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歴史掲示板

166管理人:2012/03/03(土) 21:10:52
Re: 三韓
秦野北斗さんへのお返事です。

秦野さん、こんばんは。

> 徐福伝説を読むと、注意するところは九州の宮崎まで痕跡」があることです。
> 結論は九州は「夷州」でも「澶洲」ないのです。「夷州」「澶洲」が目的地になっている。。

確かに,「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」との記載は、琉球諸島というよりは、もっと広い地を想起させるものがあります。

「夷州」「澶洲」「大和州」の問題は、再度新唐書を確認しておきたいところです。


日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、東西五月行、南北三月行。國無城郛、聯木為柵落、以草茨屋。左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之。置本率一人、檢察諸部。

 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。



京師から日本までの距離を「萬ニ千里」から「萬四千里」へ変化させてますね。洛陽・長安間を二千里と数えたのでしょうか。

「置本率一人、檢察諸部。」で魏志の「一大率」が「本率」へ変化する。

「一大率」と「大倭」はともに魏志によれば、倭の検察官で、「大」に共通性がある。

後に「倭」は「日本」と書き換えられたので、「大倭(率)」の官職名も「本率」へと移行したとの類推ができますね。

「一」を「日」と意味交換できれば、理解しやすくなるかもしれません。
詳しくはないのですが。両方ともコリア語では「イル」と読むそうです。
壱岐は「一大国」、伊都国にいたのは「一大率」で、韓国南岸に近いことを考慮すると、あるいは「一大」の用語にすくなからずコリア語的な要素が入った可能性も考慮すべきかもしれません。

下記のサイトで、「大率」と記紀に記された「帥」の語を比較しています。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono102.htm

ちなみに、「渠帥」は、魏志等で朝鮮・匈奴関連でよく出てくる言葉で、「首長」の意味です。

キシさんご指摘の「曰は自己詛 盟としての誓約を入れる器。」との件は、時代的な解釈が含まれてないので、あまり参考にならない感じです。漢字の解釈については、その時代と地域を限定して、お知らせいただけると助かります。




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