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48
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佐藤 公則
:2023/04/11(火) 00:24:55
nishiyanさんのおっしゃる通りで、やはり「寒桜」という詩でした。「詩の入口から」に行ってみてわかりました。掲載されている詩を読むと、自分の記憶はあてにならないものだなと思いました。情景も含めて合っているのは、ある人の死と、斎場の帰りと、桜というだけでした。
その3つの取り合わせが同じ、もしくは似ているというだけで、かつて読んだそれを思い出したようです。桜の花も散ってはいなかったのですね。
でも懐かしく読み返すことができました。ありがとうございます。
母の死に関してですが、96にもなりましたから、その間何度もその時のことを想定して、一応自分の受け止め方を、ああなるかこうなるかと考えてきました。淡々と事実だけを受け止められるだろうかとか、号泣してしまわないかとかいろいろですが、結局その場にならないとどう反応するものかは予測がつかないと結論されました。結果的には、事実を粛々と受け止め、取り乱すこともパニックになることもなく過ぎたとは言えます。ただどうもそれだけでは済まない予感もしています。例えば今文字を書き始めると、つい母のことに触れてしまうことが続いてしまいます。書けばまだまだいくらでもかけそうな気がしています。ぼくにとっての母の問題は尽きなくて、そのことは未解決の部分が多く残っているということでもあるだろうし、まだまだ詰めて考えるべきことがたくさんある、そういうことではないかと思います。たまたま今は詩のような形で表現していますが、別の形で扱ってもいいのかなと考えたりもしています。いま思っているのは、生きている間は外せないと考えていた自分を規制する枠組み、それが母の死で消えて行くイメージがあります。極端に誇張していえば殺人さえ可能だということになります。もう何をしたっていいんだ、イメージとしてそんな境地に近いものです。別な言い方をすれば、自分の倫理、道徳の枠組みというものは、父母によって装着させられたもという感じ、です。母の死を迎えて、今ぼくはもうそれは外していいのかなと言う気がしています。そうなればもちろん、今度は自分で枠を拵えてそれを身にまとうということになるのですが、はたしてそういうことはできるものなのかどうか。自分で装着する枠を作れるものなのかどうか。いろいろ不明なことはたくさん生じてきます。まあ、そういうところをこれからゆうっくり考えていきたいなと思っているいるところです。長くなりました。今日はこんなところで終わります。ご指摘御教示ありがとうございました。
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