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歴史掲示板

31管理人:2012/01/27(金) 21:41:26
Re: 表音
秦野北斗さんへのお返事です。

そうですね、呉音で、魏の使いと会話していたのではないかと感じます。彼等が向こうにいっても、自分の名前や漢字を毎回間違いなく伝えているので、「難升」という官職の「米」という男だと、相手にも伝わっているのでしょう。

後代の「アマタラシヒコ・・・、セインコウ」とは少し違う感じがします。この時代になると訓読みの完全な当て字になってますからね。

松浦を示す末廬国についても、「末」は呉音で「マチロ・マツロ」なのでして、漢音の「バチリョ」ではないことなども、呉音文化圏が広まっていたことお傍証になるかと感じます。

ただ問題はいつ呉音の文化が入ってきたかですね。
ご紹介のとおり、弥生時代のある時期かと感じるのですが、HLAハプロタイプのほうを、以前から調べています。

骨髄バンクでサンプル数が多いので、比較的正確な分布データが期待できます。

http://blog.livedoor.jp/touxia/archives/50929736.html#
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm

その年代推定
http://www.pag1u.net/kodai/hla.html

この辺を調べていくと、人種的な動きが読めますから、秦野さんのおっしゃる倭人の動きとも関係してくることでしょう。すでにご存知でしたかな・・?

不思議なのは、ミャオ族や、北方遊牧民、さらには中東・アイルランド系に多いHLAまで出てくるところですね。我々が想像するよりも、ずっと激しい動きがあったものと考えてます。

あとご紹介の三角縁神獣鏡の問題、これはとても重要です。

一般には、漢字文化圏ではないから、銘文は理解できていなかった。それで漢字が左右逆になったような鏡が出てくるという説ですが、かならずしもそうだとは言い切れない部分もあるんですよね。

少なくても呉音を理解していた九州北部方面での文化圏では、それが通用しなかったことも考慮しておくべきでしょう。分布地域と、その銘文の反転とかズレとかある度合いなども調べてみるとよいのかもしれません。


景初三年
http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara jinja.htm

関連記事
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-3/2010_0201.htm


ただ、その前に邪馬台国がどういう地域にあったのか?について考えてみると、先ほど読んでいてほとつの考えが浮かんできました。

邪馬台国の南の狗奴国の後に、風俗記載が列記されている件ですね。会稽の東に位置する云々の部分です。文章的にみて、これは狗奴国の風俗ではないでしょうか。

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

また女王国というのとは、別に北に30国余りがあって、これも一応女王国の属国で、全体として邪馬台国とも見えます。旧ソ連とか戦国時代みたいなものですね。日本国の中に、和泉国があるのと同様です。中には以前、マツラ国のように、官職のほかに、王がいた国もあった。

これらの属国は一大率という伊都国の警察が監視して巡回していたわけです。そして彼等が外国との交渉もしていたわけですね。

ところが、その女王国の南?のほうには、「大倭」という別の警察がいることになっていて、いわゆる「倭」という別?の国の習俗とかが記載されているのです。

おそらく秦野さんも、この辺の分離に疑問を感じて、任那地域にまで踏み込まれたのではないでしょうか。

そして神獣鏡をいつどこが受け取って、どう配ったかという問題へと進んでいくわけですね。

陳是作鏡自有経述本是京師杜地命出吏人銘之位至三公母人銘之保子宜孫寿如金石兮
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