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Re: 出雲国風土記
管理人さんへのお返事です。
> 意宇郡、仁多郡は、氏族名等の「音」を示しているように感じます。楯縫郡というのは、職業部民の感じを受けますね。盾を製作する部族という具合でしょうか。
見直しました。
出雲風土記の意宇郡条、仁多郡条、・・計10郡条に秦野距離を適応し測った所。出雲風土記は郡条から郷までの里歩を羅列している模様。
10郡条:玖郡条、意宇郡条、島根郡条、秋鹿郡条、楯縫郡条、出雲郡条、神門郡条、飯石郡条、
仁多郡条、大原郡条
10郡条は杜(神社)を中心に形成されている模様。
尚、郡条と郷の特定は神社を基点に秦野距離で測ればだいたいの場所が出てくる。
注)郡条、郷は田畑、原野の可能性が大きい。
魏志倭人伝の行程(徐福と邪馬台国)の経験からです。伊都国、奴国等は田畑に成っている。
八束水臣津野命は人物でなく、八束水臣津野命詔で詔(みことのり)ですな。
八百(やお):百の八倍。はっぴゃく。また、非常に数の多いこと。
内容は八百(やお)の杜(神社)を水伯(水神)に仕える津野(水軍港)とする。でしょう。
これが、日本神話、八岐大蛇、・・、白村江の戦いに関係が出てくるのです。
見直しが正解みたいです。ここに訂正と反省します。秦野北斗
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