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歴史掲示板

10908管理人:2021/06/05(土) 23:12:43
Re: 弥生人・渡来人とO-F438; 「北燕(高雲)・高句麗王族ハプロ」CTS5308; 高句麗語、朝鮮語と日本語(O-M133-F438, CTS5308, F6800)「戎狄語」(Rongdic)
シマオゥさんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
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> > あと、そう、この高麗氏とか高句麗系亡命遺民の件ですが、これも7世紀代の朝廷・官僚に大きな影響を与えているはずです。その痕跡がハプロや言語にみえるとおもしろいな・・・。
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> 北燕の初代皇帝高雲のY染色体ハプログループは冀魯高氏O-M133-CTS5308でいいだろうね。でも、私が日本から取り寄せた『五胡十六国時代』には「高雲は高句麗人らしいが」としか書いていないな。ウィキには鮮卑が高句麗の宮殿を連行して来た王族と書いてある。この箇所の出所は不明。
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> しかし、高雲が高句麗王族で、しかも日本に来たのも高句麗王族であれば、日本の高句麗系渡来人もCTS5308の可能性が高い。そして、そのことは、中国人にはごく僅かなCTS5308が日本ではF438と張り合うほどの比率を持っていることの説明になるかもしれない。
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さっそくお返事ありがとうございます。CTS5308系統が多い理由・・・、気になりますね。
扶余・高句麗系の日本語への影響はかなり大きいように感じますね。扶余の習俗は日本神道のそれとも深くかかわっており、天皇家の外戚氏族の物部氏、初期の神道の祭祀氏族ですが、彼らの影響をCTS5308系統あたりから垣間見れると興味深いのですね・・・。


> さらに、彼らエリートの渡来より時代は前だが、ヤンフネンの言う「大陸で前日本語集団に影響を与えて原日本語を成立させた高句麗語や朝鮮語」もCTS5308周辺の言語だということになる。やはり、O-M133-F8-A9459のサブグループF438、 CTS5308、F6800あたりの言語が「日本語系統解明の鍵」となりそうだ。
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そうそう、まったくおっしゃるとおりです。


> 高句麗語が僅かしか残っていないのが障壁だが、場合によっては、高句麗語そのものが日本語、さらに朝鮮語の姉妹言語にあたる可能性も含めて。SHIMAOの人たちも近縁な言語を行っていたのだろう。トランス・ヒマラヤ語族、高句麗・朝鮮・日本語に跨る大語族ー。そのうち、高句麗・朝鮮・日本語のグループはトランス・ヒマラヤ語派と並列の関係になる性質のものとなるだろう。「戎狄語派」(Rongdic)だ。
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高句麗祖語・・、もっと資料があればよいのですが、なかなか見つからないですね。



> 【参考】
> ウィキ「高句麗語」
> 高句麗語と朝鮮語
> 高句麗地名から導き出された語彙中には中期朝鮮語との間にも多数の類似する単語が存在することが指摘されており、高句麗語で「横」を意味する*esと、中期朝鮮語の*as、「黒い」を意味する高句麗語の*k?m?rと中期朝鮮語のk?m、「牛」を意味する高句麗語*šüと中期朝鮮語syoなどが比較される[19]。アレキサンダー・ボビンは自身の研究成果に基づいて高句麗語が古代朝鮮語の一種であるとしている[30](Vovin 2013)。
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> 日本語と高句麗語
> また、高句麗地名から復元可能な語彙の中に日本語と類似したものが多数みられることから、高句麗語は日本語の系統論においても古くから注目されている[32]。日本語との比較においては数詞である*mil(三)、*ütu(五)、*nan?n(七)、*t?k(十)や、動物名である*usaxam(ウサギ)、地形を表す*tan(谷)など基本的な語彙に類似した語形のものが数多く見出されている[33][32](板橋2013)。
>


数詞が一致していることの意味は大きいですよ。
数詞は商業取引や官僚の財務管理など、政権中枢で統一してもちいられなければならないものですから、それが高句麗祖語であるならば、ある時期の日本の支配者はその影響がつよかった集団だったと言えるでしょう。ひとつには物部氏が外戚だった皇族集団の支配、3〜4世紀ごろですね、、、


> クリストファー・ベックウィズ(英語版)が高句麗語を日本語の姉妹語と仮定し、両者の共通祖語としてCommon Japanese-Koguryoicを想定した[34][35][注釈 7](Beckwith 2004)。
> 李基文(2011)はあるいは高句麗語は日本語と朝鮮語の中間的な言語であったと想定できるかもしれないとも述べている[38](李2011)。
>
> ウィキ「高雲」
> 生涯
> 高雲の出身は355年、前燕の慕容皝が楽浪郡を落として冊封された高句麗の王族である。高句麗の王族は姓を高氏として青山に移り、前燕や後燕に仕えた。高雲は後燕の慕容宝に仕えた。
>
> He was ethnically Korean and a descendant of the royal house of Goguryeo, whose ancestors were captured by Former Yan.
>
> Early life
> Gao Yun's ancestors were from the Goguryeo royal house. When Murong Huang defeated Goguyreo forces and temporarily occupied its capital Hwando, he took many members of the Goguryeo royal house captive and moved them to Qingshan (青山, in modern Jinzhou, Liaoning), and their descendants became Former Yan and Later Yan subjects. Because the surname of Goguryeo's royal family, in Chinese, was Gao (高, meaning high, great, strong, elder), they largely took Gao as their family name.



この高雲と北燕遺民の引き受けですね、彼らは高句麗と親族関係だったので、遺民の引き受けを可能にしたのですが、そもそも遺民について、当時の北朝の世界では、数十万、数百万単位で、あちこち支配した住民を強制移住させるのが常でしたから、北燕の支配していた遼西あたりの王族・貴族や住民、技術者なども、それを恐れて、高句麗方面や山東半島の東晋へと逃亡を試みたのでしょう。結果として数十万人が朝鮮の高句麗、百済、新羅に流れ込み、各国とも抱えきれなくなって、さらに一部が九州へと渡来したようです。

日本からは北燕系の甲冑が滋賀のほうから多く出土しているのですが、これは軍人が渡来したことを意味するはずです。馬の甲冑までありますからね。

彼らが九州の新羅コネクションが強い首長・磐井君や、滋賀の近江毛野氏、この毛野氏等はのちに関東へと進出し、高崎の騎馬民族風の埴輪と造るわけですが、また東北まで向かうものもいたようです。オオ(多)氏ですね。

彼らが強かった理由は、その軍事的な力、甲冑もそうですし、騎馬もそうですし、製鉄、技術あらゆる面で、それ以前の渡来人を超えており、それが継体朝やその後の宣化朝あたりを力づけていったはずです。新しくやってきたので、新漢人と呼ばれる集団となっていきます。


かれらは、北九州から近江、継体天皇が出てきた越(北陸)へと勢力を拡げますから、そのハプロをみていけば、先のCTS5308系統あたりが見えてくることと重なってくるのも当然と言えそうです。

一部は尾張、名古屋方面から東海へと勢力を拡大しますし、かれらのもたらした宗教とか神話というのは、ヤマトタケルの伝承として記紀にしるされているので、参考にされるとよいと思います。オリエントに多い白鳥伝承とか、新羅王墓に当時描かれていた白いペガサスのような模様・・・、その辺に共通要素が多くみられます。






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