レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
歴史掲示板
-
前回、続き
加毛利神社(かもりじんじゃ)ですが、「加毛利」の大元の字は、「加(か)」は火・日、「毛(け)」=化=か、利(り)で、「光(ひかり)」だったのでは?
もし、そうだとしたら「かもり」とは、「比嘉(日下)の里」と「日の守(森)」のフィフティー‐フィフティー(fifty-fifty)の意味で、具体的には「山幸彦」とワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)で一対〔八十八(=矢+矢)〕の百となるようですかね?
戦国時代時代を経て、江戸時代の神仏分離の風潮に変わってきましたからね。
以上のことを天皇名で表すと、宣化天皇になり、宣(せん)は、「君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて」ですから、「せん」は、=川,山,船,仙に化けたと。そして、「火・樋」は、縄文時代の別扱いになるのでしょう。
鹿島神宮の参道が夏至の日の出ラインで、参道とは関係ないが筑波山は冬至の日の出ラインでした。筑波は、九十九(つくも)ですから、九十は「つく」ですね。そして、90は、「くわ」なので、桑=秦氏ですね。
また、不思議に鹿島神宮の本殿の方位は冬至の午前零時のシリウスに向いていますね。参道は夏至ですと、藤原南家,本殿は午前零時のシリウスですと平家。藤原北家は秦氏系。
茨城県那珂市額田には、額田南郷・額田東郷・額田北郷があり、額田西郷はありません。なので、水戸徳川の世になり、鹿島と八幡が合体した鹿島八幡神社(額田神社)なる名称になったのでしょう。常陸三宮は吉田神社で、ご祭神は日本武尊ですが、常陸太田市瑞竜町の白鷺神社のご祭神は日本武尊です。
これらの不一致の原因の大本は、光(ひかり)でしょう?
それと、「東(ひがし)」とは、「ひが」=比嘉(日下)士あたりかな?吉は、士と口なので。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板