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Re: 『三国志魏書』倭人伝の訳
秦野北斗さんへのお返事です。
さっそく御返事ありがとうございます。
> 壱岐から松浦は六百里しかないんです。
私も秦野さんご紹介の地図をみながら、かなりアバウトな距離数値だと感じてました。
帯方から狗邪韓国まで7千余里という数値は、おそらく海沿いに回った距離ではなく、内陸の距離を示しているものと感じます。魏以前の時代から、すでにそこまでの距離は測量で確定していたことでしょう。それを陳寿が引用したのでしょうね。
たとえば漢書の朝鮮関連の記載に下記のようにあります。
「以故滿得兵威財物侵降其旁小邑 眞番・臨屯皆來服屬 方數千里」
すでにこの時点で、かなりまだアバウトですが、測量記載がありますね。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/shiki/chousen/gen.htm
同様に、ご指摘の「南至邪馬壹國、女王之所都」の「都」に関する記載についても、中国文献の記載の仕方を分析していくと、わかってくるかもしれません。上記の続きでこんな記載もあります。
「滿亡命 聚黨千餘人 魋結蠻夷服而東走出塞 渡水 居秦故空地上下鄣 稍役屬眞番・朝鮮蠻夷及故燕・齊亡命者王之 都王險」
「燕王の盧綰(ロワン)が背き、匈奴に亡命すると、髷(まげ)を結い、蛮夷の衣服を着た満は千余の人々を連れて長城を出て東に逃れ、?水(清川江)を渡り、秦の時代の昔の空地に居を構えて鄣(長城)を出入し、真番に軽く属していた朝鮮蛮夷や、その地に暮らす昔の燕や斉からの亡命者らの王となり、王険城(王倹城とも)を都とした。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kochosen/kochosen4-eisichosen.htm
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