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Re: 楽浪考古
管理人さんへのお返事です。
秦野の考えは単純で魏志倭人伝の行程を距離で割り出す方法です。今回、漢四郡の位置を探るのは考えていませんでした。中国史籍の威力を知りました。
陳寿のすごさを垣間見ました。また、狗耶韓国の位置と卑弥呼の痕跡が『釜山に帰れ』の詩に隠されているのはご存知ですか。
> それでその契機としては、全氏はAD37年に、高句麗が楽浪を滅亡させたという記載をあげてます。おそらくこの辺が、馬韓に遅れて秦韓人が南下する記載に至ったものと感じます。
高句麗が楽浪を滅亡は衛氏朝鮮の記録でこれが馬韓になった模様です。武帝との取引が考えられます。
提案ですが秦野書、徐福と邪馬台国を読みませんか。議論は倭国に戻りたい、伊都国と邪馬台国の住所が両者とも字になっている。古事記の国生み、神武東征を紐解きたいですね。
> そして、後漢初頭の楽浪の高句麗による攻撃によって、馬韓の東を裂くかたちで、朝鮮東南部領域へと移住していったのでしょう。
> もちろん別の流れも複数あって、あるいは朝鮮中南部の方形周溝墓と倭人の弥生文化との兼ね合いもあったのかもしれませんが、秦野さんのその辺の課題ともかかわってくるのではないでしょうか。
これらは神武兄弟とその末裔の歴史です。ピンとこないと思います。私の先祖もどうも韓半島に行き卑弥呼の年代に瑞穂の国に帰ってきた模様。糸口は家紋です。1700年はバックできる。
管理人さんの家紋があれば知らせください。簡単ですが先祖を調査します。だいたいですがね。
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