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Re: 楽浪考古
秦野北斗さんへのお返事です。
> 興味深いのは兄弟なんです。卑弥呼と弟ではないか。
ま、プサンについては、どうしてもあそこを通らないと、日本へは簡単にはこれなかったでしょうからねー。
> 76.5メートルが秦野距離を証明しいます。76.5を斜辺の長さとすると辺の長さは54になります。方位ラインは東西、南北を正確に測ったのでしょうか。簡単な作図を添付しました。
> 方位ラインは大切だが正確に方位を知ってほしい。秦野の超短里が短里なんです。
なるほど、ご指摘の54メートルがそれでは正解ですね。あとは、その公倍数やルート関連となるでしょうか。
斜辺と正辺との関係は、九州の遺跡において相互依存の関係にあります。まだオフレコですが、次回の会報あたりで詳細図をお知らせできると思います。
> 管理人さんの先祖は蘇我、聖徳太子系、源氏の可能性がある。どうりで只者でない。
>
> 常陸の少し上ですな、五七桐、桐紋は蘇我、聖徳太子系です。源氏にもなる。堺の羽曳野が河内源氏で木瓜紋の家紋がありました。宗教は仏教系でしょうか。
家紋はちょっと先ほど調べてみてびっくりしました。思ったより古くまで遡れるようですね。
その五七桐も嵯峨天皇あたりから使用されていたとのことです。三春田村氏は渡来系漢氏の族長坂上田村麻呂の子孫を称して、代々使用してきたらしいのですが、田村麻呂は、ちょうど嵯峨天皇の前の桓武時代の人です。
奇しくも後代の皇室の副紋、征夷大将軍の紋章というのは、田村麻呂にぴったりですね。
ちなみにうちの先祖の土地は、確かに常陸から北に向かって先の原発のあるところから内陸に向かい、三春田村に向かう途中の土地で、熊沢天皇とかで有名な南朝系の土地です。真言宗ですが・・・曽祖父は宮大工とのこと。今でも江戸時代の木造家が残ってます(ただ避難区域なので・・)。
蘇我まで遡れるとするとまた面白いですね!
五七紋の七の枝分かれした房が、石上神宮の七支刀をイメージさせる感じで、百済とかかわりを感じさせます。菊紋も百済と関係深いですね。
> 因みに揚羽蝶紋は平氏で源氏より200年は古い、中部に多い
平安初期までは確実にさかのぼれるようですから、奈良時代の紋章の様子がわかってくると、家紋研究も古代史学に入れそうですね。その辺の資料はないのでしょうか。
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