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歴史掲示板

218管理人:2012/03/13(火) 03:32:42
Re: 指南魚
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0000225M.jpg

ちょっとフロに入っていて、あれこれ指南魚と山幸神話の関係でわかってきたことがあるので、とりあえず忘れぬ前にメモしておきます。


一つ目は、豊玉毘売命の侍女がもっていた容器に種類があることです。古事記および書記・一書で、それぞれ持ち物が違うんですね。玉の碗だったり、壷だったり、井戸だったりする。

どれも結局は女性の顔を映すもの、かつまた指南魚(方位磁針)を浮かべるための器とのことで、同じ機能なのですが、氏族や地域の系統でことなるので、伝承も少しづつ異なっているのでしょう。

元は三角縁神獣鏡の背面を、水を入れる器代わりにしたと考えているのですが、一方で壷をその器とする系統もあったのでしょう。だから、初期古墳から三角縁と特殊器台・壷(円筒埴輪)つまり「壷」は一緒にに出土しないんですね。機能が同じなんです。

後代、装飾古墳の事例で、やはり鏡が出土しなくなった代わりに、鏡の絵つまり同心円紋が描かれはじめる事例が指摘されているそうです。

二つ目は、山幸彦に浮き木と縄を結んでカゴや小船に浮かべる件ですね。これも先のとおり鉄針が刺さった指南魚とみなしうることがありましたが、思うに古墳の形自体が魚に類似していることと関係あるのではないでしょうか。

初期の前方後円墳は、三角縁神獣鏡とともに、船型の木棺が出てきます。船に入った埋葬者=山幸彦(の子孫:皇族)という観念があったのではないでしょうか。


ただ個人的には、初期のホタテ貝式古墳の形は、男狭穂塚やそれを模した鬼の磐屋古墳のように、鏡をイメージしたのではないかと考えてますが、そのうちに方形の橋の部分が大きくなって魚形へと変化していきます。

そしてその魚形の古墳=指南魚であり、指南魚の指す磁北に向けて、古墳の軸をあわせることで、被葬者=山幸彦が、常世の国(海神の国)へと旅立つことを示したのかもしれません。

ただ、会報でも書きましたが、よく古墳軸をみていくと、しばしば同じ古墳群に、他の古墳の向きと垂直になっている古墳が見つかります。おそらく、女性の被葬者ではないかと感じているのですが、ここにも何か葬送観念があるのでしょう。

山幸彦と、妻の豊玉ヒメの関係は、鉄針+魚に対するおなかを広げているワニの関係なんですね。この正反対の観念が、垂直に軸を向けていることと関係してくるのかもしれません。出土人骨の性別がわかれば証明されると思います。


この山幸神話は、現実世界と常世の国という、生死を意味した葬送観念と強く結びついているのではないでしょうか。後代、これらは崇神条の埴輪・石棺・土師氏関連や、さらには黄泉平坂と横穴石室あたりに取って代われるのですが、それ以前の主流な葬送儀式と結びついていたのでしょう。

だから、何気ない日向の山幸神話が、天皇家の祖先伝承の最後という最も重要な部分にダイレクトに割り込んでくるわけです。その点で隼人や関係氏族と葬送儀礼の関係は重要です。

ともあれ、初期古墳の古墳軸は、このようなわけで、三角縁神獣鏡や壷に浮かべた指南魚の向きとかかわってくることが、会報で示したとおり実測データともそこそこ一致してくるのです。

この辺は、栃木の古墳の事例を示した図を添付します。曲線が磁北の角度変化をあらわしたもので、それにあわせるように、同一古墳群の古墳軸が時間とともに、((反)時計回り)に変化していく様子が伺えると思います。

しかしながら、やや次代が下ると、磁北に加えて、始祖となる祖先の古墳の向き(方位ライン)を考慮し始めるので、さらに古墳軸の向きが複雑な様相を呈してくることになります。

この辺は、遁甲占術の世界にも似ていて、日時・干支・・といういろんな要素が加わって、数重の複合円から割り出された方角を、善しとする世界に似てきます。一部は三角縁神獣鏡の鋸歯紋が数重にもなっていることと関係してくるかもしれません。漢鏡の元は八卦などとも関係する方位盤の意味もあったかと感じます。そしてその方位を元に、測量をしていったわけですね。

会報で紹介した華南系の民族では、海を表す三角鋸歯紋の重文様を刻んだ銅鼓や神殿祭祀がありますが、海と三角縁神獣鏡と指南魚・山幸彦との関係も重要です。

その山幸神話にある出エジプトを思わせるような潮の満ち干きによる退治伝承も、あるいは中東から華南方面は流れたそれらの伝承とどこかで関係してくるのかもしれません。

それが後の斉の地域に伝わっていって、そこから出てきた方士占術や諸葛孔明の兵法とかにも関係したかもしれませんし、そこに方形壇における皇帝祭祀も一枚噛んでいるので、長沙の馬王堆墓のような方形壇をした墳墓の様相も影響していったのかもしれません。

ただ、基本的な葬送観念は、山幸彦・指南魚伝承だったので、古墳時代末期まで前方後円墳の形がかわらず、主に磁北を向いていたものと感じます。

ところがその後、ある時期から方墳や八角墳に取って代わられる出来事があって、その辺からまた葬送観念も変化していって、鏡とか指南魚の意味が、忘れ去られてしまったので、いまいち詳しい記載がなされていないのではないでしょうか。






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