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歴史掲示板

124秦野北斗:2012/02/25(土) 16:52:53
Re: 案山子説は成立しない
管理人さんへのお返事です。

鋭い、もう少しです。夷洲か澶洲か、ですな。

> 會稽海外有東鯷人、分為二十餘國。又有夷洲及澶洲。傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海、求蓬萊神仙不得、徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家。人民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至澶洲者。所在絶遠、不可往來。
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>  会稽の海の外に東鯷人があり、二十余国に分かれている。また、夷洲および澶洲がある。伝承によると、秦の始皇帝が方士の徐福を遣わし、数千人の少年少女を連れて海に入った。蓬萊山の神仙を探し求めたが、出会えず、徐福は誅罰を畏れて敢えて帰らず、遂にこの島に留まった。代々に相伝し、数万家を有した。人民は時に会稽に至り交易する。会稽東冶県の人が海に入って航行し風に遭い、漂流して澶洲に至る者がいる。絶海の遠地に在り、往来すべきではない。
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> 「会稽の海の外」「会稽東冶県の人」という形で、会稽の観念が出てきてますね。夷洲および澶洲という2種類の「洲」は島の意味です。徐福伝承が記されていて、「絶海の遠地に在り、往来すべきではない。」としてます。「数万家」はかなりの人数。時折会稽東冶にやってくるだけの航海能力があるようですね。鯷はイワシの意味だそうです。漁民を感じさせますね。
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> 二十余国あるということは、そこそこ国をつくるだけの人口が、その島にないといけない計算ですから、そう考えていくと、琉球方面と見るのが、妥当かなと感じます。
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> ただ魏志では、これらの国のことを、朱儒国としたのかもしれません。
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> それで狗奴国は、数万戸で構成される大国ですから、やはり沖縄・九州・四国のような大きな島ではなかったかと感じるんですね。ただ島という記載がないので、九州・四国方面が妥当な感じがします。
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> 狗奴国が、女王国の東にあったのか、南にあったのかですが、四国という地域は、高知方面に青銅器関連の遺跡が多くあって、徳島方面にいくと、ホタテ貝式古墳なども出てきますよね。
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> 海流面からみれば、九州南部からの黒潮関係や大分方面とのつながりもあったかもしれません。九州南部から四国にかけての遺跡関連のつながりを調べてみたいところです。
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> そして両国の抗争の地は、海を挟んでいたのか、あるいは陸の境界だったのか?この辺も気になるところです。
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