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明主様

53731番:2022/05/31(火) 20:38:50
新興宗教がわかる本、3
この内部告発で指弾されている教団首脳たちは、 全部実名で書かれている 。その金銭不正を糾弾された 主たる教団首脳とは(肩書きはその当時のもの)とは、 松本明重外事対策委員長、川合輝明総長、 中村 力、 石原幸雄常任理事等である。
内容は全て事実であれば、まさに驚くべき教団内の腐敗ぶりだ。
ところで教団内外にばらまかれた、内部告発文章の中に、京都で「日本民主同志会」を主催する戦前からの民族運動家、松本明重の名が再三登場する。

ところで松本明重と世界救世教の関係について、少し触れておこう。 昭和46年世界救世教は「一元化」または、「中興の維新」と称される改革を実施したことがある。
改革と言ってもなんのことはない、教団本部の権力、金力の集権化を目的にした強行改革だった。
当時教団には、全国に62ヶ所の教会が存在していた 。各教会とも独立性が強く、会員獲得から資産運営に至るまで、本部とは無関係に教会独自の裁量に任せられていたのだ。
これに対して教団本部側は、一気に本部集権化を図ろうとした。 早い話、各教会の財産、信者を本部直結という試みである。
この陣頭指揮をとったのが、当時の川合輝明総長。( 現 東方之光教団 創設者)である。 そしてもう一人いた川合輝明総長が、三顧の礼をもって迎え入れたという、松本明重(教団肩書きは外事対策委員長)である。

当然、教会側から本部の強制改革に反対する火の手があがった。本部に三下半を突きつけて、さっさと分離独立していった教会もあり、
神慈秀明会、 救世真教、 救世神教 といった教団などは、この時に誕生したものだ。
あるいは財産権をめぐって裁判で争うという徹底抗戦の教会もあった。 一方教団本部も教会長に現金を500万、1000万円と渡し、本部に抱き込むという対策も取られた。 この時改革は金が必要ということから、教団は信者相手に、「世界救世教債券」なるものを発行し、総額にして約250億円ほどかき集めたと言われる。
この教団債の発案者が松本明重であった。
一元化改革はこうして2年の歳月をかけて行われ、昭和47年11月、文部省から吸収合併の認証が下りたところで終止符が打たれた。

( 神慈秀明会 離脱2年後、 一元化は川合総長、松本明重氏の裏工作で、 なされたと神慈秀明会では学ぶ。
お光がロケツトに変わったのも、松本明重の考案と書かれたものがある。)(一番)




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