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明主様

49311番:2022/03/05(土) 16:33:03
山根先生2
「ここで仮定の話ではあるが 、昭和46年4月 教主様の英断が実現し、山根総長が誕生していたならば、その後の教団は、いったいどうなっていたかを、想像してみよう。
まず第一番に言えることは 、教団から離脱した教会はなかったであろうということである。

昭和45年の2月末 教団に松本明重氏が 介入したのに反発して 、当時全国一の信者数を誇っていた秀明教会 (現在の神慈秀明会)を筆頭に、4教会が教団を離脱した 。当時秀明教会の十三支部の支部長だった、信保修正、(現在新生教団の常任理事)は、 あくまで教団内において、 教主様を守るべきだとの見解から、秀明教会の支部長の中では、ただ一人教団を離脱しなかったからである。」

※( これはちょっと違うですね 。 教主様を守る、そして教団幹部が悪いとしてますが、 これは教主も幹部も誤りある。 )(一番)

「神意の離脱」( 神慈秀明会)から
「これらの体験をどれ一つ取り上げても、それが正しく守られるべき総本山において、明主様の御教えは全然守られていないのみか、どんどん違った方向に走っていたことを示すものです。 」

《哀れな人たち 》N先生、(玉手山 )
「昭和45年3月と思うたびに、何ともったいない、何と恐ろしい事実の数々が、こみ上げている日々でございます。
22年入信と同時に、ただコツコツと、ご用に勤しませていただき、やがて出張所に、そして支部にならせていただき、当時は助師5名、世話人十数名、信者1300名余の支部にお許しいただいておりました。

明主様の御守護、会主様、会長先生(命様)のお祈りの中に、いつも心にかかる出来事も大きな喜びに変えていただき、20数年を歩ませて頂いてまいりました。

2月23日支部長会、続いて資格者会、信徒代表者会、3月1日告示、そして助師会。
2日世話人会、会主様、会長先生は今まで黙っておられた、教団内の真実を真心込めて明確に、解き明かしてくださいました。
もともと秀明教会、会主様、会長先生のみ信じ、精進させて頂だいておりました事とて、ただ々、仰しゃって頂きますまま、喜んで進まして頂だく決心のみで、ございました 。
3月9日、10日という説明会の折、ふと、黒い影が潜んでいることに気づきました。
たった二日で、世話人全体が(熱海)教団へ行くと話はまとまっておりました 。
その素早さ驚きで胸が張り裂ける思いでした 。何とも表現の言葉すら知らない気持ちで会長先生に報告、お詫び申し上げました。
助師鈴木さんは出張中、世話人は一人もいなくなり、 一般 信者さんばかり、何もかも事情を話し合え、相談できるのは山口さんただひとり、 遅ればせでも早速二人して、車であちこち走り回りました。
しっかり心なき顔、言葉ばかり、全部もれなく後の祭りでした。
あまりの意外さに唖然とするばかり、今日まで体験したことのない味、秀明教会 会主様は最高の信仰のお方、御人格のお方、ご立派の方と喜んでいた、あんな人、こんな人、明主様 ゆかり深い玉手山支部に、御用させて頂だけることを、誇りとしていた人々に、
20数年間共に励まして頂だいた人、こんなはずはない間違ってか、明主様の何か意義があってか、信じられないショックな日々でした。(後略)」
《明主様信仰の復活》
「「会主様は全てを明主様時代に戻します」とおっしゃり、離脱通告後には慰霊祭を、そして 認証後には
御神体、みろく大黒天神さま、御屏風観音様、善言讚詞を御復活して下さいました。会主様の信仰により、霊界現界ともに、大きな大きな幸せを賜りました。」

世界救世教は 元の明主様時代に戻せるか、 御神体を屏風観音様 、EM の 廃止等 、これが私はこれから救世教に突きつけた課題で、存続にかかわってくると思います。
多くの人はできないだろうと 思っています。




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