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歴史掲示板
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真番郡
ちょっと秦韓関連で、調べたことがあったので追記しておきます。
辰国つまり秦韓の起源ですが、ウィキによると、
辰国(しんこく)は紀元前3世紀〜紀元前2世紀の間朝鮮半島南部の一部を領有したとされる鉄器時代国家。民族系統は不明。
『史記』では「真番旁衆国」または版本により「真番傍辰国」、『漢書』では「真番辰国」。したがって、辰国の前身や起源は真番郡とも考えらる。『資治通鑑』では「辰國」として登場する。『三国志』においては「辰韓者古之辰國也」とあり
http://ja.wikipedia.org/wiki/辰国
このように、前漢代の真番郡が起源らしいです。漢四郡についてはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/漢四郡
それで、箕氏朝鮮について調べてみると、
「朝鮮王否は秦に服属した(紀元前214年)。その子の準王(箕準)の代になると、秦の動乱により燕・斉・趙から朝鮮へ逃亡する民が増加したため、王は彼らを西方に居住させたという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/箕子朝鮮
とあるごとく、秦に追われて朝鮮半島には、燕・斉・趙の人民が亡命した伝承記録がすでにあったので、後代の魏志の著者が「秦語に相似しているが、燕や斉の名称ではない。」と注釈を入れたようです。
また秦語というのは、どうも秦地域の言葉ではなく、前漢代の長安を首都としていたときの標準語だそうで、その前漢代に亡命してきた移民なので、古い前漢・秦訛りを、後代秦韓地域に残したと考えうるかもしれません。
おそらく彼らは前漢代にどこからか漢四郡の真番(ソウル近辺)に移動したのでしょう。ところが真番郡廃止とともに、北の楽浪(ピョンヤン方面)に残るものと、東南の秦韓地域へと移住するものがでてきたものと考えます。
そして
「楽浪人を阿残と呼ぶ;東方人は自分を阿と言うが、楽浪人は本来、その残余の人だと言われる。」
とあるのも、その民族分離のことを指しているものとみるべきかもしれません。
倭人には呉の訛りが見えるのと同様に、秦韓人には前漢の訛りが見えたので、その辺の聞き分けを著者はよく捕らえているようですね。
もっとも、秦にアイデンティティーを持ち、起源前後の秦韓地域の遺跡からも遊牧民系の遺物が多くでてきていることを考慮すると、先の扁平頭の習俗のごとく、彼らがどこかしら前漢代の西域の亀慈・月氏・サカあたりの遊牧民族だった可能性も否定できないわけです。
まずはこの真番国について、調査を進めることが、その起源の解明につながるのではないかと感じます。ソウル周辺の前漢代の城柵とか土城あたりの諸遺跡ですね。
一部は弥生時代中期の北九州から瀬戸内あたりの遺跡や遺物と絡んでくることでしょうし、当時のきわめて精度の高い方位ライン形成ともかかわってくるかもしれません。
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