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歴史掲示板
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Re: このパズルは解けますか。
秦野北斗さんへのお返事です。
> 拘奴国の位置問題です。
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> 1.魏志倭人伝では『女王国より、特に南の狗奴国の男王卑弥弓呼と不和で戦争状態にあった。』
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> 1.『後漢書』倭人伝『女王国より東に海を渡ること千余里で拘奴国に至る。』
>
> ヒントは拘奴国は女王国に属さない。
これはかなり難問ですね・・・(^^ゞ
後漢書は、400年代のものですが、かなり後漢当時の文献を拾っているようです。
倭についての記載も、そこそこ信用できるだろうと感じます。後漢末の霊帝あたりまで編纂が続いていたようですし、東夷伝が記されたのも最後の最後ではないかと感じます。
狗奴国の位置が南と東で相違するのには驚きました。
漢代に女王国の東にあったものが、魏の時代に南になる・・・。
『後漢書』倭人伝
> 倭は韓の東南、大海中の山島に拠って暮らす。
そこの大倭王は邪馬臺国に居する。楽浪郡の境界から、その国までは一万二千里。その西北界の拘邪韓国から七千余里。その地は凡そ会稽郡東冶の東に在り、(海南島の)朱崖や儋耳と相似しており、その法俗も多くが同じである。
倭の西北界に狗邪韓国が来るのは、特に異論ない感じです。拘邪韓国は、すると倭の一部だったのでしょうか。翻訳の仕方が気になります。
狗邪韓国から7千里というのは面白いですね。楽浪から狗邪韓国までが5千里、そこから女王国までが7千里という計算ですね。だいたい楽浪境界から、狗邪韓国までの距離にプラスアルファくらいで、届くことになりますから、三千里を狗邪韓国からマツロ国・伊都国までの距離と換算すると、あと4千里南?にある計算でしょうか。西都原とか吉備あたり・・?
ところが、狗奴国の位置が変わってしまうのが不思議です。
海を渡って東千余里の同じ記載は魏志にもあるものの、狗奴国とは断定しなくなっているんですね。
魏志では南に変化させてしまっている・・・。
女王国の位置や狗奴国の位置が、時代によって変化移動したのか?あるいは方位の見方が変わったのか・・。
後漢書ですでに台湾の記載は別にあるので、これはこれでいいと思うんです。
> 『女王国より東に海を渡ること千余里で拘奴国に至る。』いずれも倭種とはいえども女王には属していない。女王国より南に四千余里で朱儒国に至る。そこの人の身長は三〜四尺。朱儒より東南に航行すること一年で裸国と黒歯国に至る。使訳の伝える所はこれに尽きる。
「使訳の伝える所」という記載がおもしろいですね。やはり後漢書のこれらの記載は、倭人からの又聞きの話です。水行・陸行の話が出てくるのは、魏の時代で、使者が現地に行った見聞録からでしょうね。
あと、倭奴国が、倭の極南界としているのも驚きです。魏志の記載ならば、奴国はその北にある国々の中で最北界?になってますから・・・。いずれにせよ、界の国が奴国であることには変わりません。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun2-gokan.htm
ちょっと頭をひねる必要がありそうですね。フロに入って考えて見ます。
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