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歴史掲示板

291管理人:2012/03/25(日) 07:48:07
Re: 周髀算経
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0000301M.jpg

秦野さん、さっそく情報ありがとうございます。

> 1.始めて海を1000余里渡ると対馬国に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)。大官は卑狗(ひこ)、副>   よって、8尺の棒に対する影の長さの差1寸は、地上の距離にして千里にあたる。
>   これが「一寸千里の法」である。
>
> 里:76.66m
>
>   また、夏至の日には1尺6寸であった棒の影は冬至の日には13尺5寸である。

> 里:43m


そうすると、下記のキシさんの紹介サイトなども参照すると、魏志の北九州の里の記載は、上記の夏至の76.6mと一致するようですから、短里をつかったか、倭人の側から聞いたという線になりそうですね。

ただ弥生中期からの北九州の遺跡を結んだ距離は、前述のとおり、前漢尺ですから、1里420mで一致してこないことになります。

そうすると選択肢としては、魏もしくは、その直前あたりに大陸からやっていた測量士のほうで、あえて長里を使用せずに、周髀算経による短里数値を記載したということになるでしょうか。


周髀算経を使う場合の特徴は、まず基点を洛陽と同じ緯度におくことですから、ほぼ同緯度の椿井大塚山や磐舟神社あたりに拠点を置くことは相違ないところです。

そうすると、論理的には、魏の集団たちは奈良までやってきた計算になるのですが、ただおそらく測量は使者ができるようなものではない大規模なものなので、軍隊といったほうがよいでしょう。

ただ、夏至の日に測量しないといけない点ですね。

ともあれ、昨晩記載した宮を結ぶ方位ラインで気になっているのは、開花天皇の春日宮の記載です。ここが上記の椿井大塚山と、桜井茶臼山や崇神天皇陵などの拠点とを結ぶ偏角をもつ南北方位ライン上にあることがわかりました。

だから、開花天皇前後の年代が、上記の周髀算経で緯度を測って拠点とした椿井大塚山古墳の年代と同時代ということになるわけでして、4世紀末あたりになるのではないかと考え始めてます。

また欠史8代の記載と、昨晩のその欠史等の宮を結ぶ方位ラインと、関連四方区画との関連を見るに、おそらく大和の豪族たちの始祖伝承と、それらは深くかかわっているように感じます。

それらが、以前に磐船から桜井方面へと入ったニギハヤヒの子孫によるものなのか、ヒミコのいた女王国なのかはわかりませんが、昨日の宮の方位ラインをみるかぎり、神武の宮から開化・崇神・成務といったあたりに、あきらかな比例的な連続性のある方位ラインであります。

そして、その延長線上に椿井大塚山がでてくることを考慮すると、周髀算経で椿井大塚山を緯度測定した出来事が、魏の測量士というよりは、むしろ欠史8代のころ、つまり弥生中期〜末ごろに入っていた集団が行った可能性もあるうるでしょう。

しかし一方で椿井大塚山古墳と桜井茶臼山を結ぶラインが三角縁を多く出土して、特異性がある件を考慮すると、先任者と後任者との間に、共通の周髀算経等の測量的な接点がないといけないことになります。

170年代のホタテ貝式古墳と、250年代の前方後円墳との接点のようなものでしょうか。同じ木棺・鏡・朱・・などの接点です。

大和の在地豪族の件は、ニギハヤヒというよりは大国主というべきかもしれませんが、上記の欠史8代から成務にいたる宮の方位ラインは、また徐々に角度を西に倒していく、先の偏磁曲線との兼ね合いも見えます。測量方法として指南魚(方位磁針)を使用した可能性があるでしょう。

逆にそれ以降に河内に宮が移ったころからは、そのような偏磁曲線の影響が見えてこないことを考慮すると、宮造営には、指南魚による南北軸の設定は排除されたとみるべきでしょう。だから河内の四方区画にも、偏角はないんですね。

正確には神武からの初期の数代の宮は、45度ラインで偏角を持ってない可能性も感じます。そしてその四方区画にも、偏角のない南北軸をもっているようです。

しかし、第6代の孝安の室秋津島宮あたりから、偏磁曲線を持つ方位ラインに変化する。そしてその時代の古墳を結ぶ四方区画にも偏角が出てくるわけですね。

この秋津遺跡周辺からでたという庄内式土器が200年代初頭といいますから、それ以前に数代この辺に豪族の遺跡があった可能性はあるでしょうし、その200年前後から、測量方法に変化がでてきて、あるいはニギハヤヒ的な集団が移住があったのかもしれません。そしてその後260年代以降にさらに椿井大塚山や桜井茶臼山古墳等に三角縁をもたらした集団がやってきたのでしょうか。

この辺、数日かけてもう少し整理してみたいと思います。






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