓も中国にて最多の子孫を残している。
かなり分かってきたところで、その出自を整理して置きたい。
0. 羌族(古西戎)系O-M117の系統樹
・O-M117
・・O-M133
・・・O-CTS9678
・・・O-CTS4658
・・・O-F438
・・・・・O-F155
1. 姜姓
五帝の系譜というのはどれも東羌族・北羌族群の系譜と見て良い。
炎帝・姜姓は別格で、黄帝の上か兄弟みたいなもの。
サブグループは分からないが、強いて言えば、古羌・磨溝遺跡(〜紀元前2500年)で出たO-M117(サブグループ不明)となるだろう。
2. 姒姓
夏王朝の姒姓のハプロは、磨溝遺跡の後としてO-M133かもしれないし、サブグループの混在かもしれない。四川北西部の現代羌族に禹にまつわる伝承が多く残されていることから現代チベット・ビルマ語集団の第6グループO-CTS4658かもしれない。
姒というのは「兄嫁」という意味である。細かな親族名称が存在することは遊牧民に共通している。
3. 姫姓(周)と4. 祁姓(漢)
図で分かるように、子姓(殷)と姫姓(周)と祁姓(漢)は並列の関係。
黄帝の姫姓を受け継いだのは周。周は第5グループO-CTS9678、堯→祁姓漢は第1グループO-F438>>O-F155で確定。
5. 子姓(殷)
殷はシナ語族系O-JST002611が大きな役割を担ったように思える。しかし、殷族も羌族と元は同じであり、殷族と羌族との差異は単に生業のみだったかもしれない。その場合、殷族はシナ語に同化されたと見ることができる。どうもそのようだと見られる。O-JST002611の中国での均一的な拡がりから見て黄帝部族が進出する前の中国で最多ハプロだったのだろう。
図3のように、黄河文明や中国の歴代王朝の多くを生んだ山西省の母なる川・汾河が流れるところに黄帝部族は展開する。
6. 嬴姓
嬴姓が残る。これも姜姓同様に古い時代に東海に存在していた。
ハプロはO-M133とでもなるのだろうが、五帝の系譜では顓頊系に属すので、夏王朝と同じかもしれない。だが、『史記』五帝本紀には、黄帝の子・蟜極の父系統とされているので、これだと姫・祁系で、O-CTS9678かO-F438となる。
【整理】
東海の「古西戎人5姓」のハプログループ推測
(1) 姒姓:O-M133かサブグループの混合。
(2) 姜姓:O-M117
(3) 嬴姓:O-M133かサブグループの混合。
(4) 姫姓:O-CTS9678(これは確定)
(5) 祁姓劉氏:O-F438>>O-F155(これも確定)
姜姓・嬴姓について、山東という地域柄からO-F438の可能性がある。
(備考) O-M134におけるO-M117の兄弟ハプロO-F444の捉え方に関して付言して置きたい。
現代チベット・ビルマ集団におけるO-M134は排他的にO-M117である。
しかし、O-M117の多様性が最も高いことからチベット・ビルマ集団の起源集団と見なされる羌族・ギャロン人において、低頻度ながらO-F444が含まれること、また、南東チベットのデン人にO-F444が3割を占めることから、「原チベット・ビルマ集団」をO-M134と規定しても良いだろう。
したがって、五帝の系譜には初めからO-F444も共存していたと言って良いかと思う。
とくに、嬴姓とも言われる李姓についてO-F444が多いと言われるし、また、韓国の姜姓についてもO-F444という情報がある。
なので、O-F444が高頻度で存在した可能性のある上古姓として、嬴姓と姜姓を留保して置きたい。また、そのことは、嬴姓と姜姓の古さに鑑みても妥当だと思われる。
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Re: 武蔵野ローム層
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs/300
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html
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アマテラスの実在を信じるのは論外だが、「アマ」という語についてはかなり追跡することができる。
秦野北斗さんへのお返事です。
> 古事記のアマテラス、ツキヨミ、スサノウの正体が判明した。
>
アマテラスの実在を信じるのは論外だが、「アマ」という語についてはかなり追跡することができる。
日本語では、天(アマ)という語から雨(アメ)が派生したと考えられる。単語家族とも言う。
日本語と類似しており且つ同じような派生をしている語があれば、日本語との同系性の蓋然性が高いことが言える。
1. 天(アマ)
・現代羌語:m?(?は曖昧母音、マ)
・ギャロン語:t?-m?(タマ)、mo(モ)
t?-は接頭辞。
・ビルマ語:mo(モ)
いずれも天(アマ)と語形は似ている。第一関門クリア。
次に、単語家族「雨(アメ)」を見る。
2. 雨(アメ)
・現代羌語:m?(マ)
・ギャロン語:t?-mo(タマ)
・ビルマ語:mo
3. 以上、一目瞭然であろう。
例えば、ギャロン語においても「天(アマ)」t?-m?(タマ)/moから「雨(アメ)」t?-mo(タマ)を派生させていることが分かる。
さらに、音韻の規則的対応を総合的に確かめなければならないが、まずは同系の確率は高い。その他の類似語の多さ、上記の単語家族での一致の多さ、いくつかの音韻の規則的対応からして、日本語は「日本=チベット・ビルマ語族」である。
4. さらには、日本人は、チベット・ビルマ語族と重なるハプログループO-M134でも一致している。例えば、チベット人にO-M134=4割のところ、日本人では1割。
古人骨においても、古羌・磨溝遺跡でO-P201=100%(特定されたサブグループでO-M117)が出ており、これで、(1)古人骨のハプログループ、(2)現代人のハプログループ、(3)言語が三位一体で一致し、「日本=チベット・ビルマ語族」の有効性が確認されるのである。
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Re: 武蔵野ローム層
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
> 山田さまへのお返事です。
>
> 超・古代史掲示板へ「ローム層」について書き込みをしました^^!
> 興味のある方は「どうぞ^^」
>
やっぱ、旧石器はソッチの世界だよねw 普通、「縄文以前」はソッチ。
「古代日本」「渡来人」というからには、弥生から古墳時代を指すのが通常の解釈だとは思う。
この掲示板もかなりシェイプアップされてしまったので、こちらに書き込んでも良いんでしょうが。
けど、夏とか殷の時、日本は縄文時代よねw
夏や殷に遡る大陸集団が日本に渡来したのだから、この点は通時的に考えないといけない。
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龍と劉、辰
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009642M.jpg
龍
・Proto-Sino-Tibetan:*m-bru(ng/k)、ムブル(ン/ック)
・チベット語:brug、ブルック(現代口語:ヂュック)
・漢語上古音:*[m?]-roŋ([ム]ロン)
劉(字義:殺す?)
・漢語上古音:*m?-ru(ムゥルゥ)
龍と劉、関連すると見て良かろう。
さらに、辰国・辰韓の「辰」も。チベット語「龍」brug、現代口語:ヂュック参照。
辰(字義:龍、雷、天体)
・漢語上古音: djyn(デュン)、dyr(ドゥル)
人々を殺すものが「龍」であり(地震・雷・火事・洪水・戦争…)、
その龍を殺す者が龍使い「劉」。
春秋戦国時代そのものが巨大な龍。時代という名の龍。
春秋の晋の大将軍・士季(*[m-s-]r??.*kids)の子孫から漢の劉季(*m-ru.*kids)が出て漢王朝は世界帝国として400年続く・・・
ちょっと出来過ぎじゃ?w
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Re: 武蔵野ローム層
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さまへのお返事です。
ありがとうございます。先様からお返事をいただきました^^。
> けど、夏とか殷の時、日本は縄文時代よねw
> 夏や殷に遡る大陸集団が日本に渡来したのだから、この点は通時的に考えないといけない。
先様は「徐福」についてはファンタジーとお考えのようですが、わたしは「そうは思いません」 以前にも申し上げましたが、列島に遺る<養父・ヤブ>七ケ所(以上?)の 地名の現存は 何人も否定できません。この地名は徐福たちが連れてきた「長生き実証用」の童子たちを住まわせた所と(私は)断じました。始皇帝は徐福達に「不老長寿の薬石とその仙人を連れて帰れ!」と命じました。「これがその薬石と仙人です」と云って持ちかえっても、誰がそれと信じましょうか(sigechian izumo氏)。そこで連れて行ったのが長生き実証用の童子達だったのです。(3千人?隊の)多人数を一ヶ所に住まわせるには無理があるので列島に分散して大切に大切に育てました。徐福たちは「私たちは養父です」とはいっても「この地は養父です」とは決して云いません。<養父・ヤブ>の地名は、多人数の子達たちを育てていることを奇異に思った列島人が付けた地名です。
徐福たちは、とりあえずの薬石を年末に(出雲へ)集め持ち帰えらねば(八百万の神達=徐福分団長)なりませんから、帰り路も迷ってはならない。そこで△点(山)を定めながら「神仙探索」をした。これは後に補助随行した列島人達の航路や陸路として発達していった。先のizumo氏は、日本海航路は隔県(駅馬車航路)で美人が(混血?)多いと云われましたよ(笑い)。
さて、東方神仙に棲むという荒神(龍=モンタージュ画)!何するものぞ! 列島の北へ行くほど、その本性を(それから2千余年前の別述巨大隕石)伝える人達が多くなる。列島の初物珍重にたいして。深山の霊芝、岩壁のツバメの巣、熊の肉球しかり、危険を恐れず蒐集するのが中国人の心意気だ^^!。東北地方へは最強の武人を用意した。先様が仰るように、列島人にすればその甲冑人は彼の地から荒神がおわしたと思うほどの文明差がある。そうと思い違いして<遮光面土偶>を遺している。その着ている甲冑は、この時期の列島文明にすればあまりにもリアリティだ。
それを「竜」と呼んだら伝説で、「巨大隕石」といったら科学ですか?
それが科学ならナンセンス! my絶版;報告書より、
先様は、人類移動の発端が何か? と云われたことがありましたね。近代においては争い事も含まれるでしょうが、その大事変(巨大隕石)に、時空をこえて「我と、我が身」を置いてみてください。ツングースカも比ではありません。『人類の移動や神という思考形成の底流には巨大隕石への畏怖がある』 現学がそれと認めるのはいつの日になるのでしょうか。先様のような有能な方が「それに気づかれれば」それほど強いことはありません。 その時をお待ちします。できれば当方のボケが進行しないうちにお願いしたいのですがぁ〜〜(笑い)。
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html
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Re: 武蔵野ローム層
??史実探偵: 平 素人(ヒイラ??モト)さんへのお返事です。
> これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さまへのお返事です。
>
> 先様は「徐福」についてはファンタジーとお考えのようですが、わたしは「そうは思いません」 以前にも申し上げましたが、列島に遺る<養父・ヤブ>七ケ所
>
山東や江蘇から日本人になる集団が来たのは確かでしょ。DNA的にこの辺りの漢族と日本人は一番近いんだから否定のしようがない。その中に当然徐姓もいたでしょ。徐福って人は?知らない。
江蘇の嬴姓徐性ならO-M117だけど、もちろん他のO2もいた。なにも変な神話や迷信と結びつけることなんてない、普通の人々が来た。それでいいじゃないの。
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Re: 龍と劉、辰
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009645_2M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
AI君、字が読めないわりに、漫画が役に立ってるな。
辰国=秦国
始皇帝の血筋は恐いな、100年経過するも、権威がのこる。
始皇帝の末裔、始皇帝の後継が神武になる、豐御毛沼命=御家=蛇=龍、部下に劉
神武の国名が漢、神武は部下に劉の名前を与えた、中国全部が劉で漢になる。
漫画にはないだろう、史記にはあるぞ・・・
追記、志賀島の金印のつり手が蛇だろう、御毛なんだよ
> 龍
> ・Proto-Sino-Tibetan:*m-bru(ng/k)、ムブル(ン/ック)
> ・チベット語:brug、ブルック(現代口語:ヂュック)
> ・漢語上古音:*[m?]-roŋ([ム]ロン)
>
> 劉(字義:殺す?)
> ・漢語上古音:*m?-ru(ムゥルゥ)
> 龍と劉、関連すると見て良かろう。
>
> さらに、辰国・辰韓の「辰」も。チベット語「龍」brug、現代口語:ヂュック参照。
> 辰(字義:龍、雷、天体)
> ・漢語上古音: djyn(デュン)、dyr(ドゥル)
>
>
> 人々を殺すものが「龍」であり(地震・雷・火事・洪水・戦争…)、
> その龍を殺す者が龍使い「劉」。
> 春秋戦国時代そのものが巨大な龍。時代という名の龍。
> 春秋の晋の大将軍・士季(*[m-s-]r??.*kids)の子孫から漢の劉季(*m-ru.*kids)が出て漢王朝は世界帝国として400年続く・・・
> ちょっと出来過ぎじゃ?w
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Re: 龍と劉、辰
秦野北斗さんへのお返事です。
> 辰国=秦国
>
> 始皇帝の血筋は恐いな、100年経過するも、権威がのこる。
> 始皇帝の末裔、始皇帝の後継が神武になる、
>
ああ、神武なんてものは架空だが、崇神・応神はO-M134で間違いない。少なくともその何れかがO-M117であり、村上天皇から現代まで追跡できる。
O1b2や旧表記D2など話しにならない。前者は次元の異なる原始人、後者は国津神だ。O1b2はO-JST002611とともに重要だな。
始皇帝も関係がない。「秦人」というのは中国の北方出自の集団を指したメタファーに過ぎない。彼らが韓半島から北九州に上陸する。北九州からやって来た彼らが大和盆地の「覇王」だ。覇王と言うにはスケールは小さいがなw
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Re: 龍と劉、辰
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009647M.jpg
https://zh.wikipedia.org/wiki/神武門
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東女國の雅州が日本
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009648M.jpg
https://zh.wikisource.org/wiki/舊唐書/卷197
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首刈り民族と卑弥呼
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009651M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009651_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009651_3M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=fikGfyPlIu0
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Re: 龍と劉、辰
> O1b2や旧表記D2など話しにならない。前者は次元の異なる原始人、後者は国津神だ。O1b2はO-JST002611とともに重要だな。
>
(訂正)
前者(O1b2)は国津神、後者(D2)は次元の異なる原始人
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大王の姓はそのまま「王さん」だったかもしれない。
韓国では応神天皇が王仁だという説があると言うが、王仁そのものではなくても、大王の姓はそのまま「王さん」だったかもしれない。だから姓などいらない。
楽浪の王さんならば、O-M133の姫姓ハプロO-CTS9678だろう。
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O-F444は「容赦しない遺伝子」⇔交渉と妥協、コンセンサスの遺伝子O-M117(O-M133)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009654M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009654_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009654_3M.jpg
秦野北斗さんへのお返事です。
図:「有名人のハプログループ」より
・O2a1a(華北系)=O-M188
・O2a2b(秦・西域系)=O-P164
・O2a2b1a(華夏・西戎系)=O-M134
・O2a2b1a1(秦系)=O-M117(O-M133)→「日本=チベット・ビルマ系」とするのが良い。
・O2a2b1a2(カザフ系)=O-F444→「疑似アルタイ系」とでもなるのかな。
> 始皇帝の血筋は恐いな、100年経過するも、権威がのこる。
>
この一文だけはあっている。
秦は600年続いた。
嬴姓は秦の他に趙、また徐などの東海嬴姓諸国があったから、
そのyDNAハプログループは現代中国までかなりの影響を及ぼしている。
だから、この点において「始皇帝の血筋は恐いな」というのは合っている。
ただ、もうひとつ、恐さがあるように思う。
秦王室のハプログループはO-M117(O-M133)の周族と同じサブグループ(O-CTS9678)だと言われる。
華夏・西戎系O-M134(O-M117とO-F444)ということは間違いないだろう。それ以外のハプグループである可能性はない。
嬴姓徐氏もO-M117だが、同じく嬴姓と言われる李姓にO-F444も多いと言う。私が知る李さんも2人ともO-F444だ。O-F444はO-M134の片輪として漢族において15%程度を占める。O-M117と合わせO-M134は中国で3割を占め、最も優勢なグループだ。
また、カザフ人のナイマン人にこのO-F444が5割近く見られる。
中国では、匈奴に降り匈奴女と結婚した李陵の子孫なのではないかという話しがかなり信じられている程だ。
(面白い話しだが、史実では李陵の子孫は匈奴の政争に巻き込まれ死んだことになっている)
しかし、秦の王室がO-F444である可能性はあるだろう。
同じ嬴姓の白起も同じとなる。白起も長平の戦いで20万人だか生き埋めにしている。
嬴政も内外の敵に容赦しなかった。
それがもうひとつの恐さ。
・・・O-F444は「容赦しない遺伝子」?
同じくO-F444が多いナイマンも、ネストリウス派キリスト教から仏教に改宗したあと中央アジアのムスリムを大虐殺している。
これが、もうひとつの恐さかもしれない。
交渉と妥協、コンセンサスの遺伝子。
一方、O-F444の兄弟ハプロO-M117はどうか?
チベット人やタングート人のように一時強大化した集団はいるが、
後漢期に陝甘で頻発した羌族蜂起にしても、対殷闘争・牧野の戦いにしても、ほとんどは「自らの生存のためにやむなく」戦争に巻き込まれた感じがある。
O-F438の劉邦も「戦わずして勝つ方法」を実践し、結果、武断主義の項羽に勝利し、
その王朝は400年も続いた。この点、同じく戦わずして勝利する方法を採った太公望・姜子牙と似ている。姜姓もO-F438だと思う。
村上源氏O-F438からは初期大王もこのサブグループに属した考えて良いだろう。
劉邦と同様の交渉と妥協、コンセンサスのサブグループ。
だからこそ、O1b2や旧表記D2は生き残れた。
O-M117(O-M133)のサブグループ
・O-F438(太公望?・劉邦・初期大王)=日本のO-M133の36%
・O-CTS4658(現代チベット・ビルマの多数派)=同じく36%
・O-CTS9678(周族・秦人)=18%
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Re: 首刈り民族と卑弥呼
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009656M.jpg
https://zh.wikisource.org/wiki/舊唐書/卷197
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Re: 首刈り民族と卑弥呼
秦野北斗さんへのお返事です。
> 卑弥呼は、鮮卑の皇女で陳寿が付けた名前なの。東女國,西羌之別種,です、女國は西羌で、卑弥呼は別種なの、西羌とは何の関係はありません。ハプロは日本になる。しかし、チベット、羌には日本語が残るのね・・・
>
>
> 東女國,西羌之別種,以西海中復有女國,故稱東女焉。俗以女為王。東與茂州、党項接,東南與雅州接,界隔羅女蠻及白狼夷。其境東西九日行,南北二十日行。
>
勝手解釈で海を越えさせています。周知の事実ですが、本当にこの人はアホですねぇ!w
「東女国」とは、四川北西部に住むギャロンのことです。
チベット高原の「東」です。中国人が崑崙・チベット高原を中心に東西南北と形容するのは良くあることです。
また、チベット北縁のチャンタン高原にも「女国」がありました。ラサには唐ボウ国からダチャワという女性の統治者が出ます。
日本なんかと全く関係りません。眼中に入ってませんw 自意識過剰...
また、魏晋南北朝から唐代にもチベットには様々な羌族が分布していました。
女国羌というのもありラサ周辺を支配し、リーダーは女性だったと考えられています(万永林『中国古代蔵緬諸民族源流研究』)。
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Re: 首刈り民族と卑弥呼
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009660M.jpg
秦野北斗さんへのお返事です。
日本語がチベット・ビルマ語の祖型と関連するというのは事実で、両民族はyDNAハプロO-M134を共有しています。彼らはアチラから日本に来たのです。
常識ですが、日本の縄文系に多かったと見られる旧表記D2とは全く関連しません。
チベット人にD1が3ー4割占めるというのは事実ですが、D1とD2は分岐から5万年も経過した別人種です。
仮にy-Dに語族があったとしても、
5万年も語族を保つなど不可能です。
秦野の妄想癖は、
**********************
時空の感覚を喪失してますw
**********************
y-Dがアフリカで起源したことも明らかになっているので、Dのまま日本に渡来して、日本のDが大陸に渡って拡散することなど有り得ません。
(仮に縄文人が大陸に渡っても身体的・文化的に劣る彼らは瞬殺されますw)
また、縄文人は弥生人に征服されています。世界の例を見ても狩猟採集民の言語は失われます。はるかに時空も超え、さらに言語学の原則も無視した妄想です。
縄文人は古東南アジアの狩猟採集民、アンダマンのオンゲ人、フィリピン・台湾のネグリトとゲノムを共有しています。アッチの人々です。
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石窟寺院方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009665M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009665_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009665_3M.jpg
ちょっと先日から中国内外のネットワークの話があり、その他訳あって、以前こちらでお知らせして会報にも掲載した石窟寺院を結んだ方位ラインを、さらに修正を加えてみました。図1のとおりです。
その石窟の位置は下記のとおり。
敦煌莫高窟(北緯40度02分、東経94度48分)と雲岡(北緯40度06分、東経113度07分)の石窟寺院を結ぶ東西方位ライン。
雲崗石窟(東経113度07分)と龍門石窟(北緯34度33分、東経112度28分)の南北ライン。
同じく雲岡石窟とホータン(37度6分 ,80度1分 コマクリム石窟)、バーミヤーンの石窟(34度43分、67度48分)を結ぶ方位ラインがあり、ササン朝の首都クテシフォン方面へ。
キジル石窟(41度47分、82度30分)
高句麗古墳群(38度57分、125度55分)
アジャンター石窟(20度32分、75度11分)
カッパドキア(38度40分、35度50分)のキリスト教住居
これらのことから、この石窟寺院にかかわった技術者や宗教者は、正確に測量された位置に石窟を造営したと考えるのですが、時期的には漢代から北魏あたりまでの年代で東遷しながら造営していったようです。
文献史料にも敦煌の石窟寺院を造営した僧侶が雲崗で造ったいたことも記されてますし、同緯度にノーモン測量をして造営していったことはよく理解できます。
高句麗古墳群の構造は、そのままアジャンター石窟寺院あたりの構造によく似ており、もしかすると、ダイレクトに中国国内を経由せずに高句麗に向かった集団もいたのではないかと考えはじめています。
最終的に6世紀初頭に、九州から装飾横穴墓を造営していった新漢人等と結びついていくことを予想しますが、ネットワーク的な面からいくと、単に移住東遷したというだけではなく往来していた可能性も感じますね。
図2はバーミヤーンの石窟、図3は吉見横穴です。構造的にはよく似てます。
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Re: 石窟寺院方位ライン: 空白のシルクロード"青海の道"
管理人さんへのお返事です。
> 敦煌莫高窟(北緯40度02分、東経94度48分)と雲岡(北緯40度06分、東経113度07分)の石窟寺院を結ぶ東西方位ライン。
>
> 雲崗石窟(東経113度07分)と龍門石窟(北緯34度33分、東経112度28分)の南北ライン。
>
> 同じく雲岡石窟とホータン(37度6分 ,80度1分 コマクリム石窟)、バーミヤーンの石窟(34度43分、67度48分)を結ぶ方位ラインがあり、ササン朝の首都クテシフォン方面へ。
>
> キジル石窟(41度47分、82度30分)
>
> 高句麗古墳群(38度57分、125度55分)
>
> アジャンター石窟(20度32分、75度11分)
>
> カッパドキア(38度40分、35度50分)のキリスト教住居
>
> これらのことから、この石窟寺院にかかわった技術者や宗教者は、正確に測量された位置に石窟を造営したと考えるのですが、時期的には漢代から北魏あたりまでの年代で東遷しながら造営していったようです。
>
無事で何よりです!
これは興味深いです。
ホータンから楼蘭、敦煌、山西と繋ぐのは西部鮮卑と羌族でしょう。吐谷渾です。後には吐蕃。
空白のシルクロード:青海の道 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdsr.nii.ac.jp%2Frarebook%2F07%2F
「ミーランを出発した青海ルートは、祁連山脈西のアルトゥン山脈を越えてツァイダム盆地に入り、青海(フフ・ノール)のほとりを経て、湟水の谷(現在の青海省省都・西寧あたり)に至る。ここからはさらに、東の渭水盆地(関中〔≒秦。西安を中心とした一帯〕)や南東の四川盆地(蜀)へと道が通じていた。
青海地方を中心として周囲を見回してみると、この地方は、北のモンゴリア、東の華北と華南、南のチベット、西の中央アジアをつなぐ五叉路の中央という地理的位置にある(青海地方と周辺地域の位置関係(2))。つまりこの地方は、西域諸国と華北・華南を結ぶ東西交通路の一つとして、重要な位置を占めているのである。最近になって進みつつある青海地方の発掘調査は、これまでほとんど“空白”だった青海ルートの様相を、徐々に明らかにしつつある。
青海ルートを最も活用したのは吐谷渾である。吐谷渾は、中国の南北朝時代にあたる4世紀から7世紀後半に活躍した遊牧民族国家で、遼西鮮卑族(慕容氏)の一派が青海地方に進出し、チベット系の原住民を支配して建国したと伝えられる。国名の吐谷渾とは、王室の祖先の名前で、彼は初め兄弟間の確執から一族をつれて西走し、はじめ蒙古高原南辺の陰山方面に拠ったが、4世紀初頭に永嘉の乱による晋王室の南遷に乗じて青海地方に進出したという」。
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空白のシルクロード"青海の道"(2)
青海の道。
この重要なシルクロードの存在は日本人には余り知られていません。西アジアの文化がテュルクが使う「草原の道」と、西部鮮卑や羌族が使う「青海の道」によって、ローマ文化王国新羅に運ばれたことは想像に難くありません。
「草原の道」というのは北モンゴルを経由します。遊牧集団が跋扈するあんな危険なところは隊商は使わないです。この道に沿って点在する西アジア由来のガラスも襲われたから出土するのだと思います。
朝鮮半島に齎された数多い西アジアの物品の大部分は「青海の道」を通って齎されたのでしょう。環境が厳しく発掘は困難でしょうが、掘れば何か証拠となるものが出て来るはずです。
この道の「運び屋」として最も活躍したのは吐谷渾。慕容鮮卑の出自だが、完全に羌族化されたと見られています。第22代国王・諾曷鉢は、羌族。
自吐谷渾本人率一千七百?到青海一帶駐牧時起,吐谷渾就統治附近的廣大羌族部落,到他後代所建立的政權已經完全羌族化了(劉学銚『西夏王朝: 神秘的?水城』)。
【青海の道の重要性】
青海ルートが交通路として意外に重要であったことは、『宋雲行記』の宋雲・恵生ら一行の入竺経路の記事から推測できる。北魏・神亀元年(518)胡太后の命を受けた宋雲らは、仏典を求めて都・洛陽からインドに向かったが、その際に常道であった河西回廊ルートではなく、吐谷渾領の青海地方を通って西域南道の「鄯善」に出るルートを用いた。このような重要人物の往来にも青海ルートが使われていたことから、吐谷渾の保護下に青海ルートを利用する人々は少なくなかったのではないかと考えられる。
【イラン商人240人、ラクダ600頭の大隊商も利用】
この青海ルートで吐谷渾は、西域諸国と中国の交易における案内者という役割を果たしていたようだ。西魏・廃帝二年(553)、吐谷渾王の使者が華北東部の北斉から帰るところを北周の刺史が襲ったところ、「商胡二百四十人、駞騾六百頭、雑綵絲絹以万計」(『周書』巻五十)だったという記録がある。吐谷渾の人々が案内する一行は意外に大規模であり、イラン系商人が240人、そして彼らはラクダ600頭に、万をもって計るほどの大量の絹を運んでいた。この記録からは、西域商人を中国へ手引きし、それによって利益を得ていた吐谷渾の姿をみることができる。
【華南地方とも交易の媒介を行う】
一方、吐谷渾は中国の華南地方とも交易の媒介をおこなっていた。南朝側の記録には、吐谷渾は「河南国」(河南=洮水の西、甘粛省臨夏県の地方)の名で登場するが、その役割はやはり西域諸国との中継者・案内者だったようである。『梁書』の滑国(エフタル)に関する記述には「其言語待河南人訳、然後通」とあり、吐谷渾人がエフタルと中国の間の通訳をしていたこと、『南斉書』芮芮(ぜいぜい)虜伝には「芮芮常由河南道而抵益州」とあり、芮芮(柔然、蠕蠕)が四川盆地に向かう場合は常時、吐谷渾領の青海ルートを経由していたことが記されている。
【河西回廊に取って代わった青海の道】
吐谷渾は、こうして西域諸国と華北や華南との間で中継貿易をおこなうことにより、大きな利益を上げていたと考えられる。さらに、吐谷渾は、青海地方だけでなく、西域南道のミーランやチェルチェンあたりまで進出していた。このように河西回廊ルートと青海ルートの分岐点として重要なミーランを支配におさめたということは、西域南道から中国へ向かうモノの流れを、河西回廊ルートよりも青海ルートに誘導することになり、東西交易における吐谷渾の立場をより有利にしたとみられる。
【北魏による討伐、吐蕃によって滅亡、吐蕃による青海の道掌握】
このように東西交易で利潤を手にしていた吐谷渾に対して、西域に進出しようとする北魏(太武帝)、隋(煬帝)、唐(太宗)は相次いで討伐をおこなった。特に北魏による征討(445年)では、敗北した吐谷渾王、慕利延(ぼりえん)は部族を率いて逃走しながら于闐国(うてんこく、コータン)に侵入、その王と多数の民を殺し、さらに西方の罽賓(けいひん、カシミールあるいはガンダーラ)まで逃走したという。
【吐蕃と青海の道】
吐谷渾を滅ぼし、その役割を受け継いだのが吐蕃である。吐蕃とは、7世紀初めから9世紀中葉にかけてチベット高原に成立した統一王朝で、吐蕃はそれに対する中国側の呼称である。吐蕃は663年に吐谷渾を滅ぼし青海地方を手にいれると、つづけて唐の領域にも侵入した。安史の乱(755〜763)で唐朝が危機に立つと長安を脅かし、さらには河西回廊を占領してそこに強い地盤を築いた。敦煌莫高窟もこの時期は吐蕃の支配下におかれた。
【ウイグル帝国と結んだ唐による占領】
このように吐蕃は一時、タリム盆地から河西回廊にかけての東西交通路を掌握し強大な力を誇ったが、ウイグルと結束した唐により徐々に占領地を奪回され、855年には沙州(敦煌)刺史の張儀潮(ちょうぎちょう)が唐へ帰順し、この方面での支配権を失った(莫高窟第156窟南壁の張儀潮統軍出行図(3))。その後、青海ルートは、歴史の記述から徐々に姿を消していくことになる。
【西域南道の一部としてのミーラン】
このように、青海ルートを活用していた吐谷渾や吐蕃からみれば、ミーランは青海ルートの西域南道側の出入口として重要な意味をもつ場所であった。一方、ミーランを西域南道の一部分としてみれば、そこは西方からの文化が伝わってくる場所でもあった。こうしたミーランのもつ二つの性格を物語るように、ミーランからは性質も時期もまったく異なる二種類の遺跡が見つかっている。その一つが、3世紀末以前のものとみられる仏教寺院址である。
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Re: 空白のシルクロード"青海の道"(2)
ご参考
青海の道特集。
NHK 新絲綢之路 EP07 青海 天空之旅
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DVaSDpihh02s%26fbclid%3DIwAR1CZF25iRjpLGViin6SBSAUd67uJ97OQmobCvJCBWZmQIIVqs21SzPGHls
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私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009669M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009669_2M.jpg
図:古今東西、戦争の無益さを嘆く杜甫の詩「兵車行」(戦車の歌)
私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
ルーツは湖北省:家族出于襄阳杜氏,依郡望可称襄州襄阳?(今中国湖北省襄阳市)。
例の「龍使い劉累」の子孫に、御龍氏、唐氏、杜氏が出、杜氏から士氏、士氏から范氏が出るわけです。
嬴姓、劉邦、李白、杜甫、そして私の位置を祁姓以降系統樹で示せば:
祁姓(ルーツは黄帝姫姓)
・堯
・・・夏王朝第6代国王少康)→(1)
・・・・贏姓→(2)・・・・李信・・・・・李白
・・・・・・・・・・・・・秦王嬴政
・・・・劉累(夏王朝第14代国王の時)
・・・・・御龍氏
・・・・・唐氏
・・・・・杜氏・・・・・・・・・・・・・杜甫
・・・・・・士氏
・・・・・・・士会(晋から秦へ亡命)
・・・・・・・・范氏
・・・・・・・・秦の残留士氏・劉氏
・・・・・・・・・O-Y17728
・・・・・・・・・・O-F316
・・・・・・・・・・・劉邦O-F155
・・・・・・・・・・日本のO-17754
・・・・・・・・・・・日本の初期大王・・・・・村上源氏
(あ〜胸アツだなァ…)
初期大王や村上源氏、大中臣なんてそんな最近のもんはどーでもよく、それ以前に遡る大陸との悠久の繋がりがですよ!
なるほどですね!
姒姓の姒(兄嫁)の意味が分かりました。これ、黄帝から見て兄・炎帝の女系です。男系には現れない。なので、夏王朝の姒姓は女系であって、男系では黄帝の姫姓と同じで第6代国王が杜姓(<祁姓)の祖となるわけです。
ちなみに、他の上古姓のうち姫は「分別ある」、嬴は「余剰のある」、ヨウ(女偏に兆)は「ハンサム・エレガント」、キツ(女偏に吉)は「慎み深い」という意味。
注
(1) 許慎在《?文解字》中?:“古者少康初作箕帚、秫酒。少康,杜康也。”少康是夏朝第6代國王,居住在今河南西部。所以,如果?杜康是杜姓始祖。
(2) 据《史??卷第五?秦本? 第五》??,嬴姓一族因在?史演進中受王室分封而逐漸分成十四氏,即:徐氏、郯氏、莒氏、?黎氏、运奄氏、菟裘氏、将梁氏、黄氏、江氏、脩?氏、白冥氏、蜚廉氏、秦氏、?氏[2]。而?姓来自少昊族系,有?多佐?。
この杜甫の詩は秀逸なので、全文載せておこう。
教養を無視して勝手読みする秦野以外は、正しく読めると思う。笑
ーーーーーーーーー
兵車行
車轔轔 馬蕭蕭
行人弓箭各在腰
耶嬢妻子走相送
塵埃不見咸陽橋
牽衣頓足攔道哭
哭声直上干雲霄
道旁過者問行人
行人但云点行頻
或従十五北防河
便至四十西営田
去時里正与裹頭
帰来頭白還戍邊
辺庭流血成海水
武皇開辺意未已
君不聞漢家山東二百州
千村万落生荊杞
縦有健婦把鋤犁
禾生隴畝無東西
況復秦兵耐苦戦
被駆不異犬与鶏
長者雖有問
役夫敢申恨
且如今年冬
未休関西卒
県官急索租
租税従何出
信知生男悪
反是生女好
生女猶得嫁比鄰
生男埋沒随百草
君不見 青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾
-
Re: 首刈り民族と卑弥呼
秦野北斗さんへのお返事です。
私は、甘粛・青海から中国東北へのO-M134の移動経路を「ドラゴン・ロード」と名付けたい。
最古のシルクロードです。
y-Dのスンダランドからシナ海ランド経由日本渡来の道も名付けたい。
「ネグロード」です。海に沈みました。Negro+road。どうですか?笑
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009671M.jpg
https://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/漢詩/兵車行
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
秦野北斗さんへのお返事です。
> 訳したから
>
> 車轔轔 馬蕭蕭 車は、響き響き 馬は、静か静か
> 行人弓箭各在腰 並び人、弓矢は、それぞれ在り物腰
> 耶嬢妻子走相送 琅琊(ろうや)の乙女と目合わす、子供を走らせる、助け送る
>
お、お、お前の訳、それ、本気か?冗談じゃなく、本気なわけ?
おまえ偏差値30なかっただろ...
お前の時代に偏差値は多分ないな。だが、そんなレベルではどこも受からん。
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Re: 首刈り民族と卑弥呼
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009673M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
AI君の名前を付けたら、歴史に名前を残すのが、学者の名誉だろう。
スンダランドからシナ海ランド経由日本渡来
> 私は、甘粛・青海から中国東北へのO-M134の移動経路を「ドラゴン・ロード」と名付けたい。
甘粛・青海から中国東北、韓国になるな、古代には韓国から神武門までを御世(みゆき)と言っている。
敵が多いぞ、
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> 私は、甘粛・青海から中国東北へのO-M134の移動経路を「ドラゴン・ロード」と名付けたい。
> 最古のシルクロードです。
>
> y-Dのスンダランドからシナ海ランド経由日本渡来の道も名付けたい。
> 「ネグロード」です。海に沈みました。Negro+road。どうですか?笑
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Re: O-F444は「容赦しない遺伝子」⇔交渉と妥協、コンセンサスの遺伝子O-M117(O-M133)
項羽は容赦ないね。項羽はどの推測でもO-M7なのだが、これも「容赦ない遺伝子」だな。
O-P201
・O-M188(船すごい勢いで漕ぎまっせ系←トンガ王国まで行ってる)
・・・O-M7(容赦ない系)
・O-M134
・・・O-M117(結構寛容・現実主義系)
・・・O-F444(容赦ない系)
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009675M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=ldJLIUDwyIw
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
秦野北斗さんへのお返事です。
「これでよ」かねぇよw
全く漢文のルール無視して勝手読み、挙句の果てに学者をバカ呼ばわり…
おまえ、ダメ人間だよ。
-
Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
秦野北斗さんへのお返事です。
> > 耶嬢妻子走相送 耶や嬢(母親のこと)妻子走りて相送る
> 現代語訳:父母や妻子は走りながら彼らを見送る。すごいな、耶はいずこへ?
>
お前すごいな、耶も知らんのか…
「兵車」って何か分かってるんか?兵庫じゃねぇぞw 神奈川でもないwww
杜は森じゃねえぞw
しかし、杜甫は最高の詩人だな。
> > この杜甫の詩は秀逸なので、全文載せておこう。
> > 教養を無視して勝手読みする秦野以外は、正しく読めると思う。笑
> > ーーーーーーーーー
> > 兵車行
> > 車轔轔 馬蕭蕭
> > 行人弓箭各在腰
> > 耶嬢妻子走相送
> > 塵埃不見咸陽橋
> > 牽衣頓足攔道哭
> > 哭声直上干雲霄
> > 道旁過者問行人
> > 行人但云点行頻
> > 或従十五北防河
> > 便至四十西営田
> > 去時里正与裹頭
> > 帰来頭白還戍邊
> > 辺庭流血成海水
> > 武皇開辺意未已
> > 君不聞漢家山東二百州
> > 千村万落生荊杞
> > 縦有健婦把鋤犁
> > 禾生隴畝無東西
> > 況復秦兵耐苦戦
> > 被駆不異犬与鶏
> > 長者雖有問
> > 役夫敢申恨
> > 且如今年冬
> > 未休関西卒
> > 県官急索租
> > 租税従何出
> > 信知生男悪
> > 反是生女好
> > 生女猶得嫁比鄰
> > 生男埋沒随百草
> > 君不見 青海頭
> > 古来白骨無人収
> > 新鬼煩冤旧鬼哭
> > 天陰雨湿声啾啾
-
Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009678M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
漢字の本来の読みを知らんのか、古事記上卷 并序は誰も読めない、古事記は日本語だろう。
漢文のルールで読んみろ
古事記上卷 并序
臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參?作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、?祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土産嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生?立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬?蕃息與。議安河而平天下、論小濱而?國土。
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> 「これでよ」かねぇよw
> 全く漢文のルール無視して勝手読み、挙句の果てに学者をバカ呼ばわり…
> おまえ、ダメ人間だよ。
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009679M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
「兵車」は戦車だよ
> お前すごいな、耶も知らんのか…
耶は爺の略字とすることもある。杜甫の時代には略字ないの、
杜甫が琅琊(ろうや)で書いた、兵車行は戦車の増兵・・噂に泣くで終る。ますます理解できないな、
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
>
> > > 耶嬢妻子走相送 耶や嬢(母親のこと)妻子走りて相送る
> > 現代語訳:父母や妻子は走りながら彼らを見送る。すごいな、耶はいずこへ?
> >
>
>
> 「兵車」って何か分かってるんか?兵庫じゃねぇぞw 神奈川でもないwww
> 杜は森じゃねえぞw
>
> しかし、杜甫は最高の詩人だな。
>
>
> > > この杜甫の詩は秀逸なので、全文載せておこう。
> > > 教養を無視して勝手読みする秦野以外は、正しく読めると思う。笑
> > > ーーーーーーーーー
> > > 兵車行
> > > 車轔轔 馬蕭蕭
> > > 行人弓箭各在腰
> > > 耶嬢妻子走相送
> > > 塵埃不見咸陽橋
> > > 牽衣頓足攔道哭
> > > 哭声直上干雲霄
> > > 道旁過者問行人
> > > 行人但云点行頻
> > > 或従十五北防河
> > > 便至四十西営田
> > > 去時里正与裹頭
> > > 帰来頭白還戍邊
> > > 辺庭流血成海水
> > > 武皇開辺意未已
> > > 君不聞漢家山東二百州
> > > 千村万落生荊杞
> > > 縦有健婦把鋤犁
> > > 禾生隴畝無東西
> > > 況復秦兵耐苦戦
> > > 被駆不異犬与鶏
> > > 長者雖有問
> > > 役夫敢申恨
> > > 且如今年冬
> > > 未休関西卒
> > > 県官急索租
> > > 租税従何出
> > > 信知生男悪
> > > 反是生女好
> > > 生女猶得嫁比鄰
> > > 生男埋沒随百草
> > > 君不見 青海頭
> > > 古来白骨無人収
> > > 新鬼煩冤旧鬼哭
> > > 天陰雨湿声啾啾
-
Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
秦野北斗さんへのお返事です。
> これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
>
> 「兵車」は戦車だよ
>
> > お前すごいな、耶も知らんのか…
>
> 耶は爺の略字とすることもある。杜甫の時代には略字ないの、
>
> 杜甫が琅琊(ろうや)で書いた、兵車行は戦車の増兵・・噂に泣くで終る。ますます理解できないな、
>
戦車じゃねぇよw...
知識が浅すぎる。やはりお前に学問はまだ無理。まず、基礎を固めること。
> > > > 兵車行
> > > > 車轔轔 馬蕭蕭
> > > > 行人弓箭各在腰
> > > > 耶嬢妻子走相送
> > > > 塵埃不見咸陽橋
> > > > 牽衣頓足攔道哭
> > > > 哭声直上干雲霄
> > > > 道旁過者問行人
> > > > 行人但云点行頻
> > > > 或従十五北防河
> > > > 便至四十西営田
> > > > 去時里正与裹頭
> > > > 帰来頭白還戍邊
> > > > 辺庭流血成海水
> > > > 武皇開辺意未已
> > > > 君不聞漢家山東二百州
> > > > 千村万落生荊杞
> > > > 縦有健婦把鋤犁
> > > > 禾生隴畝無東西
> > > > 況復秦兵耐苦戦
> > > > 被駆不異犬与鶏
> > > > 長者雖有問
> > > > 役夫敢申恨
> > > > 且如今年冬
> > > > 未休関西卒
> > > > 県官急索租
> > > > 租税従何出
> > > > 信知生男悪
> > > > 反是生女好
> > > > 生女猶得嫁比鄰
> > > > 生男埋沒随百草
> > > > 君不見 青海頭
> > > > 古来白骨無人収
> > > > 新鬼煩冤旧鬼哭
> > > > 天陰雨湿声啾啾
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Re: 私が敬愛してやまない詩聖・杜甫もO-F438です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0009681M.jpg
これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
じゃーなんだよ、
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> > これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ)さんへのお返事です。
> >
> > 「兵車」は戦車だよ
> >
> > > お前すごいな、耶も知らんのか…
> >
> > 耶は爺の略字とすることもある。杜甫の時代には略字ないの、
> >
> > 杜甫が琅琊(ろうや)で書いた、兵車行は戦車の増兵・・噂に泣くで終る。ますます理解できないな、
> >
>
> 戦車じゃねぇよw...
> 知識が浅すぎる。やはりお前に学問はまだ無理。まず、基礎を固めること。
>
>
>
> > > > > 兵車行
> > > > > 車轔轔 馬蕭蕭
> > > > > 行人弓箭各在腰
> > > > > 耶嬢妻子走相送
> > > > > 塵埃不見咸陽橋
> > > > > 牽衣頓足攔道哭
> > > > > 哭声直上干雲霄
> > > > > 道旁過者問行人
> > > > > 行人但云点行頻
> > > > > 或従十五北防河
> > > > > 便至四十西営田
> > > > > 去時里正与裹頭
> > > > > 帰来頭白還戍邊
> > > > > 辺庭流血成海水
> > > > > 武皇開辺意未已
> > > > > 君不聞漢家山東二百州
> > > > > 千村万落生荊杞
> > > > > 縦有健婦把鋤犁
> > > > > 禾生隴畝無東西
> > > > > 況復秦兵耐苦戦
> > > > > 被駆不異犬与鶏
> > > > > 長者雖有問
> > > > > 役夫敢申恨
> > > > > 且如今年冬
> > > > > 未休関西卒
> > > > > 県官急索租
> > > > > 租税従何出
> > > > > 信知生男悪
> > > > > 反是生女好
> > > > > 生女猶得嫁比鄰
> > > > > 生男埋沒随百草
> > > > > 君不見 青海頭
> > > > > 古来白骨無人収
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