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明主様
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グラデュエーション
宗教からの卒業というか、主神になることからの卒業だな。
みんな、あたかも自分が神であるかのような見方をしているんだよな。
たとえばキリスト教についての御教えを掲げたリンクがあったろ。
あれなども、明主様を通じて、主神様からの見方を上げたものだよな。
明主様は、あそこにあるすべてを承知したうえで、
「キリスト教と呼応する」とおっしゃった。
この事実がすっぽり抜けているんだよな、なぜか。
人間にできることはしょせん、この程度。
いろいろな罪があるかもしれないし、罪があるから主神様もお使いになった。
あの時代の救いにな。
当時のユダヤ教は戒律が厳しく、よほど恵まれた人しか守れなかった。
だから、下層のユダヤ人たちは、「自分たちは救われない」と思っていた。
そこにイエスが登場して、「そんなことはない、神を信じる人はだれでも救われる」
と言ったわけだから、たしかに救いをもたらしたんだよな。
我ら明主様に救われた信者にできることは、神になってあれがいい、これがダメと
批判することではなく、明主様のお仕事に参画することではないのかな。
最近、ある信者が言った。
「ああしろ、こうしちゃダメと偉そうに言う専従者も、信者もいなくなって
明るくなった」とな。
自分が神だと勘違いして、あれこれ批判することからの卒業だと実感する。
卒業とは、すべてを主神様に返上することだと。
み教えだってすべて、主神様のものだからな。
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