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歴史掲示板

10696管理人:2021/02/04(木) 00:17:55
Re: 左手宮(さでみや)八幡神社
青面金剛さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > 剣山を起点に30度偏角で、剣山⇔高尾山⇔春日(三笠山)⇔菰野(三保山)⇔名古屋城へと伸びるラインです。
> > 曽根遺跡あたりもかすめてますし、淡路島の南辺あたりもかすべて行く・・・。
> > 全体的に弥生時代の物部系のラインの上に、後代の秦・忌部氏系の伊勢・松尾といった要素が加わっていく中で、菰野(三保山)といった地が聖地とされていったのではないでしょうか。
> > そこにさらに春日・中臣の要素も関係しているようにも見えますね。
>
> ☆ 阿波国の北半分(吉野川・鮎喰川流域)は忌部氏の担当する領域で、南半分(那賀側流域)は中臣氏の担当域です。
>


そうですね、徳島方面は忌部神社などが多くありますしね・・。


> ☆ ライン上に神山町が在ります。古代の神山では、スサノウの事を「青鬼」と呼び、大山杭神の事を「福の神」と呼んでいたそうです。節分の起源は此処からきています。
>
>  松尾神社( 徳島県名西郡神山町阿野字 福原525?1)祭神:大山杭神。
>
>  鬼籠野(おのろ)神社( 徳島県名西郡神山町鬼篭野字東分2-2 )
>
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fawa-otoko.hatenablog.com%2Fentry%2F2016%2F09%2F04%2F213817
>


節分とかかわるとは・・・驚きですね。



> ☆ 鮎喰川の上流沿いに、サウスポーの神様として、テレビで時々、紹介されます、『左手宮(さでみや)八幡神社??通称 あさみやはん(名西郡神山町阿野字宮文728)
> 』
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fawa-jinjacho.jp%2Fshrine%2Fdetail.html%3Fid%3D801
>
>  は、アマテラスが左利きだった事を伝えていますが、祭神からは外されています。
> (祭神:応神天皇、神功天皇、高良大神、式内宿彌公、大山祗神、大御中主神、素盞鳴命)。
>  天照神の化身を意味するクジラ石が置かれています。スサノウ神は下の天王神社に祀られています。(スサノウ神の海亀、天照神はクジラ、神功皇后はシャチ)。
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ftokushimazyumoku.la.coocan.jp%2Fshrine-temple%2Fkamiyama-sadenomiya-shrine%2Fsadenomiya-shrine.html
>


スサノオの話は、先日お話した契丹古伝の解読のように、新羅、もしくはそれ以前の辰韓や秦韓の伝承だと思うんですね。秦氏の渡来とも関係しているでしょうし、それ以前の天孫降臨のそれでももたらされていたでしょう。一部は秦王国あたりから対岸の四国北部へ移動したのかな・・・。秦・蘇我氏と祭祀家の忌部とのつながりは深そうです。




> ☆ 徐福(饒速日・スサノウ)の妃は、「宗像三女神」(むなかたさんじょじん)の三女の「市杵島姫命」(イチキシマヒメノミコト)。記紀の編纂後に、後付けで、アマテラスと名付けられた、と思われます。
>  元々は、出雲の「神奈日山」を拝む太陽信仰でしたから、記紀の唱える太陽信仰とは、大きなズレが有ります。
>  徐福は支那秦国の道教の方士でしたので、神山町内には、「妙見宮」「妙見神社」が沢山あります。徐福は後の「大和への東遷」の為に、阿波の地を、前哨・兵站の要として、拠点を置いた、と言えます。
>


徐福伝承ですか・・・。秦のそうですが、それ以前からすでに戦国時代には山海経に描かれているように、南西諸島や日本列島への亡命移民の伝承があったはずですから、弥生時代初期、あるいは縄文時代末期あたりの中国系、特に西方遊牧民系の移民の名残を探す必要があるでしょうか・・・。神ナビ信仰とか神社の神殿構造ですね。ワイ人と関係する。



>  地元の郷土史家の説明では、
> 『 江戸の中期に蜂須賀藩主は、左手宮八幡神社の上の山手に湯宮神社があった、と記録がある(湯の玉神社か湯の丸神社?)』。ユダヤを彷彿させます。
> 〔 左手宮(さでみや)八幡神社は、江戸時代以前に、北北東・約1キロ『二ノ宮八幡神社』の地に在ったそうです。〕
>  その元の地の北北西への稜線上に、「ソロモンの秘宝」が眠っているのでしょうか。ドローンを飛ばすには、絶好の景勝地らしいです。
>


そうですね、神殿なりが、いわゆる方位ライン上にあることは確かでしょう。彼らの考え方を理解すれば、そこを掘るのが必然です!





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