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明主様
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1番さま
分かりにくい仕組みで申し訳ございません…。
本件、承知いたしました。
さて一元化につきましては神慈秀明会ではそのように伝わっているのですね。
大変興味深く拝見させて頂きました。
特定の組織や個人を擁護する意図ではないですが、
一元化「前夜」につきまして時系列で整理してみますと…
昭和43年:地区制(一元化)が本格検討開始(三好顧問主導)
昭和44年2月:一元化に関する研修会開催
昭和44年3月末:第一次(30教会)の地区制(一元化)の決議
昭和44年4月1日:一元化について公告
昭和44年4月15日:責任理事会で川合輝明が突如辞表を提出し理事会は総辞職
昭和44年5月7日:川合輝明管長辞任(後任は渡辺勝市)
昭和44年5月23日:三好顧問辞任
昭和44年12月13日:月刊ペン事件
昭和44年12月頃:三好顧問の『世界救世教の実態』による揺さぶり
昭和45年2月2日:松本明重が顧問を務めていた神生教会の沢田会長より松本明重に相談
昭和45年2月4日:熱海東山荘で松本明重と川合輝明が初対面
昭和45年2月10日:松本明重、外事対策委員長就任
勝手に用語を作成しますと、
・前期一元化検討:三好顧問主導
・後期一元化検討:松本明重と川合輝明が主導
となるのではないかという理解です。
また前期一元化では三好顧問の力がますます強まることを警戒し、
三好顧問を退任させてから進めるため川合輝明自身が管長を辞任したと思われます。
もちろん分派離脱された教団の皆様からすれば「知らんがな」かもしれませんが…^^;
なお、昭和45年2月4日に松本明重と川合輝明が初対面というのは、
松本明重氏の著書が元となっていますので、本人の記憶違いの可能性もありますが、
昭和44年時点でコンタクトしていたというのはちょっとだけ「?」ですね。
また纏まりましたらブログで書いてみます。
取り急ぎ。
https://okadamokichi-daigaku.com/
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