jorei is not so important anymore (もうこれ以上浄霊はそんなに重要ではない)
この言葉はおかしいのかということですが、ロサンゼルスのメシア教の教師の方のお話がメシア教の機関紙に出てまして、なるほど、同じ時期を同じところで数年間過ごした方ですので、そのテーマの教主中心に関わる状況をあらためて考えてみることになりました。
当時のアメリカが教主中心に従って行かない決定をしたということは、下っ端の私は知りませんでしたが、教主中心は新生にいた頃からピンキリの理解があったと感じてました。
私の場合学生の頃浄霊の効果についてこれもピンキリの結果があると感じ、しかしながら、浄化された方々が入院し、いつの間にかお亡くなりになっているということはなんとなく不思議でなりませんでした。
新生にいた頃は『神を見せる宗教』という体験談本が多く出されてまして、教主中心と浄霊の結果はそれなりに受け入れられるレベルだったように思いますが、その後は消沈していったように見えます。
学生の頃にも消沈があるなあと感じていましたから、その後の消沈も理解できるように思いますし、またメシア教の方の教主中心と、短い時間の浄霊というお話も、そういう思いになるのかという感想はあります。
そもそも浄霊の効果のある無し、ピンキリが問われることではないのかと思います。浄霊が絶大な効果があって、それ以上のことで想念というならば、jorei is not so important anymore(もうこれ以上浄霊はそんなに重要ではない)で理解できる。
ただ、その効果とか理解できないので、jorei is not so important anymore
(もうこれ以上浄霊はそんなに重要ではない)となっているような気がする。
実際浄霊は曇りを取るということですが、体の部分がどうもこの信仰には抜けてしまったというのが私の解釈ですので、jorei is not so important anymore
(もうこれ以上浄霊はそんなに重要ではない)についている方々にしても、ついていかなかった方も体の部分とのバランスが取れいないと思っています。