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明主様
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(無題)
「秀明の布教は素晴らしい、秀明の浄霊は素晴らしい」だけでいいではないですか。
こんな大変な浄化の方にこういうふうに取り組んだらこんな奇蹟をいただいた、というお話でしたら、団体に関係なく素晴らしいなと思いますし、自分も学ばせていただこうと思うのに、なぜ最後に救世教をけなすような記述を入れないといけないか全くわかりません。単純に「それいる?」という思いが残るだけです。
そんなに素晴らしい団体だったら、救世教がどうだろうともう関係ないではないですか。ご自分たちのやり方でご守護をたくさんいただいておられるのであればそのまま邁進され、世界にみ教えを、ご浄霊を広めていっていただきたい。それで世界が救われるのであればそれが秀明でもどこでも構わないのです。そこに救世教を持ち出して貶める必要があるでしょうか。貶めることで自分たちの優越性を再認識しているのでしょうか?それってご神業に必要なことでしょうか。何十年も前の離脱についていまだに自分たちの正当性にそこまでこだわるのは、歴史をさかのぼって日本への恨みを忘れないお隣の国を思い出させます。
1番さんは、おそらく良くなってほしいという思いから、救世教が今に崩壊すると書き続けておられると思いますが、私にはそういうやり方から何かポジティブなものが生まれるとは思えません。むしろ呪いの言葉のように感じます。救世教の黒歴史はもう散々読んだり聞いたりしましたから、私もほぼ大体のことは知識として知っていると思います。でも、だから何だってことですよ。正しい歴史認識も大事でしょうが、今この時、世のため人のため私たちがよりお役に立てるにはどうしていったらいいか。それを学びあうことが必要でしょう。ご神体が駄目だ、お写真が違うといわれても、一般信者が明日から自分の家のご神体を変えるんですか。そういうことは理事長にでも申し上げてください。それよりも1番さんの信仰の日々の取り組み、お世話の体験、失敗や学び等をぜひご紹介いただいて、私たちにも学ぶ機会をいただけたらと思います。
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