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歴史掲示板

12099岩石(ハンドルネーム):2022/07/15(金) 18:41:23
岩宿時代~縄文時代
 オーシャノイド系のホモサピエンスは、海岸伝いを移動し、少なくとも4万年前には既に日本列島に最初に到達していた。志那大陸に到達する前にかなり早く日本に到達した。岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山の小さな丘陵が接する部分に位置する。昭和21年、切通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋氏は切通しで露出した赤土(関東ローム層)から石器を発見した。相沢氏はその後も何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけたが、土器は伴わなかった。当時は1.5万年以上前の火山灰からなる関東ローム層の時代には人が住めなかったと思われてきたが、自分が確かめた事実を信じ、昭和24年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見した。この発見はいち早く東京の学者に知らされ、相沢氏と明治大学が岩宿遺跡を発掘調査することになった。昭和24年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊はそれまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土した。その後、その年の10月、翌昭和25年4月にも発掘調査が行われ、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなった。その当時は最も古いと考えられていた縄文時代の土器がやや離れたC地点から発見されたが、それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていたので、ローム層から発見された岩宿遺跡(A・B地点)の石器は明らかに古いことがわかり、土器を伴わず石器だけが発見され、縄文時代より古いものであった。発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見され、少なくとも約3.5万年前(岩宿I石器文化)と約2.5万年前(岩宿II石器文化)の時期があることが判明し、早くもこの時点で岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、その岩宿時代が長い時期にわたっていたと考えられるに至った。2万年前までの世界では打製石器が使われ、旧石器時代と呼ばれたが、日本では世界よりも2万年早く磨製石器が作られ、4万年前から既に新石器時代に突入していた。また、「土器」というこの時代に無いものを用いて時代の呼び方にすることも問題である。岩宿博物館では土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと推定される日本最古の時代をその研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで「岩宿時代」と呼ぶことが何人かの研究者により提唱されている。
 1万9000年前から海面上昇が始まり、縄文時代に突入した。氷河期の日本列島はステップ気候で森林は屋久島までだったが、氷河期が終わると全体が森林に変わっていった。1万5000年前頃から地球は急激な温暖化に見舞われた。草原が少なくなり、日本列島は闊葉樹の森林に覆われる。狩猟を生業としてきたブリヤート人は大型動物が少なくなって深刻な食糧不足に見舞われた。人類が土器を使ったのは1万3000年前、シベリアのアムール川周辺で発掘され、ブリヤート人はこの手法を日本列島に持ち込んだ。ソバの原産地はバイカル湖付近から中国東北地方に至る冷涼地域。世界最大のソバの原産地であるシベリアの普通ソバが日本に伝わった。北海道の「はまなす遺跡」は縄文前期のものとみられるが、この遺跡から普通ソバの花粉が出土している。縄文晩期とみられる青森県田子町の遺跡からもソバの花粉が出土している。信州の野尻湖底からは弥生時代の普通ソバの花粉層が発見されたので、ソバ伝来の歴史は、縄文前期まで遡って考える必要があり、ブリヤート人が日本に渡来してきた時にシベリアの普通ソバを持ってきた。

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