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明主様

48761番:2022/02/26(土) 14:39:41
創造と経綸
ここに 浄霊研究所 (世界メシヤ教会)中村一郎編 、
「新、伝導の手引き」第1部、
(神、明主様御神教 )、平成14年3月発行から

「創造と経綸 」 661 ページ
??根本神
(日の大神)火
国常立尊 ー伊邪那岐(ぎ)尊ー 伊都能売(イヅノメ)尊
※( 天照天皇)( 岡田茂吉)( 大和民族)

(月の大神)水
豊雲野尊ー伊邪那美(み)尊ー 神スサノオノ尊
※( 大本教 出口王仁三郎)( 世界救世教 二代教主)
( 出雲民族 、ユダヤ民族、 韓民族)

※(??)これは後から足しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは「 明主様の浄霊法の変遷と神教」
世界救世教いづのめ教団 、「イズノメ 」誌 、平本伸一先生の書かれたものから、
抜粋
「 明主様は大正13年に大本へ再入信されると 、神霊の有無、神と人との関係など、神秘の探求に没頭され、出口直の?お筆先?の 熟読に励まれるなどしておられた。( 中略)当時 大本が応用していた?鎮魂帰神法?習熟されたことから、他人に向かっての鎮魂法による治療方法について、強く関心を持たれるようになった。」
「 昭和5年 6月1日( 旧暦5月5日正午、即ち午の年、午の月の午の日、その午の刻に明主様の、 ご腹中の光の玉(神霊)の御神格が上られるという神事があった。」
「 昭和6年6月15日、千葉県鋸山山頂において、『霊界の夜昼転換』の啓示を受けられた 。 この時はその啓示を受けられただけではなく、霊界の夜昼転換によって霊界に出現された『太陽神』である『天照皇大御神』の御神霊を、明主様がお迎えに行かれたという神事てあった。」「 この頃 明主様のご住居は、大正12年5月に移転された東京大森の八景園にあり、そこを松風荘(二階建)と名付け、家族とともに住まわれ、一階を大本の大森院として使われた。」

※『天照皇(すめ)大御神』
「この『天照皇大御神』と古事記にある「天照大神」とは、天の岩戸隠れの比喩において関連はあるが、
※御神霊と御神格においては別の存在である。」

「昭和9年6月15日には麹町の山王日枝神社に参拝され、『天照皇大御神』の神霊に関する神事が行われたが、これも応神堂開設、それに続く立教への御経綸と密接に関わる秘儀 であった。」

「昭和9年5月1日を期して、『応神堂』を開設され、家族と離れて、お一人で移られた。
玄関に「岡田式神霊指圧療法」と書いた看板を掲げ、?浄霊法を公開?されるとともに、開業ビラを配られたのである。 御神体は※『天照皇大御神』の御書であった。」

(私は以前 故永峰先生から伺った『天照皇大御神』の御書が箱根にあると、これではないかと思うんですが 、確認してませんが 、
『天照皇大御神』が、大きな意味があるというのが判ります。
6月15日が天照皇大御神様のお誕生日、 そして 鋸山 の啓示、 明主様が 天界からお降りになった『天照皇大御神』の神霊を 、山王神社に 御遷座され、 そして 応神堂の御神体に『天照皇大御神』様をお祭りされた 、

この経緯は知られてない。
これだけ見ても何の事か 私には分からないんですが、何かあるんでしょうね。)(一番)




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