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明主様
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慢心を越える慢心
井上(茂登吉)が初めて大森の教祖宅へ行ったのは、 上京した翌年昭和3年(1928年)の11月の事である。
出口王仁三郎が東北の 巡遊の途中 、大森へ立ち寄ったので、 東京中の大本の信者が 集まった。
その折、井上は初めて行なった教祖宅の、気兼ねのない和やかな雰囲気に、心温まるものを覚えると同時に、 教祖の図抜けた人物の大きさ、※ 心配りの隙(すき)の無さに、限りない魅力を感じたのである。
その日集まった信者の一人が、教祖に信仰上の質問をした。
すると教祖が、※『慢心はいけないが、慢心を通り越した慢心ならいいですよ』と答えたので 、
相手は驚いて納得のいかない顔をしていた 。
それを聞いた井上も非常に驚いた。というのは大本では、慢心は最も恐るべき落とし穴として、強く戒(いまし)めていたからである。
しかし井上は驚きながらも、そこに慢心を懸念する※「凡俗を通り越した、非凡の境地」を、おぼろげながら、感じ取ったのである。」
( 教祖伝、東方の光、上巻 413ページ)
(これを以前ある教団の専従者から、「 どういう事か」と聞かれたんですが 。私は「これは納得できる。そうだ」と、ずっと思っていたんですが、いざそれを言葉にしたら 出来ない。
これは当時 王仁三郎が明主様の大本支部へ来て、そこで接待をされた時の事と思いますが。
これは隙のない心配りと、井上先生はご覧になった。
そこに 、凡俗を超えた非凡の仕草を ご覧になられた。
それを平たく説明しろ と言われても、 こんなに難しいものだとは。)
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