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歴史掲示板

60管理人:2012/02/10(金) 23:00:05
Re: 枯野
秦野北斗さんへのお返事です。

あらら、拙い会報のほうもすでに拝読いただいているとのことで、ありがとうございました(*^_^*)

それで先の旧唐書の

「京師から一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って暮らす。『東西に五カ月の行程、南北に三カ月の行程。」

の部分なのですが、帯方からの距離は、魏志の記載から変化してないんですよね。新羅という国名が新たに出てきており、その後新たな距離情報が入りこんでます。先日の新羅の文献を引用しましたね。

それにしても3ヶ月、5ヶ月というのは、魏志で陸行1月とか水行10日とかいう記載との対応でどうなるのか、その辺が課題です。

ただ東西5ヶ月については、唐代になれば、馬や駅宿のある時代の話ですから、いささか長すぎる感じもします。

そうすると、やはりもっと古い時代で、馬を使わない徒歩や、小型船での距離感覚によるのかもしれません。

ご指摘の徒歩と距離換算の件は、そういう意味で重要です。馬や大型ガレー船での距離・時間感覚ではないのでしょう。

したがって、魏志も旧唐書も、ともに徒歩での距離感覚を、わざと記載しているのではないかと感じます。

邪馬台国までは魏志では、陸行1月(OR、+、水行10日)。 それが、南北3ヶ月、東西は5ヶ月の記載に変化する。

九州から茨城までを東西として5ヶ月とすると、1ヶ月でいける距離は、5分の1で、せいぜい岡山くらいまでとなるでしょうか。

当時の道は獣道でしょうし、主に沿岸沿いや坂道を多く歩いたでしょうから、我々の想像よりはるかに時間がかかるのかもしれません。獣道に慣れない人なら、1日にせいぜい15キロ程度でしょう。1月・450キロがいいところではないでしょうか。

また、水行は風向きや海流の向き、船の構造によって、大きく時間が異なってくると感じます。




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