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歴史掲示板

52管理人:2012/02/04(土) 22:53:59
枯野
秦野さん、またいろいろ情報ありがとうございます。

枯野の船を焼いて塩を作るという話が面白いですね。
製塩をするのに、大量の木材が必要だと言っているわけです。

最近聞いた話で、倭と朝鮮の間で、鉄と塩を交換していた可能性があるそうです。岩塩も九州の山地では採れたそうです。

木材は倭つまり日本のほうが取れやすかったかもしれませんね。

また琴の話は、6世紀前後の話になりますが、カヤ琴の話が有名です。

そう考えていくと、任那と応神・仁徳との関わりは、重要かもしれません。

あと、補佐役という視点からいくと、コノハナサクヤヒメとセット出てくる塩土翁の存在があります。その塩の意味は、潮から転じて潮流のことだとか、製塩の神としても祀られるとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シオツチノオジ

古事記では「塩椎」とも書かれていて、「椎」は、堅いシイの木のことだそうです。塩と木・船の関係が見て取れますね。書紀では「塩土」になって、製塩土器を思わせるように変化していく。

似たような船頭役をする人物に、宇豆毘古・シイネツヒコ(椎根津彦)というのがいます。
http://gejirin.com/src/U/utuhiko.html

九州南部の隼人から北部の大分、畿内にまで関係する重要人物です。「椎の竿の末を持たせてタケヒトの船に引き入れた」とのことで、別のところでも、蓑笠姿の翁として、香具山から、埴輪の土を持ってくる。

上記の流れで考えると、「海の老人」、製塩土器との関わりも考えうるでしょうし、黄憧を持って船で乗り込んだ人物、ニギハヤヒやニニギとの関わりも感じさせますね。

何か実在するイメージを元にして、できあがった人物像だろうと感じます。




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