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歴史掲示板
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Re: 日+京】 景行・・・景教天皇?光の信仰?
棘の紀氏さんへのお返事です。
キシさん、情報ありがとうございます。いつもながら思わず削除してしまいそうになるのですが、下記の引用は重要です。
> 後漢書に、
> 「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」
>
> 「桓帝の延憙九年(166年)に大秦国王の安敦(アントン)が遣わした使者が日南郡に訪れて象牙・犀角・玳瑁を献上した」
> 安敦とはローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(位161年〜180年)、またはその先代皇帝であるアントニヌス・ピウス(位138年〜161年)の「アントニヌス」の音を写したものと考えられる。ただローマ側の史書には使者を派遣したという記述が見られず、・・・・」
ローマとベトナム方面とのかかわりが見えて面白いですね。南海のシルクロードでしょう。もちろんその売買を担当した人たちには当然ユダヤ商人も多くいたでしょうね。ベトナムから海路で上海つまり会稽方面へ向かったのではないでしょうか。琉球・九州・朝鮮南部方面へ流れついたこともありえたかな?
ただ、この手の使者の航海は、漂流じゃないんですね。しっかり前提となる航路が航海民なり商人によって確立されていて、安全性が確認されてこそ、宝物を抱えて向かえるわけです。
日南郡
http://ja.wikipedia.org/wiki/日南郡
韓国の博物館とかいくと、海のシルクロードは積極的に評価されてますね。その辺あまり興味ないのは、日本くらいでしょう。
>?? 魏略には
> 「大秦には普段は王はおらず、国に災難があった場合には優れた人物を選んで王とする。災難が終われば王は解雇されるが、王はそれを恨まない」と書かれており、これは共和政ローマにおける独裁官に関する記述であると考えられる。
... http://ja.wikipedia.org/wiki/景行天皇
古代の新羅地域の共和制のあり方は、由水さんの本を読んで以来、興味深く感じてます。秦韓の辰王との関連ですね。馬韓の王が、天下りみたいにやってきて辰王になったらしいですが、ちょうどユダヤ人地域にきたローマの派遣官ピラトとかが来たようなものでしょう。血族的な祭祀王、合議制の議長、この辺の是非がきになるところです。
秦韓の民族意識とか、官職関連だと、
「相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」
お互いを「徒」つまり「ともがら」と意識している点も面白いところです。普通は上下の身分差があったり、いろいろあるものですが、平等的な観念が集団内にひろがっていたことが伺えそうです。
「有城柵屋室。諸小別邑、各有渠帥(ゴスイ・キョスイ)、大者名臣智(シンチ)、次有儉側(ケンソク・シキ)、次有樊秖(ハン(ボン)ギ?)、次有殺奚(セツゲ・サイケイ)、次有邑借(イフシャ・オフシャ)」
中国的な名称が混じってますが、後の研究課題。
「始有六國、稍分為十二國。」
国をすべて二つに分離するあたりが、かなり整った集団支配形態だったことが伺えます。軍隊組織のような感じですね。地理的条件・勢力云々で国を分割してないことは確かです。
あと魏略は魏の時代の文献を拾ったものらしく、下記の点が注目されているとのことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/魏略
「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 以厭水害也」
旧語に聞こえたというのも、九州各地の中国語の名残を聞いたからでしょう。太伯の後というのも、呉と習俗的なつながりを示すものと感じますが、残念ながらキシさんご指摘の金星のことではなさそうです(^_^;)
http://ja.wikipedia.org/wiki/太伯・虞仲
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