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明主様
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箱根
ハニワの絵が、 あるから箱根美術館 、ここは今二代教主が集めた 物が展示されてます。 かな?
私は二代教主に素戔嗚尊がかかられていると、投稿しますが、 ここに大本教の本を書いた、武田崇元氏の、出口王仁三郎の「霊界からの警告」から 抜粋 、
《10年後に訪ねてくる青年が神の道を開く 》
中略 、「そこで彼は、 その男が現れたら渡すようにと言われ、大切に保管していた奥義書を、王仁三郎に授(さず)けた。
ここで王仁三郎が集中的に、鎮魂帰神法と審神(さにわ)学を伝授され、免許皆伝の証として、「鎮魂帰神二科高等得業書」を授けられた。また長沢翁(おう)の審神(霊の正邪の判別)によって、
王仁三郎にかかっている神は素戔嗚尊の眷属である、「小松林ノ命」という、位の高い神である事が告知された。( 中略 )また彼の霊系が素盞嗚尊と審神者された事は大きな意味を持った。
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これは 2007年5月16日、
《 世界救世教二代教主様の正体》からです 。
以前ブログで、世界救世教二代教主様が明主様信仰の未信者であると 記述をしましたので、ある程度の根拠らしきものを書きます。
二代様は明主様が昭和9年12月23日の大日本観音会の発会式の直前になっても 、自室に大本教の祭壇を作り、「大本皇大神」と礼拝していました 。
明主様の弟子の一人が、先生はもうすぐご立教されるのですから、「大本教の礼拝はおやめください」と諭すのですが 、二代様がこの言葉を無視したため、気の短い弟子(中島一斎)は、 激怒し日本刀で二代様の背中に切りかかったのです。
幸いは服が厚く、軽傷で済み、明主様が二代様を抱きかかえ、 その血が滲んだ傷口に、浄霊をされたそうです。」(これを、 当時の天国会 今の離脱した新健康協会 の古い信者に聞いたら、確認が取れました。 またいづのめ教団 、当時の五六七会の古信者に聞いたら、知りませんでした。)(一番)
(2007年6月16日)
《二代様に 憑依していた、素盞嗚尊》
「以前のブログで、世界救世教の二代教主に憑霊していた、素盞嗚尊が出雲大社で、二代様から離れる現場を複数の信徒が霊視したと書きました。
この霊現象を目撃した救世教信者の発言は、次のようなものです 。
昭和36年、二代教主様巡礼の折、出雲大社に参拝されました。お玉串料は当時の金額で10万円でした。普通の参拝者は入れない拝殿の前の方まで通され、お参りしている時に、二代様の後ろの方に座っていた私は、何の気なしに、垂れていた頭を上げて見たところ、
二代様の頭の上に錦の簪(かんざし )のようなものが、キラキラ光りながら、動めいているのが見えました。
二代様は、そのような簪をつけているはずもないのに、これは何んなのだろうと、思いながら見ていました。するとそれが、大きな立派な「衣冠束帯」を付けた神様のようになり、すっと、 浮き離れて、社殿の方へ入っていかれ、社殿の両側 から、これも衣冠束帯の神々が大勢出て来られ、「よう、お帰りなされた。よう、お帰りなされた。」と言って、出迎え喜んでおられました。
二代様から出られた貴人らしい方は、堂々として社殿の奥へと入って行かれ、あっけにとられている内に、その姿がパッと消えてしまいました。」
( 後略)
「 神慈秀明会信者 作成、リセットゼロから」
(教団(秀明会)とは関係ない、また 知ってる人もいると思いますが、 新しい人もいるので投稿しました。
しかし 自分は素盞嗚尊の眷属の憑依とありましたが、そうだろうと思っておりました。
今「大光明真神」に鎮座ましまして 、教団が無くなるまでの使命を、全うされる)
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