レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
大光明世界の建設(昭和10年)
>個人の天国化だけでは徳は積めない。みんな罪がある、限界がある、個人では世界は救えない。
個人が完成しないと世界は救えない、個人と世界は合わせ鏡ですから。そのため自らメシア(完成)となられたことをどう受け止めるかです。
『世界が天国になる事はまず世界を構成している単位を考えれば判るのであります。それは結局 人間であります。(中略)
個人が救われ完成し、それが拡(ひろが)って世界が救われ、完成されるのでありますからまず個人が救われ完成しなければならないのであります。』
Aの井戸に住む蛙は、Bの井戸にも遊びに行く。両家の様子が分かってくると蛙自身の目線が構築されるようになる。
またAの井戸で一生を送りそこで極める蛙もいる。
どちらにせよ、明主様は皆がメシアを目指せるように「型=見本」としての生涯を送られたのなら、そこに神倣って行くという生き方もあっていいのではないですか。
そのために組織が必要な人もいれば必要としない人もいる。自分はどうなのかです。
http://
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板