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歴史掲示板

83秦野北斗:2012/02/19(日) 00:39:24
Re: 邑
管理人さんへのお返事です。

鋭い、おっしゃる通り、倭人も単里で測定しています。おまけに中国語も話しています。『三国志魏書』倭人伝に記録があります。当時の倭人は距離を知り尽くし、1月で歩ける距離を知っていたのが現実の様です。これから言える事は倭人の行動範囲は現代人のスケールを遥かに超えたものと考えるべきです。倭人伝に『船で行くこと一年で至るとか。』一年の航行を可能としている。航行距離は大きいものではない(特定済みです)。単里は歴史が古く紀元前2万年ぐらいに定められたものらしい。里数77メートルは間違っている。神話に出てくる。本来、歴史は連続するものです。古事記のアマテラス(女王)、大国主の国譲り、スサノオ、神武天皇、神功皇后。これらを考察に入れなければ・・・。そう深刻に考えなくてもいい、魏志倭人伝の女王国は古事記の初代アマテラス(女王)を指している。難解ですか。


『三国志魏書』倭人伝(通称:魏志倭人伝)

女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、?齒國復在其東南、『船行一年可至』。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。

 女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。また、その東南に裸国や?歯国も在り、『船で行くこと一年で至るとか。』倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。


> 「三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。 その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。」
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> 随書のこの記載は面白いですね。女王国に属しているのにもかかわらず、各国は王と自称したとあることは、いわゆる倭国がかなり緩やかな連合国だったことを意味してます。ここの部分は、魏志とは別の記録を引用してますね。しかし同じくらい古い倭について記した文献。魏志は省略されているとの秦野さんの意見と関連するかもしれません。
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> ただ、この里数を知らないので日数で距離を示すという記載は、7世紀当時のもので、もはや中国式の測量技術も廃れ忘れられたころの話かと感じます。しかし魏・漢の時代はしっかり把握していたと考えてます。
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> この隋書の記事も、倭人に距離つまり日数をあえて尋ねているんですね。自分ではもはや計ってません。
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> でも、魏使は多少は簡易的な測量をした可能性はあります。方位とか日数とかですね。
> しかし正確な方位に基づく面積の測量は、これは人手も半端ではないですし、できる時期も限られてきます。精度の高い里数77メートルとかは、倭人との大掛かりな協力体制、あるいは過去に倭にやってきた中国人?の測量結果に頼らざるを得なかったという感じがします。




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