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西求女塚古墳 3世紀後半の築造…アイヌってどんな民族なの?
西求女塚古墳 3世紀後半の築造…アイヌってどんな民族なの?
全長約98mの前方後方墳。
前方部は2段以上に築かれ、葺石はあるが埴輪は確認されていない。墳丘は1596(慶長元)年に発生した大地震により大きな被害を受けている。
後方部中央で確認された竪穴式石室も地震により大破していたが、遺体を納めた主室と副葬品を納めた副室からなり、室内は全面に赤色顔料(ベンガラ、水銀朱)が塗布されていたことが判明している。主室からは三角縁神獣鏡面など銅鏡12面や鉄剣、鉄槍、小札などが、副室からは鉄製武器類や農工具、漁具などが出土しており、石室石材とともに一括して国の重要文化財(考古資料)に指定されている。3世紀後半の築造。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkofun.info%2Fkofun%2F561
アイヌの歴史は、本州で弥生時代が始まったころ、北海道を中心に始まった続縄文時代(前3世紀〜7世紀)
アイヌってどんな民族なの? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftopiclouds.net%2Fsociety%2Fwhat-is-ainu-people%2F
蝦夷…
大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。
中央政権の支配地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。
大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
蝦夷と日本feb27.sakura.ne.jp/national_history21.html
東北地方の蝦夷(えみし)は、まだ桓武天皇の時代には、日本国の支配下にはなかった。古代の蝦夷(えみし)は、中世の蝦夷(えぞ)とは違うとされてきた。明らかに蝦夷(えぞ)は、アイヌ民族のことである。しかし、古代の蝦夷(えみし)も中世以降の蝦夷(えぞ)も、原日本人ではないかという説が有力である。 現在アイヌ民族は2万4千人にまで減少してしまった。白人系であるという誤解もあったが、原日本人である。日本の先住民であると国際的にも認められている。
大和政権支配下にある古代においては、大隅・薩摩の国(現在の鹿児島県)の隼人も蝦夷とならんで、日本国の外の民とされていた。
日本の中央部に稲作りを生業とする中国系の人々が侵入し稲作を受け入れた原日本人である縄文人と混血して弥生人が大和政権の下に、統一国家を形成していった。隼人は、8世紀末には稲作の民として同化してしまった。feb27.sakura.ne.jp/national_history21.html
「晋書」倭人伝によると天皇は、長江下流域に呉を建国した太伯(前12世紀又は前11世紀)の末裔の子孫であると自ら称したと云う箇所がある。神武天皇、盤古系(中国系)説である。稲作文明の栄えた長江流域との関連性があって興味深い。
220年の後漢の滅亡から589年の隋による中国の統一までの魏晋南北朝時代の動乱期にも中国よりの渡来人が多数あったはずである。その後の唐(618年〜907年)による日本支配があったかもしれない。宇野正美によると今日では中国系の日本人は50%を占めている。
次に多いのが朝鮮系の日本人である。25%は朝鮮系であるという。『日本書紀』を読むと高句麗[高麗](前37年〜668年)・百済(4世紀〜660年)・新羅(4世紀〜935年)・加羅諸国(4世紀〜562年)などの諸国と日本との関係が深いことがわかる。特に百済と日本の天皇家は親戚関係にあったのではないかと推測される。7世紀後半に百済・高句麗が相次いで新羅と唐の連合軍に征服される間、多くの貴族が日本に渡来したことが記録に残されている。
残りの25%の中に、原日本人やはるばるイスラエル・ユダヤから渡来したイスラエル・ユダヤ系の日本人がいる。
彼らイスラエル・ユダヤ民族は、数次にわたって日本に渡来した。
前722年のイスラエル王国の滅亡後アッシリアに捕らえられたイスラエル王国の10支族はシルクロードを東遷し、日本に到着した。さらには、前586年ユダ王国の滅亡後にもユダヤ人はシルクロードを東遷し、日本に住み着いた。ローマ帝国に迫害されたキリスト教徒ユダヤ人たちも日本に到着することとなり、今や世界最大の古代ユダヤ・イスラエル民族の居住地が日本であるというのである。
呉の太伯の子孫であるという晋書倭人伝の記述とは矛盾するが、古代ユダヤ民族は、ダビデの子孫を奉戴して日本に王国を四国に築いたという。この王国を併合した中国系の大和王権は、この王国のダビデの子孫の王を大和国の天皇として奉戴したという。天皇の側近として、忌部氏や藤原氏のように貴族化したユダヤ・イスラエル民族の末裔がいる一方で、仏教を受け入れることを拒否して、被差別民とされたユダヤ・イスラエル民族の末裔もいるという。二極分解である。
彼らユダヤ・イスラエル民族は、ヤハウェの神に牛を犠牲に捧げて罪穢れをあがなうという習慣をもっていた。そして、神に捧げた牛を食べるのである。仏教が国教となった奈良時代の中期、東大寺の大仏建立の頃から、殺生を嫌う仏教の教えから、牛を食べるユダヤ・イスラエル民族は、穢れ多い民として差別され隔離されるようになったという。穢多、鉢屋とかよばれた被差別民の淵源であるという説がある。
ユダヤ・イスラエル民族の秦氏が総力をあげて建設した、平安京(エルサレム)から彼らを追放した、韓国系の母を持つ桓武天皇は、この差別を助長し、古代ユダヤ・イスラエル民族を迫害した可能性も指摘されている。
古代ユダヤ・イスラエル民族は、被差別民族として、奴隷のような地位に置かれるが(聖書「申命記」28章29節から32節、41節から44節)、やがて、民族の尊厳を復活し神から選ばれた民としてこの世の終わりには神から祝福され世にでるという(聖書「エゼキエル書」37章「枯骨の復活」)。そうであるならば、古代のイスラエル・ユダヤで神から祝福され、仏教の穢れ思想故に、穢多とよばれた被差別民は、差別故に隔離され血統を守られた高貴な選民ということになる。これらの選民がメシア(天皇)の下に、終末の世に復活し、神の王国を築くという。この日本でも、古代ユダヤ・イスラエル民族の復活の兆候が見られるという。維新の会を率いる橋下徹の台頭である。第二の明治維新が始まるが如き勢いを得ている。正にエゼキエル書37章にある「枯骨の復活」である。
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