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歴史掲示板

196管理人:2012/03/10(土) 21:53:26
Re: 楽浪考古
秦野北斗さんへのお返事です。

> その辺の資料はないのでしょうか。未だ整理していないのです。資料そのものが古代史です。秦野が家紋に興味をもったのは、神武東征の解読中のことです。先祖に遡る手法は古代の人種移動と種族の特徴を整理します。その後、先祖から大事にしている家紋で特定するのです。

さっそくお返事ありがとうございます。平安初期から家紋が作成されはじめた理由は、ご指摘のとおり、源氏の発生や、系譜観念の変化が影響していると感じます。それ以前から、類似したものはあっただろうと感じますね。

それなりに、その氏族なり家なりの象徴が、家紋に刻まれているはずです。五七桐紋は、七支刀にも似てますが、百済・新羅の樹木冠を想起いたします。田村後宮をとおしての桓武・嵯峨が百済と深いつながりがあるのも関係しているかもしれません。ご紹介いただいた「胡蝶の舞」の写真にも、舞人の頭に似たよなものが見えますよね。

その百済については、通典に興味深い記載があります。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/tuden.html

まず、先に倭韓関連で、特に注目したい記載を下記に列挙しておきます。

●馬韓条

馬韓最大、共立其種爲辰王、都目支國。

※目支國は月支國とも書かれてますね。

撃破朝鮮王準、居秦故空地上下障、稍役屬真蕃、朝鮮諸夷、反故燕、齊亡命者王之、都王險。

※「真番」を「真蕃」と書き換えてます。「燕、齊亡命者」とありますが、齊はや山東半島にあるので、あるいは、直接海をわたって朝鮮中部に渡ったケースも想定すべきでしょう。

遼東太守即約滿爲外臣、保塞外、以故滿得兵威財物、侵降其旁小邑、真蕃、臨屯皆來服屬、地方數千里。傳子至孫右渠、所誘漢亡人滋多、

※「真蕃、臨屯皆來服屬」とあることから、「真蕃」に加えて「臨屯」も、特定集団の名称だったことがわかります。

●辰韓条

以大鳥羽送死、其意欲使死者飛揚。

※これは四川・雲南方面の習俗で、元は月氏・サカなどの遊牧民系が、中国南西部に南下したことによります。その残りがチベットに分離・南下した小月氏。

後漢光武建武中、韓人廉斯人蘇馬[言是]等詣樂浪貢獻。【[言是]音是】帝封蘇馬[言是]爲漢廉斯邑君、使屬樂浪郡、四時朝謁。

※「韓人廉斯人蘇馬[言是]」の「廉斯(レンシ)人」についてですが、先の月氏の城が「監氏(ラン)氏」です。韓人というのは馬韓でしょうから、「月支国」から「辰王」を出すとの記載と関係しそうです。

大月氏の都は『漢書』では監氏(ランシ)城、『後漢書』では藍氏城、『魏書』では盧監(ロラン)氏城から薄羅(バクラ)城となっている。

于闐の「尉遅(うっち)氏」も月氏姓との説があり、中国の官人として各地で進出していました。
于闐関連。
http://dsr.nii.ac.jp/narratives/discovery/02/

大者名臣智、其次有險側、次有樊wai[偏水旁歳]、次有殺奚、次有邑借。



●百済条

百濟 、即漢末夫餘王尉仇台之後、【後魏時百濟王上表云:「臣與高麗先出夫餘。」】初以百家濟海、因號百濟。晉時句麗既略有遼東、百濟亦據有遼西、晉平二郡。【

※扶余の王族は「尉」氏。「初以百家濟海、因號百濟」ですが、「濟」に「渡る」の意味がありますが、別に「百濟亦據有遼西」とあるのが気になります。高句麗よりさらに西北に拠点があるとのことで、「百家濟海」の「百家」は、あるいは中国系の亡命移民あるいは商人集団を指していた可能性を感じます。


●新羅条

其俗呼城曰「健牟羅(ケンムラ)」、其邑在内曰「喙評(クァイヘィ)」【喙、呼穢反】、在外曰「邑勒」、亦中國之言郡縣也。國有六喙評、五十二邑勒。

※この辰韓の「評・邑」制度は、中国の郡・県(ケン)制度をもとにしており、日本の郡評制度と関係するか。「健牟羅(ケンムラ)」は日本の「ムラ」?

先の辰韓条の「大者名臣智、其次有險側、次有樊wai[偏水旁歳]、次有殺奚、次有邑借。」と比較すると、險側が健牟羅、樊waiが喙評(クァイヘィ)、邑勒が邑借と対応。

秦韓人の元はおそらく伝承どおり、楽浪・中国系。

官有十六等、其一曰伊罰于、貴如相、次伊尺于、次迎于、次破彌于、次大河尺于、次河尺于、次乙吉于、次沙大河尺于、次沙咄于【咄、都骨反】、次及伏于、次大奈摩、次大舎、次小舎、次吉土、次大烏、次小烏、次達位。外有郡縣。

「次吉土、次大烏」は、吉士集団と関連。鳥は先の秦韓の葬送観念に関係するか。


●日本条

有軍尼百二十人、猶中國牧宰。八十戸置一伊尼翼、如里長也;十伊尼翼屬一軍尼。

※「軍尼」は辰(秦)韓の軍彌国(弁軍彌国)と同音。


倭王姓阿毎、名多利思比孤、其國號「阿輩[奚隹]彌」、華言天兒也、

※「阿毎(アバイ)」「阿輩[奚隹]彌」は「アハイ(スイ)ビ(ビ)」は「アワミ」か。

王遣小徳阿輩臺、從數百人、設儀仗、

※「阿輩臺(アバタイ)」は「粟田・アワタ」(真人)のこと。

秦韓人は自分たちのことを「阿」とよび、仲間のことを「徒」と呼ぶ。


※首冠進徳冠、其頂有花、分而四散、

4つの分かれた花弁条の樹木冠をかぶっていたということか。百済・新羅の樹木冠、先の桐紋に類似?






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