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歴史掲示板

61秦野北斗:2012/02/11(土) 00:31:27
Re: 枯野
管理人さんへのお返事です。

> 邪馬台国までは魏志では、陸行1月(OR、+、水行10日)。 それが、南北3ヶ月、東西は5ヶ月の記載に変化する。
> 九州から茨城までを東西として5ヶ月とすると、1ヶ月でいける距離は、5分の1で、せいぜい岡山くらいまでとなるでしょうか。
> 当時の道は獣道でしょうし、主に沿岸沿いや坂道を多く歩いたでしょうから、我々の想像よりはるかに時間がかかるのかもしれません。獣道に慣れない人なら、1日にせいぜい15キロ程度でしょう。1月・450キロがいいところではないでしょうか。

水行10日は潮流から1〜0.5Knot:1.8〜0.9km/h で200Km程度。意外でしょう。
魏志倭人伝は中国から陳寿が来て文章にしている。いろんな事情があり陸行(月)、水行(日)としている。中国史籍を読み解けば、陳寿、卑弥呼の事情を知ることができる。

九州から茨城まで:約1000km、5分の1で:約200km。せいぜい広島です。感覚で1 月・450キロですか、1単里で64m近いです。しかし、正確でなければ、命取りに成りますよ。魏志倭人伝、中国史籍の距離に対応します。正確でなければ、魏志倭人伝の帯方郡、京師まで辿れる。中国史籍の韓半島の新羅、百済、扶余の位置が判明します。
注意が必要なのは、東西5ヶ月、南北3ヶ月は直線距離です。またも、意外でしょう。
陸行1月(OR、+、水行10日)は行程距離、道のりです。

尚、道は獣道に慣れない人なら・・。これは、大きな間違いです。通常の街道です。現在もこの道を使用している。名まえは変わり、現在は国道に成っている。途中から・・線(茅渟(ちぬ)の道)なり、道幅は5mはある。国道?号線は伏せておきます。楽しみが無くなるため。

本件は、韓半島の京師、帯方群から邪馬台国までの行程を纏めて出版『徐福と邪馬台国』してます。
古事記の解読は終わり、校正しています。




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