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歴史掲示板
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Re: 三韓
秦野北斗さんへのお返事です。
> 会稽東冶県の人が海に入って航行し風に遭い、漂流して澶洲に至る者がいる。と理解していますな。文中の『遭風』を整理する。
> 清代沿海帆船に搭乗した日本漂流民(松浦 章)の文章から遭を遭遇としている。
> 十一月初一日在洋遭風砍桅失舵、直訳:11月初一日に大海で舵を失い、マストが折れ、に遭遇し、航行をする。から『入海行遭風』は何者かに遭遇し出帆と理解するのが妥当と思われる。
>
> 全文を訳すと、以下
>
> 會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至澶洲者。直訳:會稽東冶縣人、澶洲者に遭遇、澶洲者の水先案内で入海行し澶洲にいたる。尚、航行し風に遭い、漂流して・・は誤訳になる。
おそらく、「者」は「てへり」という読みで、「と言う」との意味だと思います・・・・。
http://kotobank.jp/word/てえり
それから「大和州」の件が気になってます。
> > 1.東鯷人があり、二十余国 九州
> > 2. 夷洲 四国
> > 3. 澶洲 本州
> >
思うに、まず「澶洲」があって、次に「夷洲」があり、これらは東鯷人。その東に「大和州」があって倭人の島という観念があったのではないでしょうか。
もっとも「大和州」の件は、だいぶ後代の話だとおもいますけど、「大倭州」みたいな島を表すことばがあったかもしれません。
「海東諸国紀」という1400年代の朝鮮の記録に、「大倭州」が見えますね。もっとも「紀伊州」「近江州」とあるので、大和国のことだと想いますけど、ちょっと他にも面白い記載があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/海東諸国紀
ここでも、先の「彦瀲」の子の神武の名前を「狭野」と言ってますね。スサノオでしょうか。
それで話はもどって、女王国より北には「一大率」後の「本率」という軍隊がいて、それ以外のところもしくは、全体に「大倭」という文官が派遣されていたわけです。
魏率とか、奈率とかの率で、本率は、本の率と言う意味ですね。それで「日本」という語が出てくるのが気になります。小さい日本が倭を併合したという旧唐書ところです。「日本率」とすれば、日本という領域を治めた官職とも理解できます。
対馬や伊都国にあった「一大」の用語が、後に「本」に変化する。日本は「ジツホン」、呉音で「ニッホン」
「伊都(イツ)」から「ジツ」・・・。
筑紫・秦王国より東を倭とする、それ以西は中国と風俗がにていて「(東)夷の州」と解釈した例の記載が、やはりその辺で響いてきます。九州が「夷州」ではないでしょうか。倭王武は「西夷」と言ってますね。
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