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歴史掲示板

10395荊の紀氏:2020/05/21(木) 21:47:56
『聖書』と『古事記』の創世神話 …
??2020年 5月20日(水)11時42分0秒 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs


『聖書』はユダヤ教徒だけでなく、キリスト 教徒やイスラム教徒にとっても聖典とされ、世界宗 教の基盤となっているといえる。世界で最も読まれ てきた書物であり、ゆえに聖書の世界観は、文字通 りグローバルな世界観ということもできると思われ る。
…『古事記』の神々は、 「獨神」で「身を隠しき」とされ、存在自体も「観 念的」とされることで実在を否定されてさえいるよ うな感がある。神の名前さえも、象徴やシンボルな のではないだろうかと考えさせられるからである。 古代から神道には明確な教義や経典がないことも、
…このように目に見えないものを目に見えないままで 受容し、その存在を確かに信じるという心意構造に よるのかもしれない。これは、キリストの次の言葉 を思い起こさせる。
…『聖書』と『古事記』の創世の世界観からそ れぞれの神の観念を比較してみると、意外にも思え るが、その神観念には共通の要素が見られるように 思われる。創世の前に何かがあったか、なかったか の根本的な違いは否めないが、それも「無」の観念 の相違によるとする解釈も可能であるといえる。も し、そのように考えてもよいならば、両者の神観念 には、非常に興味深い相似が見えてくるように思わ れる。

聖書の天地創造と「記紀」のそれが似ているのではと思う人もいるようです。 ちなみに厩戸皇子は、厩戸の前で出生したことによるとの伝説があるがこれなどもそ
一説によると、古事記の書かれた時期にユダヤ系の移民が存在しており
朝廷内ですでに地位を確立していたためと思われます
秦氏と呼ばれる一族がそうではないかと /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1138886201
当時日本国ができた時、唐の書物がたくさん輸入されたというか、持ち込まれました。
その中に、当時唐で大流行した大秦景教という宗教がありました。
大秦(ローマ)景教(Nestorian Christianity 380年~451年が起こしたキリスト教)以下ウィきより
【中国へは、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」(アラボン、オロボン、アロペン等)らによって伝えられ、
景教と呼ばれた。当初、唐の朝廷は、初期には皇族を含めて支配層が濃厚な北族(鮮卑・匈奴など)的要素を有したこともあり、景教や仏教など、非中華由来の宗教に寛容で、
信仰を容認、保護したため、盛んであった。】
ということで、日本の信仰を創作するときに参考にしたと推測してもしすぎではないでしょう。
なにしろアマテラスとお話しできる不比等の先祖の祭司は=アメノコヤネとかいいまして、
あの鎌足の先祖という設定(もちろん信仰)ですね。
アメは、当時の倭王の系統で、問題は「コヤネ」は英語風に言うとコーエン
イスラエル人のヨセフアイデルバーグは、日本の神社に修行に入り、失われた十支族との共通点を探ったようですが、その過程で司祭を意味するヘブライ語のコヘンと非常ににていることを発見しました。
つまり、景教の聖書のなかから参考にしたのでは?と思える事例です。
・・・・




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