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歴史掲示板
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翰苑と倭人伝
卑弥呼と台与の件ですが、やはり以前分析した翰苑に注目したいところですね。
翰苑 倭國
憑山負海 鎭馬臺以建都 分軄命官 統女王而列部 卑弥娥惑翻叶群情 臺與幼齒 方諧衆望 文身點面 猶稱太伯之苗 阿輩雞弥 自表天兒之稱 因禮義而標袟 即智信以命官 邪屆伊都 傍連斯馬 中元之際 紫綬之榮 景初之辰 恭文錦之獻
倭國
山に憑き海を負い、馬臺に鎭し以って都を建つ。 軄を分かち官を命じ、女王に統(す)べて部を列す。 卑弥娥は惑翻(わくほん)して群情(ぐんじょう)に叶う。 臺與は幼齒にして、方(まさ)に衆望に諧(かな)う。 文身點(鯨)面し、猶(なお)太伯の苗と稱す。 阿輩雞弥は、自ら天兒の稱を表す。 禮義に因りて袟を標す。 即ち智信を以って官を命ず。 邪は伊都に屆き、傍ら斯馬に連なる。 中元の際、紫綬の榮あり。 景初の辰、文錦の獻を恭ず。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww001.upp.so-net.ne.jp%2Fdassai%2Fkannenn%2Fkannenn_mame.html
軄を分かち官を命じ、女王に統(す)べて部を列す。という記載はどこの文献にもないんですよね。
倭人伝以外の資料から、女王のそれを引用しているはず。
馬臺に鎭し以って都を建つ。
との記載も独自の記載で別資料を元にしてますね。
馬のような背中の台地?に都を造ったとのことでしょうか。
吉野ケ里なども、海進状態にすると馬の背中のような半島の上の台地になりますよね。
平塚川添あたりもどうかな?
邪は伊都に屆き、傍ら斯馬に連なる。
も倭人伝とは少し異なる解釈。
邪を倭のその女王の支配領域とみているようにも見えますね。
馬臺は邪の領域内にある地形のことか。
邪というのは倭の別名、蔑称と解釈していたのではないですかね・・・。
斯馬国は、邪馬台国の領域外の隣国と理解している。
逆に伊都国は領域内の最北端との理解ですね。
卑弥呼をあえて卑弥娥として、娥という美人の字を充てている点が重要で、つまり、卑弥呼を卑弥と呼ぶといった具合の解釈をしているんですね。だから、卑弥の娥(美人)と解釈している。
ある時期の中国人の倭人伝の解釈として、卑弥呼は卑弥と呼ぶという読み方で理解していた可能性がありますね。
それが正解なら、卑弥とか姫(ヒメ)ですかね・・・、倭人の女王の称号は。
たとえば、
倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼と旧より不和である。
の部分で、卑弥呼と卑弥弓呼があり、両方に呼ぶとの動詞が加わってますよね。
つまり、卑弥と呼ばれる女王と、卑弥弓と呼ばれる男王と理解していた可能性がある。
それで、この記載ですよね。
乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國
名を日く、卑弥と呼ぶ とでも解釈すべきか。
それにしても、その一文は何か変だね。
女子の時点で王となり、それが現在、既に年老いているとの解釈が一般的だけど・・・
もっとその前後とみると次のようになりますね。
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛
その国、本よりまた、男子(少年?)を王と為していた。往くこと七〜八十年、・・
ここで、その男の王というのが、つまり倭国王の帥升だとすると、住の字は、往くの間違いで、「その後」の意味となるかな。110年ごろから7〜80年後に至って、次の文になる。
倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王
についても、倭国は相乱れて、攻め伐すること歴年にいたり・・・すなわち、1人の女子を共に立てて王と為した。
名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國
ここの解釈も、名を曰く、卑弥と呼ぶもの? (卑弥は)鬼道に事し、能く衆を惑わす
年は已に長大で 夫婿は無く、男弟があり、その国を佐治する。
実質的には政治は弟が行っていたとのことでしょうね。卑弥呼は祭祀王。
なんで夫+婿と同じ意味の字を並べるのかな・・、
男弟も男はなくても意味は通じるよね。
これね、婿というのは、むこ。娘の夫。「女婿」の意味で、つまり、卑弥呼の夫は既に亡くなっているものの、娘の婿がいるとの解釈にならないかな。
年已に長大にして、 夫は無くし、 ただ、娘の婿と、 男弟があり、彼らが国を佐治しているとの解釈。
そうすると、卑弥呼は結婚していて、王の后姫だったものの、先に王が亡くなり、その王位を卑弥呼が継いだとの解釈になるのかな??
孝元天皇の后の欝色謎命、これが卑弥呼で、その姪っ子の伊香色謎命、これが台与で孝元・開化天皇の后だと以前解釈したことがありましたね。
つまり、皇后欝(ウツ)色謎命
夫人伊香(イカ)色謎命
なのですが、この伊香(イカ)が台与(臺與)と関係していて、壱興(イコウ)とある時期に解釈されたと考えたわけです。
だから卑弥呼のことを翰苑では、謎めいた女性と言っているのも、その欝(ウツ)色謎の謎の部分と鬱の部分とをかけて解釈しているわけです。
その場合、卑弥呼=欝(ウツ)色謎だとすると、卑弥呼の娘がいたことになるはずですが、これが倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)になりますね・
この女性は王にはならなかった。
そして、卑弥呼の娘婿と男弟がいるはずですが、
男弟と欝(ウツ)色謎の関係から考えていくと、同母兄に欝色雄命(穂積氏祖)がいるので、かれが政治を司っていた男弟となるでしょうか。あと気になるのが次の文章ですね。
同書崇神天皇7年8月7日条では、倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君の3人はともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にするよう告げられたといい、同年11月13日条ではその通りにしたところ果たして国内は鎮まったという。この「倭迹速神浅茅原目妙姫」は百襲姫と同一視される
大水口宿禰というのが、物部氏の祖でもあり、この時代の有力者ですね。
その卑弥呼の娘婿を、倭迹迹姫命の旦那として、倭迹迹姫命をモモソヒメのことだとすると、その旦那は三輪大物主となりそうですが、三間(ミマ)君=水沼県主=水口宿祢と考えると、三間=味間=ウマシマジ=ミマキイリヒコ=崇神となる。
ともあれ祭祀男王の可能性がでてきますね。崇神の一世代前の人物か・・・。あるいは崇神か。
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