レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
歴史掲示板
-
Re: 秋津島宮の関連施設が出土している
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0000254M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0000254_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0000254_3M.jpg
曲学の徒さん、秦野さん、キシさん
こんばんは。都内に出かけてました。
秋津遺跡について情報ありがとうございます。
> 秋津遺跡から特異な遺構が出土していることはご存知と思う。
> 橿考研はこの遺構の年代を四世紀前半とする。
> だが私はそこから出土している多孔銅鏃などの年代から、三世紀前半にさかのぼると考えている。
> ここは秋津嶋宮の伝承地である。秋津島宮もしくはその関連施設であっても不思議は無い。
> そして秋津島宮は六代孝安の宮である。私は「男弟ありて佐けて国を治む」とする男弟は孝安と考えている。
> 秋津島宮は卑弥呼の王宮でもある。
ひとつ方位ライン面から、情報提供できます。
この秋津遺跡から東300メートルほどの地点から、北東52度角方向にて、纏向石塚古墳へ至る方位ラインが、考安天皇陵の南部(曲学さんご指摘の円丘部分)、威徳天皇陵、畝傍山、耳成山を通過することがわかります。耳成山は秦野さんも注目されているそうですね。先ほど秦野さんの著作読み終えました。
またそのライン周辺に、神武・綏靖陵もあるので、何らかの関連伝承による位置推定なのではないかと感じます。
詳細は図を添付しますのでご確認ください。
あともうひとつ情報提供できるとすると、前述の偏磁曲線の関係で、この遺跡が磁北を10〜15度、西に傾けていることがあります。
先述の偏磁曲線つまり方位磁針との兼ね合いを感じますが、秋津遺跡の各住居の立替時期と、その向きとの対応関係が出てくれば、あるいは年代推定も可能になってくるのではないかと感じます。後代の方位磁針を使った住居建築の事例では、時代とともに、その角度が変化することが知られています。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板