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Re: 『三国志魏書』倭人伝の訳
管理人さんへのお返事です。
> 帯方郡から狗邪韓国までが七千余里+対馬まで1千余里+壱岐まで1千余里+松浦まで1千余里+伊都国まで500里+奴国(すなわち女王国の属国の北限の境界にある国)まで100里で、おおよそ1万2千里という意味だろうと感じます。ソ連のウラジオストク州からモスクワまでのような感じでしょう。
帯方郡から狗邪韓国まで1万2千里、壱岐から松浦は六百里しかないんです。1万2千里の意味は水行で歴韓国、歴韓国から陸行になる。歴韓国が基点で狗邪韓国までが7千里になる。後の5千里は暦韓国から帯方郡の陸路の距離です。魏志は海岸に2千里沿い。陸行で5千里(海岸に2千里+歴韓国から海岸3千里)になる。何か事情があった模様です。
> それとは別に女王国の都するところまでが陸行1ヶ月、水行10日かかったわけですね。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮、可七萬餘戸。
南に邪馬壹国の女王の都に至るには、水行十日、陸行一ト月。官には伊支馬があり、次を彌馬升といい、その次が彌馬獲支、その次が奴佳鞮という。七万余戸ほどか。
『都する』をミヤコと読んでいませんか?、『女王之所』は『女王の所』でミヤコとは言っていない。これは、行程を読み解かないと読めない。『女王之所都、水行十日、陸行一月』を中国語を熟知した人でも『女王の都に至る』と訳している。この訳は間違いです。これじゃ一生かけてもたどり着かない。400年のなぞは理解できる。
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