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歴史掲示板
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チャシの方位ライン2
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さっそくキシさん、アイヌ関連情報ありがとうございます。少し参考になりました・・。
また昨晩に続きでチャシの構造とチャシ同士を結ぶ方位ラインについて分析を進めています。
図1は、昨晩紹介したペサのチャシの図ですが、図のようにペサのチャシはその対角線が西10度偏角の方位ライン方向(図2参照)に向いた三角錐構造となっており、その一斜面が凹面鏡状に整形されています。この斜面に焚火や太陽光を反射させて標識替わりにしたことが予想されますが、同様な山頂部の整形事例は以前もいくらか道央の天狗岳関連で紹介しましたね。
図2も昨晩紹介したチャシの方位ラインですが、新たにそのラインの偏角を赤文字で記入してみました。こうみると、30度、60度、90度つまり直角を主に使ってラインを構成していることがわかります。
具体的なラインとしては、まず天神山遺跡(チャシ)が藻岩山と東西ライン上にあり、ここは縄文遺跡ですから、その年代以前の構築が予想されます。
また発寒チャシ⇔島松チャシ⇔都チャシのライン、茂漁チャシ⇔恵庭公園遺跡⇔祝梅三角山遺跡のラインは双方30度偏角で、後者はケネフチチャシ⇔祝梅三角山遺跡ラインと直角。
次に川下チャシ⇔江別チャシ⇔ペサのチャシのラインは、ペサのチャシ⇔フレドイのチャシ⇔祝梅三角山遺跡ラインと直角。
さらに東65度偏角の江別チャシ⇔都チャシ⇔祝梅三角山遺跡ラインは、西65度偏角の祝梅三角山遺跡⇔ケネフチチャシと東西逆で同偏角。
これらは、図に記したように10度の北偏角のラインが測量の基礎になっています。
そして図3が道内各地のチャシの分布図です。
そのうち、緑丸は近代のチャシ跡で、また赤丸で記された伝承・地名から類推されるチャシ(時代の古いもの)ですが、図のように後者の赤丸を結ぶラインの多くは、東38度偏角、西19度偏角の方位ライン上となっています。
西に9度前後傾いた時代の北極星を北として、北から60度偏角を目印に測量を行った可能性があるでしょう。
先ほどの道央のチャシを結ぶラインの基礎となっていた西10度偏角のラインとほぼ同じ偏角ですね。
それとは別に東西・南北のラインがあり正確に東西南北を測量する技術は持っていたことがわかります。
また常呂、白滝、豊里、祝梅三角山、嶋木、暁といった旧石器時代遺跡、留萌、紋別、屈斜路湖からも、同様にチャシを結ぶラインが多数分岐しています。
さらにその一部は富士山、雛岳、早坂平遺跡の本州へと接合し、加えて夕張岳、豊平山、泊天狗岳、羊蹄山、朝里天狗岳などもライン上となります。そしてそれらの山頂部も、以前も指摘したように他のチャシのように整形された痕跡があるわけです。
特に海岸沿いの航海ルートとしてのチャシのラインが多数みえることがあり、これらのことから、元は旧石器時代に航路・山路の指標としてこれらのチャシが造営され、それが後代アイヌによって継承されていったと考えうるでしょう。
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