レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
歴史掲示板
-
赤猪岩神社と清水井
「赤猪岩神社」(あかいいわじんじゃ)の在る『手間要害山』は、吉備軍との激戦が有った古戦場です。
『 第一次出雲戦争にて、西出雲王国の神門臣家が恭順したことで、吉備王国との争いは、一時の平和を得ました。しかし東出雲王国の富家が神門臣家と分離し、吉備に恭順していないことを知ったフトニ大王は、今度は東出雲王国の東の領土、伯耆国へ向けて進撃しました。
吉備軍は四十曲峠を越えて、伯耆国に侵入しました。熾烈を極める吉備軍の攻撃に、東出雲軍は夜にゲリラ戦を行ってこれを防いだと云います。吉備軍は出雲兵を「鬼」と呼び、彼らがこもった、日野川中流の長山の一部は、「鬼住山」と呼ばれるようになりました。
次に出雲兵は、西方の要害山(西伯郡南部町天万)に陣を構えてゲリラ戦を繰り返し、徹底抗戦を行い続けました。しかし敵兵に囲まれ、要害山の出雲兵は一人残らず戦死します。この要害山の麓に、赤猪岩神社が鎮座していました。
東出雲軍はここより西の国境の母塚山を防衛線に死闘を繰り返したと云います。この溝口と要害山の攻防戦が、出雲王国時代での最大の戦いであり、実に東出雲王国軍の兵士の3分の1が、戦死したと伝えられています。 』
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fomouhana.com%2F2018%2F01%2F04%2F%25e8%25b5%25a4%25e7%258c%25aa%25e5%25b2%25a9%25e7%25a5%259e%25e7%25a4%25be%25ef%25bc%259a%25e5%2585%25ab%25e9%259b%25b2%25e3%2583%258b%25e6%2595%25a3%25e3%2583%25ab%25e8%258a%25b1%25e3%2580%2580%25e7%2595%25aa%25e5%25a4%2596%2F
※ 溝口とは、伯耆町溝口で、東に貴住(きすみ)山、西には『とっとり花回廊』の丘が在ります。
『手間要害山』の陣地に、実際に大国主が居たのかは、定かでは有りませんが、戦死した多くの武将と兵士、傷の手当てに尽力した地元の方々の想いを、大国主の再生神話として象徴しているのかも知れません。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板